
G7広島サミットで「逃げるんですか?」と安全圏から挑発する記者を考える
G7広島サミットの岸田総理の会見で、「逃げるんですか?」と問いかけた 尾形聡彦記者。
政治家は、その発言が過去や未来に渡って問われる一方で、それこそ「逃げることのできる記者」は、その一挙手一投足を問われないのは健全ではない。 「逃げるんですか?」という挑発は適切であったのだろうか?
該当記者のツイート(当時のスクリーンショットものせておく)
岸田首相の会見の最後で声を上げ、核軍縮ビジョンについて最前列から問いました。岸田氏は事前に決まっていた4社の質問に答えただけだったので、「事前に決まっていた4社以外にも答えて欲しい。核軍縮ビジョンについて質問させて下さい」と訴えましたが、それでも答えてくれず、「逃げるんですか」とさ… pic.twitter.com/AjaRDCGPNU
— Toshi Ogata (尾形 聡彦) (@ToshihikoOgata) May 21, 2023

会見の様子
公平な資料として毎日新聞の一部始終のまとめと、テレビ東京のノーカット版をのせる
記者会見を切り上げるべきではなかったのか
まず、記者会見を切り上げるべきではなかったのかという判断から精査する。
前提に記者会見時のG7サミットの状況として、
①閉幕を宣言したものの、この後ウクライナのゼレンスキー大統領との会談が控えていた。 (この点ゼレンスキー大統領の時間を使ってまで、核軍縮の議論をしてる暇はない)
②確かに、事前に質問が決められていて、そこにのみ答えるのは記者会見のあり方として健全ではない。なぜなら、予定調和的な側面が強く、何かを議論する際に建設性が損なわれる。
③①と②を踏まえ、結論を言えば、この記者のしようとした質問を「今、この場ですべきであったか」が焦点。
では、記者のしたかった質問とは?
その質問内容は、このツイートから推測できる。
「核を認める宣言がここで出てしまった、この広島でそんな宣言を出したのは大きな間違いだったのではないか」
この質問を精査する。 「核を認める宣言」とはツイートより以下のものであろう。
「今回の核軍縮ビジョンには、米中露英仏の核5大国が昨年1月に出した「核兵器の防衛目的の役割、侵略の抑止、戦争の防止」の効果、をうたった声明と全く同じ英語の文言が盛り込まれ、(中略)米国主導の核兵器容認声明になっています。」
つまり、核を認めるとは「核抑止」を認めることである。
では、核抑止を認めない世界はどうであろうか。 まさにウクライナの例を挙げたい、ソ連崩壊時にロシアに核を取り上げられたウクライナは「格好の餌食」である。ウクライナが核を持っていなかったことだけをロシアによるウクライナ侵攻の原因とは言わないが、ウクライナが核を持っていれば、この戦争は起きていなかった蓋然性は高い。この事実を前に「核抑止」を認めないのは、言い換えれば、「他国による侵略がリスクを許容する」のと同義である。
「他国による侵略で自国がめちゃくちゃになる」それは、広島の過去の惨状をゼレンスキー大統領が「バフムト」と表現したそのものだ。
そうした議論は恐らく岸田総理のなかで幾千と過去、頭をめぐっていたのである。ここまで考えると、「他国による侵略で自国がめちゃくちゃになる」ことを許容できない以上、「核抑止」は認めざるをえず、が結論であり。質問に意味はない。
確かに、「核を認めない」ことに広島の人々の「想い」はあるのであろうが、その想いとは裏腹に「核抑止」という恩恵に与っているのが日本の国防である。だからこそ、無意味と結論づけることができる。
ここまでの議論は恐らくあの場所ではできない。恐らく記者は国防の視点が抜けている。
その上で、質問する記者の意図は恐らく、自分の存在の主張である。
「核廃絶のシンボルである広島で、核の抑止力や役割をうたった5大国の昨年1月の声明内容や論理がそのまま盛り込まれたのは、歴史に残る事態です。」
とのたまうのは、主観的判断であり、恣意的な帰結を前提としている。
結論
よって、無意味な意見表明を意図としたこの尾形聡彦記者は、この会見において適切ではない。
人の想いを代弁するのはよいが、それはこの場ではない。