無題

高千穂の夜神楽をみて考えたこと

高千穂の夜神楽。
稲刈りが落ちついた時期に、夕暮れから次の朝まで三十三の舞を奉納する里神楽。神楽は今まで何となく気乗りしなかったのだけど、昨年末に観られてとても良かった。

平安末期の鎮魂(たまふり)の儀礼が原型と言われているが、そこには、古代の自然崇拝から、修験、神道、素朴な民間信仰と、様々な要素が組み込み改変されながら続いてきたという歴史があり、それが舞の至る所に残されている。

高千穂神楽の軸は岩戸神話だけども、その途中で、山の神や水の神、荒神といった土地の神が出てきたり、日知の雨乞い呪術や陰陽五行のようなものがあったりと、色々混ざっていて、でも最後には大団円で終わるという不思議な神楽。

ここの神楽の舞台は神社ではなく民家。元は神社の神官が神楽を奉納していたが、明治に入り廃仏毀釈の流れの中でその神仏習合的である高千穂神楽の存続を危惧し、里の人たちに伝え残していったのが今の里神楽だという。

百姓が舞う神楽。だからこそ土着の習俗となる。地元の人たちにとって、神楽を奉納する「ほしゃもん」に選ばれることは誇りで憧れの的だという(宮本常一先生の言う通り、いつの時代も歌や踊りが上手いひとはモテるのだ)。

番の中にはエロチックなもの(御神体)もあって、おばあちゃん達に大受けしてたし、素人が飛び入り参加出来るもの(五穀)や、みんなで踊るのもある(繰下げ)。宮崎の他の神楽にはセリ歌という合の手歌もあるそう。

そういえば、生まれ故郷の北海道稚内では、小学校の時に何故か必ず御神楽を踊らされる事を思い出した。もちろん僕も踊らされた。運動会で披露するのだ。

その起源を以前調べてみたことがあって、それは岩手に残る南部神楽にあるということがわかった。当時の道北の先生の一人が、秋田の劇団「わらび座」の影響を受け、南部神楽を取り入れた教育をと考えた。それがいくつかの小学校に伝播したという(その経緯もまた面白いのだけど)。

南部神楽も百姓神楽だ。正統な神楽を見よう見まねで自分達で作り上げた土着の神楽。衣装も一張羅の着物をそれっぽく見せている(映画「リトル・フォレスト」にも最後ちょっと出てくる)。 神楽というフォーマットに、その土地の歴史や感性が付着していく。
そいえば、御神体の翁(伊奘諾)の舞はケベス祭のものと一緒だったな。何か繋がりがあるのかもしれない。

「日本の感性の一つに夜から朝の時間がある」と、どこかで聞いたことがあるけど、この神楽はその感性を体験させてくれた気がした。これは、何となく大事な気がしている。色々他にもあったけれど、ともあれ、神楽の印象が大きく変わった一夜だった。

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