今を生きる人々はみんな先生だ。
どうも
しゅーとです。
ネパールは、5月31日まで国際空港閉鎖が決まりました。
実質、3ヶ月間の帰国難民となりました。
ずっと一人だから考えることが多いこの頃です。
ふと。思ったことがあります。
ロックダウンが世界中で延長される日々と比べると、ほんの数ヶ月前までのボクたちの日々はどこにいったんだろ?って思う時があります。ボクが生きてきた24年間は夢だったんかな?とも思います(病んでません)
なんでかと言うと、当たり前のように、誰かと飯が食えて、オシャレして、誰かに会いに行って、太陽の光に包まれた日々を過ごしていた日々から、
一変して、小さな部屋で飯を食って、画面越しに友達と話して、眩しすぎる蛍光灯に照らされて過ごす日々に変わっていったから。
急激に何もかもが変わっていくもんだから、心が世の中の流れについていってないんですね。
また、
個人のライフスタイルのみならず
冷静に世の中を見渡せば、
世の中では、仕事や友達との関わりがオフラインからオンラインに急激に変わっていってます。最初は戸惑っていたけどちょっとずつ慣れていってる現状も伺えますし、もしかすると、いつかは家にいることにも慣れていって、当たり前のようにこの現状を受け入れていくのかもしれません。
時代の流れが変わる中で、失うこともあれば、得られることもあり、この時代の流れを共にしている人類77億人はどう受け入れていくんだろう。
気になって仕方ありません。
これが時代の流れ?ってやつなのでしょうか?
と、ふつふつと思考を巡らせるんですね。
で。
ボクは思うんです。
今まで、ボクたちが親しんでいた何もかもが急激に変わり始め、そればかりに目をとらわれ過ぎると、もともと目の前にあった大切なものまで消し去れられていくのではないだろうかと。。。
例えば、zoomミーティングが普及したことで、生産性が上がった企業もあります。その一方で、ミーティングする時にお世話になっていた地元のカフェだったり、たまたまある人々との出会いが急に遠沙汰されるかもしれない。
ボクは意外と、そんな空間で美味しいコーヒー飲みながらみんなと話したりすることや、知らない人に挨拶して仲良くなるコトが好きだったから、無くなるとちょっと悲しい気持ちになっちゃんですね。
それが大切なことなのかどうかは今のボクには分からないけども、1つだけ言えるのは、何かが変わるってことが、何かが失われることに繋がるならそれは見直さなきゃならないって思う。
高度に効率化された現在から更に、ボクたちが逆らえない流れの中で精度が研ぎ澄まされて効率化が進んでいき、何か見えない大切なものが失われるのだとしたらボクは、必ず後悔すると思うんです。
きっと、何かが変わるってことは、
効率性によって何かを排除するのではなく、
人々の生活をより豊かにするもの
でなければならないとボクは思うんです。
今は言語化できないけども、何かが変わってしまった未来を誰かが目にした時に『昔はこれがあたり前だった。だから取り戻そう』なんて事を言い始めるかもしれません。
仮にそうなってしまった時に、何年もの時を経て取り戻す行為こそが効率が悪いの極みだとボクは考えるんです。
でも。残念なことに歴史を辿れば、ボクたちは何かを失ってからじゃないと気が付かないことの方が多いです。
何百年、何千年もの間、進歩、もどかしさを感じて今の時代まで繋がってきて、結局、何も変わらないんじゃ、ボクたちは一体何のために命を今まで繋いできたんだろう?と疑問すら思います。
きっと、こんな事を感じていたのは、今を生きるボクたちだけでなくて、先人もずーっと感じていたんだろうと思う。
ボクたちはもしかすると、大切かもしれない先人の言葉を先人のエゴというふうに捉えて、『古い。時代遅れ』と言う言葉で片付けて踏みにじってきたかもしれません。
そうだとすると、本当に恥ずかしい。
だから、これからは、
今を生きるボクたちが、
ちゃんと先人の知恵や経験を汲み取っていき、
何をこれからの時代に
引き継いでいくべきで
何を変えることが
人々の生活を豊かにするのか?
そんな事を考え
今を生きる子供たちに
かっこいい背中を見せること。
を実践していかなければ
と思いますし、
それは
今を生きるボクたちに
しかできないコト
であると思います。
まとめると、
時代が変わりゆく中で
本当に大切なコトを
ありとあらゆる人から学び
『今を生きる人々は、
みんな先生だよ?』
というスタンスで
効率化するのではなく
未来を豊かにしていくことが
大切だという主張です。
そんなコトを今回の騒動を
通じて改めて感じました。
1週間後にまた孤児院に行った時に子供達に伝えようかと思います。
では!
【子供たちに会ってきました。見てね♪】
ネパールの孤児院建設費用に全額費やします。