世界によって自分が変えられないようにするために
--あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。--
マハトマ・ガンジー
2024年3.9日鹿児島のまちづくりについて語るシンポジウムが開催されます。このシンポジウムにデヴィ・スカルノ夫人が特別ゲストとして参加します。僕もパネリストの一人として登壇することになりました。入場無料。事前申し込みも不要。誰でも参加可能です。
つい先日デヴィ夫人はこのシンポジウムの準備もあって鹿児島を訪れ、県知事を表敬訪問しています。そのことは鹿児島の民法テレビのニュースでも全局報道していました。
その時にデヴィ夫人が知事に伝えたことは、海外での事例や国を動かす現場に立ち会ってきた経験を踏まえて、鹿児島県知事が推し進めているドルフィンポート跡地の再開発に異を唱えるというものでした。彼女の言葉はこの問題のモヤモヤするある部分を鋭く突いていたと思います。
ドルフィンポートの問題について、ここ数年僕らはずっとモヤモヤしっぱなしなわけですが、そこから見えてきた今の県政へのモヤモヤ。それはなぜなのか。その核心はどうも鹿児島の県政において(国全体そうですが)学校で習ったはずの民主主義が、現実にはぜんぜん機能していないんじゃないかと感じられるところからなんだと思います。
鹿児島県の場合は、知事と県行政が物事をほとんど民意とは無関係に進めているように見えるところにあります。知事が勝手にやっていることに違和感があるとかそういう感情的な問題ではなく、民意を反映できない仕組みとマインドセットがそこにはある。
そもそもドルフィンポート跡地が問題になるのは、県が海外にも学んで作ってきた港湾のあり方のグランドデザインに基づく民間のコンペを、「コロナを理由」に現知事が不透明な形でうやむやにしたところから発しています。
このコンペは2020年に行われるはずでしたが、今もまだ「コロナを理由に」延期されたままです。そして知事の腹案であったスポーツコンベンションセンターというものがいつの間にか決まったものとして建てることになってしまいそうな状況がでてきました。
選挙に一度通ってしまえばなんでも動かせるのか。「緊急事態」というものを巧妙に利用して、民主主義をないがしろにしたり、市民が地域の重要な決定に意見を述べたり参加する権利がじわじわと侵害されているのではないか?
確かに塩田知事の選挙時のマニフェストには、ドルフィン跡地に「コンベンション機能や展示機能の整備」を検討するということは書かれていました。しかし、そこにいつのまにか体育館が盛り込まれ、250億の予算をつぎ込むということまでは書かれていません。
https://www.pref.kagoshima.jp/ac11/chiji/manifest2/manifest_6.html
もし桜島の景観を潰してでもこの巨額の予算をかけて巨大なハコモノをつくるとマニフェストに書かれていたら4年前の知事選挙当時みんな支持したでしょうか。当選後にマニフェストにかかれていないことを盛り込むのであれば、もっと民意を問うべきではないでしょうか。
県知事は、コンベンション機能に体育館を盛り込んだのはじぶんが決めたのではなく「専門家」の意見を取り入れたからだと言います。決めたのは専門家なので、民意はそこで反映されているというロジックです。
でもそれはおかしい。今の検討委員会は「体育館ありき」で検討をしています。そもそもこの市内で最も景観の良い場所を「どう使うか」ということを行政が先に決めてから委員会にかけている。それで民意を汲み上げているというのはただのポーズだし、官僚語で書かれた資料ばかりホームページにアップされても一般市民には全く響かない。むしろわかりづらいようにしているのだと思いますが。
知事はデヴィ夫人には「体育館はもう決まったこと」だと説明したそうですが、決まっているのは知事の腹づもりだけであって、いつどこの議会でどのレベルの承認がなれたのか、こちらも県民にはきちんと説明されておらずわからないままです。
行政が議会とも明確な議論をせず、体育館有りきで物事をすすめている。議員やマスコミからいくら厳しく追求されても、現場の行政の担当者はひたすらうつむき嵐が過ぎるのをやり過ごすだけ。そして知事も含めた行政内部で決めたことに、一度首長選挙で通ってしまったらそのあとは少なくとも4年間は民意が届かない。
みんなが100%納得できるプランなんてないことくらいわかります。県としても表面上はさまざまな県民にアイデア募集をしてみたりはしていますが、それもどこかにどのように反映されるのかも全くわからないままなのが困る。やっていることは結果ただのガス抜きでしかなく、事実パブリックコメントもアイデア募集も「体育館に反対ではないが、建てるのはドルフィンポートではない」という意見が大半寄せられているのです。
同じような態度は川内原発の稼働延長の問題でも見られます。マニフェストでは知事は県民投票によって民意を問うと明言していました。ところが、県民投票を求める4万6千筆もの署名があったにもかかわらず、専門家に聞いたところ必要ないという見解で、他の県でも同じように棄却しているという理由で県民投票をする必要はないと言ってあっさりと流してしまいました。署名した人たちは原発に一方的に反対しているのではなく、賛否を問うための投票を求めました。しかしそれすら認められない。
たしかにこちらもマニフェストをよく読むと県民投票は「必要に応じて」と一言差し込んであります。しかし、選挙の時に知事を支持した人たちは、この人は私たちの声に耳を傾けてくれる人だという印象を持ったのではないでしょうか。ところがその後の事実は全く違います。それで票を獲得したのだから大した戦略家です。
https://www.pref.kagoshima.jp/ac11/chiji/manifest2/manifest_2.html
民主主義の基本に三権分立というのがあることは学校で習いますが、どうも行政とその首長が独自に決めることが多すぎる。つまり三権のバランスが崩れている。ここに県政に感じるモヤモヤの核心があると思うのです。
私たちが選挙で選んだ議員が集う議会の議論によってではなく、行政が「いつの間にか」一方的に重要な物事を進めてしまう。そして一旦動き始めた歯車は、誰もが本心ではなんか違うと思っていても誰も止められない。
このモヤモヤの原因は知事だけの問題だとは思いません。現知事には官僚的なレトリックばかりではなく、もっとご自身のリアルな言葉で説明責任を果たしていただきたいですが、それ以前にこれは私たちの無関心が招いた状況なのだと思います。
みんな日々の暮らしや仕事で忙しい。国や県の大きな予算を使う複雑な巨大プロジェクトはプロである行政に任せておけば良いとして、無関心を決め込んで来たことがこのリーダーを生んでしまいました。このままでは後の世界に大変な負の遺産を残します。
すでに体育館は県が計上している250億円の予算では到底建たないだろうという試算もあります。東京オリンピックでも大阪万博でも資材高騰の問題が指摘されてきましたが、現在は普通の住宅建築でも当初予算の1.5倍を超えることはざらにあります。
鹿児島の地域の規模には不釣り合いな下手すると400億を超える税金を投入して、100年近く観光資源である景観を塞ぐ巨大ハコモノが誕生しようとしています。
それだけのものをつくるのに、その負担をする私たち県民には未だ詳細な設計図すら提示されていません。それで決めてしまおうとしている。家を買う時にどこにトイレがあるのかないのか、2階建てなのか5階建てなのかもわからずに総額だけ見せられてお金を払えるでしょうか。
愛の反対は憎しみではなく無関心。少なからず関心を持ち、このまま放っておいて大丈夫なのか自分の言葉で考え、対話の声を上げることが問われていると思います。 世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするために。