417日(2022/05/11)『なんでもやる』ことについて前編
おはようございます。シューゾーです。
『なんでもやる』ことについて話を書いております。
そもそも何でもやるということはどういうことなんだろうか?
世間一般では就職活動とかにおいても『何でもやります』というと、まるで何もできないような人たちに思われてしまいます。
実際、今の私においても転職活動については何でもやるということを言っているの?ですが、はっきり言って何でもやるということになると、なんでもという言葉は意味がないように思います。
社員の皆さんも何でもやるっていうことはやっぱり禁止されているんじゃないかと思いますよね。果たしてそれは正解なのか、そうでないのかということは、私なりの持論で考えていきます。
と言えば何でもやるということは良いようにも見えて悪いようにも捉えられていきます。
私が感がるよいこととわるいことの理由については前編と後編で話していきます。今日は悪いことについて書いていきます。
★インプット型(やらされ型)の仕事
なんでもやるということになってしまうと、これ自信が結局インプット型の仕事。
簡単に言うと、やらされ型の仕事。
もっと言ってしまえば、何も考えずに行動できるような仕事しかできなくなっていきます。これを樺沢先生の本ではインプットの仕事であると言っております。
相手に指示されてやっているだけであれば、単純な仕事をこなすだけというふうにもなります。はっきり言えば、それについては受け身型の仕事になっており、それらについては結局何も生み出せないのであります。
なんでもやると言われると、
上司からあれやってこれやってと言われて(それをこなすことは当然重要で)。
果してそれが便利ということはいいのであろうか?
なんでもやると言われてしまうと、
それに対して相手の行動を抑圧してしまうというようなことだけでなく、
結局それだけしかできないような指示待ち人間になっていく。
そうなってしまうと何でもやると言われると、良いような意味でとらわれがちかもしれないですが、インプット側の仕事をやることで、何も考えずに行動してしまうような話になって行きます。
★方向性が定まっていないからふらふらしていると思われる
方向性的な意味合いで何でもやるということになると、
いわゆる専門性が複数で増えるんじゃないかとメリットがあるのでは?と思います。
しかし、果たしてそれがいいようになるのでしょうか?
便利屋さんみたくなって、最終的には何ができるの?
というようなことです。
特に転職活動で、あれもこれもなんでもできますと言われると、じゃあ何や専門なのかということが言われてくるんじゃないかと。結局、専門性がないと何が主なの?
ということが何もわかりません。これは趣味においてもそうなんですが、結構多趣味な人であると何をするのか、何がいいのかということが一概に決められないのです。
★ものごとの分別ができない
結局、物事の分別ができないことに尽きると言うことです。
なんでもということになってしまうと、全部100%やってしまうということになります。自分自身はこういったことができます。こういったことができないということがわかっていないと、自分が残でも100%やる、もしくはできるようなことになる。
なんでも100%できる人間なんて居ないですし、当然やる人間なんていません。
でもやっぱりそうですが、100%やろうとすることはできません。
仕事もですが、 自分ではできることとできないことがあります。
それがわからず知って、これなんでもかんでもやるということになってしまうと、果してそれはできているのかということになりかねません。
最終的には何か自分がこういうことができるということと、こういうことができないのがあるということが分かるべきです。むしろ何も知らないことを知らないと認識せず。知ったかぶりをする。もしくは知った気になるのがいけないです。
★まとめ
ということで何でもやることについて私が思うのは、、、
→インプット型(やらされ型)の仕事
→方向性が定まっていないからふらふらしていると思われる
→分別ができない
以上w
明日は後半戦?を書きますw
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