角川武蔵野ミュージアムがグランドオープンしました
角川武蔵野ミュージアム、11月6日にグランドオープンしました。
https://kadcul.com
8月のプレオープン時には公開されなかった、3〜5階もフルオープンしています。
荒俣宏監修の『妖怪伏魔殿』『ワンダー秘宝館』、松岡正剛監修の『エディットタウン』『本棚劇場』、米谷&ジュリアの『だから私は救われたい』、赤坂憲雄監修の『武蔵野回廊』『武蔵野ギャラリー』、アニメミュージアムの『アニメクロニクル』、その他、カフェやレストラン、ミュージアムショップなど、多彩で「まぜまぜ」な展示が展開されています。
僕は、5階にある『武蔵野ギャラリー』の制作を担当しました。ギャラリー名にある通り、3万年前から人が住み、現在は1000万人が暮らすこの〈武蔵野〉をテーマにした展示です。
今回は、雑誌『武蔵野樹林』と連動し、武蔵野に強い想いを持っていた角川書店創業者・角川源義にスポットを当てています。
源義は元々、研究者や俳人を志しており、折口信夫や柳田国男に師事していました。
大学を卒業する際に、柳田に「私は、研究者としてこのままやっていくか、それとも、優れた研究者の本を世に出す側になることで貢献すべきか」と相談したところ、後者を勧められた経緯があり、それが角川書店の起こりと言います。優れた研究や詩歌、文学の書籍を世に出すため、源義は奔走して行きます。
1950年に源義は柳田と「武蔵野を語る」という座談会を行い、武蔵野への熱い想いをぶつけあっています。それは、ここ武蔵野が、文学の、そして民俗学の、かけがえのない〈聖地〉だったからだと言えるでしょう。
源義が武蔵野を撮ったフィルムには、高浜虚子、大岡昇平、国木田独歩の所縁の場所、野川やハケ、深大寺、国分寺、まいまいず井、小手指など、古代から人々が暮らし、また外からの移民を受け入れていた場所を執拗に捉えています。
なぜ、このミュージアムが、角川ミュージアムではなく、角川"武蔵野"ミュージアムなのか。その応えの一つがこのギャラリーにあるのかもしれません。
オープニング前には、角川グループの多くの人たちがこの展示を観に来ていました。今でこそメディアミックスやライトノベルの雄として知られるKADOKAWAの、創業当初の意思や行動を改めて知る場所となっています。
源義の息子である角川歴彦会長が、この「ところざわサクラタウン」と「角川武蔵野ミュージアム」は、角川にとって第二の創業だと話していましたが、その場所に、第一の創業者・源義の想いを展示することは、何かしらの意味があるようにも感じます。
ギャラリーの隣には、民俗学者の赤坂憲雄先生率いる武蔵野学メンバーによる、武蔵野を知るための230冊の本が選書されています。文学や民俗学、その他様々な視点から武蔵野を深く知り、その未来をみつけること。
本棚劇場やワンダー秘宝館、マンガ・ラノベ図書館、アニメミュージアムなど、多彩なコンテンツがある中で、このフロアは、このミュージアムの基礎や地盤づくりの一つとして機能してもらえたらと願っています。先ずは「ことはじめ」。これから少しずつ成長して行けたらと。
今回のMVPは、なんと言っても会場のグラフィックを担当してくれたデザイナー・梅木 駿佑 さんでしょう。ともすれば敷居が高くとっつきにくいように思われる内容を、分かりやすく親しみやすいようレイアウトしてくれました。様々な無茶難題にも諦めずに向き合ってくれたのも本当に感謝です。
是非、会場で体験してほしいです。東所沢はちょいと遠いですが、旅気分でぜひ。