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本当に必要なのは「承認欲求との向き合い方」だと思う

最近SNSがきっかけで倫理観を疑うようなことが多発している気がします。

たとえば「某知事の選挙運動に関わった疑惑がある女性広報社長」とか「解剖実験で検体を背景に写真を投稿した女医」とかね。

たまたま印象に残っている女性2名を挙げましたが、SNSでの炎上は日常茶飯事。

さすがに目を通す時間も減ってきました。

だって疲れちゃうし。

そこでこういう炎上が起こるたびに”ネットリテラシーの是非"が問われるのですが、個人的には"承認欲求との向き合い方"が根本問題かなと思うわけです。

承認欲求ってなに?

承認欲求とは簡単に、他者に自分を認めてもらいたいと思う欲求のこと。

自分の話をみんなに聞いてほしい
がんばりを褒めてほしい、認めてほしい
自分の功績や活躍をいろいろな人知ってほしい
苦労している(た)ことをわかってほしい
SNSで不特定多数からの「いいね」がたくさん欲しい

どうでしょう?大なり小なりわたし含めてみんな持っている感情です。

承認欲求があることは決して悪いことではなく、エネルギーに代わって仕事で最大限のパフォーマンスを発揮することもあります。

ただし今回のタイトルの通り、今の時代を生きているわたしたちの課題はこの承認欲求といかにして上手く付き合うか?ではないでしょうか。

今SNSがなくなったら、君たちはどう生きるか。

友人のこんむぎちゃんが大変興味深い記事を書いていました。

ちょっと記事の中を引用しますね。

始めたとき、SNSはただの「手段」だった。
人へ情報を与えるための手段であり、誰かの役に立てばと思い始めたのを、今でも覚えている。

でもそのうちSNSは商売道具になっていって、「映え」とか「バズる」とか、そんな言葉が流通するようになっていた。

同時に、SNS上に美しい人生を投稿するインフルエンサーと自分の人生を比較して、落ち込むことも簡単になった時代だと思う。

こんむぎちゃんnote

「SNSがなくなったら、どうするか」を考えるのは、自分の本心の価値観を見つけるヒントになることもあるのではなかろうか。

インスタに写真をアップできなくなっても、そこに行きたいかな?

ツイッターでアピールできなくなっても、これをやりたいかな?

こんむぎちゃんnote

この言葉を見て今日の記事を書こうと思い立ったのです。

今SNSがこの世界からなくなったとしても、いや現実的に言えば政府によって規制されたとしても

「わたし、あなたはその行動をとるのだろうか?」

例えばクライアントと守秘義務のある仕事内容を、全世界が見る媒体にペラペラと書き綴るかな?

今後の医療発展のために行った神聖なる研修を全世界へ向けて発信する?

いや、時には研修報告として発信が必要なこともあるとは思うけれど、ご検体を前にピースで写真を撮るかな?

誰に見せるわけでもないことを前提とした行動なら、今の生き方とはまったく違うものになるのではないだろうか…。

SNSの使い方は品格そのものの時代に

わたし自身、旧Twitterで繋がって仲良くしてもらっている先輩や友人とはもう5年ほどになる。

仕事の相談をしたり、気軽にお茶をしたり、

良きロールモデルであり、間違った方向へ行かないために指針を示してくれる人たちばかりです。

だから悪いのはSNSではない。

どのようにして内に秘める承認欲求をコントロールし、品格のある使い方ができるか?

そのスキルが問われる時代になったな…と思いました。

さいごに|外に出す情報・内に秘める幸せ

これだけ大口叩くようなことを言っていますが、わたしもまだまだSNSの使い方には課題があります。

実際にブロガーとして情報発信をしているので、どこまでを発信とし、どこまでをプライベートで楽しむか?

これはずっと悩んでいました。

旅ブログはありがたいことに多くの方に日々読んでいただいているので、お役に立ち続ける限りは続けたい。

だけどそれとは別で、家族との思いでや子どもの成長は家族間だけでシェアできればそれでいい。

芸能人でもない限り、わが家の思いでなんてみんな興味ないですしね。

そんなことをつい最近まで考えていて、デジタルフォトフレームを買うにいたりました。

そのお話はこちらの記事で。

さいごに友人のこんむぎちゃんの言葉を借ります。

ねぇ。君は、どう生きたい?

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スーちゃん
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