自由ってなんだろう。 ほぼたいていの人は自分がどこか不自由だと思って生きていると思う。時間、仕事、場所、経済、人間関係。自由を阻害する要因ってたくさんある。そういういろんな「うすのろ」なものに支配されているとうっすらみんな思っている。何かに支配されている時、そこに自由はない。 ただ、それがわかってさえいたら自由に近づける可能性がある。敵が見えているし単にそれを乗り越えるための課題を解決すればいいだけだから。 実は一番危ないのはいろんなものの支配に気づかずにいる時だ。支配
僕はとっさの衝動で行動してしまうことがある。ジャンボリーを始める時もリバーバンクを始める時もそうだったし、鹿児島のNPO法人SELF(薩摩リーダーシップフォーラム)のきっかけのひとつを期せずしてつくってしまった時もそうだった(みたい)です。よくネタにされるんだけど言いっ放しにしたつもりはその時はなかった(汗)。 それにしても、大体そういう思わず手を挙げちゃうっていうのは直感的に違和感を感じていることから起きる。2018年の少し前というのは、鹿児島は県をあげて明治維新150周
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f886820859b20b9123d6cb2cd08c96b08ffda9d 「◯◯人は〜〜が苦手」というような物言いはあまり好きじゃない。 なんでもステレオタイプにまとめて大雑把に把握するのは解像度が低すぎると思うから。 とは言いながら、それでも僕ら日本人は議論や対話があまり上手じゃないようにも思う。それはなぜだろう。 人が「話し合う」時にはいくつかのやり方がある。 ディスカッション(議論)や
本当はこんなこと考えたくない。 自分が生まれ育った街の恥部をさらすような真似もしたくない。 でも黙ってもいられない。 地方はどこでもそうだけど、政治と距離の近いから目立つだけなのか。 これは鹿児島だけの問題なんだろうか。 全国ニュースになった鹿児島県警の不祥事問題、 原発の県民投票請求を否決した問題、 救命救急病院設置問題(医師会が反発し塩田知事の推薦を取りやめるに至った) もちろんドルフィンポート問題、 楠隼中学・高校の共学化問題などなど。 この問題の根は全部同
これまでずっと考えてきたドルフィンポート問題。それのどこが問題なの?っていうのを、みんなで対話してまとめたタブロイド誌ができました。 海洋都市として400年以上かけて先人が作ってきた鹿児島の街。海に向けて開かれていたところから他の地域にはない独特の文化を育み、発展してきたのが薩摩〜鹿児島の歴史です。 その街の文脈が、ハコモノによって分断されようとしているというのが僕個人としては一番の問題だと思っています。 長い時間にわたって県民的な議論が巻き起こっているにもかかわらず知
「自分の葬儀の時に流してほしい曲はなにか今のうちにきいとくね」と唐突に妻に訊かれた(真意はよくわからない)。その時少し考えて僕が取り出した1曲。シンプリー・レッドが歌う、コール・ポーターの作詞作曲によるスタンダードナンバー”Everytime we say goodbye”。 あまりポップソングを聴く印象がないのか、シンプリー・レッドが好きだと言うと少し驚かれることがある。確かに90年代以降の彼らがビッグスターになってからのものはあまり聴かないけれど、デビューしたばかりのミ
あらゆる音に対して開かれた耳には、すべてが音楽的に聴こえるはずです。 ーージョン・ケージ 僕は耳から生まれた人間だと思う。初めてそれを意識したは小学生の頃。お年玉を貯めてウォークマンを買って外で環境音と一緒になった音楽を聴いた時だ。 ポケットの中の小さな箱につながったワイヤーから、僕の耳にだけ届く音波が退屈だった目の前の日常の風景を全く別のものに変えてしまった。音によって自分の一部が生まれ変わったような圧倒的な驚きがあった。それ以来ジャンルとしての環境の音楽ではなく、音が
--あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。-- マハトマ・ガンジー 2024年3.9日鹿児島のまちづくりについて語るシンポジウムが開催されます。このシンポジウムにデヴィ・スカルノ夫人が特別ゲストとして参加します。僕もパネリストの一人として登壇することになりました。入場無料。事前申し込みも不要。誰でも参加可能です。 つい先日デヴィ夫人はこの
台湾に久しぶりに滞在。そこで考えたこと。自分のメモのためにテキストにしておこうと思います。 今回は台湾のいくつかの地方創生などを研究している大学から手招きを受け、日本でのプレイスメイキングの実践例を紹介するということで台北市から南投〜高尾市まで移動しながらいろいろな人と交流してきた。 今回は研究者や学生ともたくさん会う中で、相変わらず台湾の人々の日本に対する関心の高さというのを実感したのだけど、それ以上に現地でなければ感じられないことや分からないことの吸収のほうが多かった
鹿児島では「この場所に」つくらないでくれという人が多い一方で、香川ではこの場所に「残してほしい」という声。少し前は東京でも国立の競技場を「どうつくるか」ということで紛糾した。 問題のひとつは、体育館は作る時もその後も何十年にも渡ってコストセンターであり続けるということがあるんだろう。作る時にコストがかかるのはそれで莫大な仕事が生まれて儲かる人がいるから推進力は強い。経済至上主義で考えれば、新しく作ることは是でしかなく、反対意見は押し流されてしまう。 作った後はひたすらコス