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「社内恋愛探偵」③ (たぶん8分で読める)

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「経理の尋問」

社恋会議が終わり、経理課に戻る。席に座るやいなや、同僚のさなえが声をかけてきた。

「また? 社内向上委員会の集まり? ほんっとお疲れ様。」

さなえは、私が社恋会議に参加していることを知らない。表向きには社内環境を良くするための打ち合わせということになっているからだ。まあ、仕事中にいい大人が社内恋愛の話でああだこうだ言っているなんて、他の同僚に言えるわけがない。

「そうなのよ。常務が全然やる気なくてさぁ。」

「あの人、そうだよねぇ。早く辞めちゃえばいいのに。」

さなえとは話が合う。経理課の中で一番仲がいい。同じ上司や営業が嫌いで、好きな顔のタイプもほぼ一致する。だから、彼女は社内で数少ない心の友だ。私はさなえと上司の悪口を言い合いながら、経理の仕事に戻った。

私たちOLの精神は、上司の愚痴を言うことで保たれている。これは世界共通の真実だ。悪気はない。許せ、上司。

ふぅ、早速雑務の山、ピラミッド書類をなんとかしなければならない。やれやれ。実は経理の一日は忙しい。いつも定時で帰っているからといって、経理が暇だと思っている日本中の営業の皆さん、ぶっとばすよ?

経理の仕事は領収書を処理するだけではない。取引先への請求関連も経理が担当する。請求書は営業が作成するが、その請求書を発送するのは、うちでは経理がやる。仕事をサボる営業の連絡ミスで、期日までに指定の金額が先方から振り込まれていない場合、取引先とのやり取りをするのも経理の仕事だ。

売り上げを管理し、会社の大事な決算期に向けて最終的な数字を算出するのも経理。ただ、楽しいこともある。売り上げ目標が達成されていないことがわかるたび、社長を含めた上役の絶望の表情は壮観だ。これが最高にたまらない。あんたらがサボっているから、そうなるんだよ?

ちなみに、数字を扱う経理は、数字に強い人よりも洞察力が鋭い人がうちの会社では選ばれやすい。数字の不正は、会社の命取りになりかねないからだ。領収書や得体の知れない請求書などは、しっかりと吟味しなければならない。同僚のさなえは、会社に送られてくる「請求書」という文字の書体を見ただけで、送り主が危ない企業かどうか判断できるレベルだ。

怪しい会社から送られてくる請求書のフォントは、さなえ曰く「角ゴシック」らしい。請求書は通常、明朝系の書体で書かれているが、角ゴシックは新しいベンチャー系が使うことが多く、企業体系がまだ安定していない会社が多いという。さすがさなえ。

話が逸れたけれど、何が言いたいかというと、経理は忙しいということ。定時に帰るのは営業へのプレッシャーだ。「期日を過ぎたら何もしないよ?」というメッセージを常に送り続けている。

そんな忙しい業務の傍ら、社内恋愛の調査をするのは一苦労だ。雑務をこなしながら、さまざまな部署を観察しなければならない。しかし、経理の立場が社内恋愛の調査に有利な点もある。それが「この書類の件ですが」という一言だ。

どういうことか? 実践してみよう。そうだな、何かいい材料はないか‥。あ、いいのがあった。記載漏れしている仮払い申請書があるじゃないか。

仮払い申請書とは、例えば営業が出張などで移動する際に、前もって会社から移動費用を前借りする制度のことだ。申請書には、仮払いで使う用途(例:大阪までの新幹線)や出張する目的(例:地方の取引先との対面商談)などを事細かに記載しなければならない。この申請書の目的欄には「日帰り」としか書かれていない。馬鹿か、旅行気分か。それで申請が通るわけがないだろう。残念なことに、雑に申請書を送りつけてくる輩は本当に多い。むしろ、こういった申請書を正しく書ける人は、うちの会社でも、日本中でも絶滅危惧種だ。

一番ひどかったときは、目的の欄に「お客さんとデート(笑)」と書いてきたやつもいる。経理をジョークで笑わせようとしたらしい。私は殺していいと思う。日本の営業は経理を煽るのが本当に上手い。

さて、話は逸れたが、記載漏れの申請書を送ってきた営業をどう問い詰めるか。通常、経理は記載漏れの申請書について、申請者に社内チャットで「どういうことですか?」と聞くだけで終わる。だけど、私はそれをしない。申請書を口実に直接、対象者に会いに行く。チャットでは相手の表情や態度、焦りが見えない。まずいことは表情に出るんだよね。歴代の元彼がすべて教えてくれた。

営業三課に向かう。三課は休職に入った飯田さんが所属している営業課でもある。営業三課は、6つある課の中で上位の成績を収めているチームだ。それなのに、メンバー一人一人に目標を課さず、それぞれが自由に働ける環境を課長が作り出している。今の若手が働くには理想的な環境だと思う。

あ、記載漏れの奴がいた。営業三課の竹下さん、いや竹下くんだ。早速竹下くんに話しかけた。

「あ、竹下くん。仮払い申請書、少し雑だよ? 書き直してくれない?」

「あー…。いちさん、ごめんなさい! 今週中にやっときます!」

普段なら「は? 今やれよ」って言うところだけど。

「なんとか、明日までにやってね?」

竹下くんは五年目くらいの若手。実は経理の中ではかわいい系のルックスで有名。私もちょっと、こういうタイプの顔は嫌いじゃない。

「はあ〜い。いちさんに言われたら仕方ないよなぁ。特別ですよ?」

なんだよ特別って、こっちが注意している側なのに。まあそこがかわいいところでもある。竹下くんは少し年上の女性の扱いが手慣れている感じがする。自分がかわいい系なのもわかっていて、生意気を生意気に感じさせないプロフェッショナルだ。だって、もし四十代の少しベテラン営業で加齢臭がするような人に「特別ですよ?」って言われたら、いくらこの国には法律があるからといっても、さすがに手が出る。張り倒してしまう。

「あ、いちさん、クッキー食べます?」

「クッキーでごまかそうとしてるでしょー。」

ほらぁ、こういうとこ。ずるい。注意してきた人にクッキー渡すとか、あざとい。でも、あからさますぎて、逆にかわいい。ちくしょう。経理だって人間だ。誰に対しても平等のつもりでいるが、かわいい、タイプなルックスの後輩に甘くなってもいいじゃない。だって、毎日上司のつまらないギャグに耐えているんだから。

「あ、あの、ちょっといいですか?」と思い出したように私は聞く。クッキーに免じて、今週中にやっておいてね、ではなく、本題はこっち。

「竹下くん、飯田さんが休職した理由って知ってる?」

すると竹下くん、目が少し泳ぐ。

「え、あ、いえ…、特には。ええ。体調不良だと聞いてますが…。」

 前言を撤回します。竹下くんはモラル的に悪いことはしないと言ったけど、それはどうやら違うかもしれない。質問したとき、最初に沈黙してから「…あっ」と思い出したような反応をするのは、かなりグレーよりの黒だ。うちの営業は基本、即レスが求められる。簡単な質問にはすぐに返答することが礼儀であり、時間的にも効率的だ。人は、触れられたくないことを質問されると、よく悩むふりをする。回答を保留し、余計なことを言わないようにする防衛反応だ。心の隙を突かれたことで、正常を装う意識が、つい違和感として表れてしまうのだ。

あの時の「けいすけ」もそうだった。家に帰ったときに、洗面台の私の歯ブラシの位置が変わっていた。そのことに気づいたとき、特に何も思わなかったけど、「ひょっとして洗面台、掃除した?」と軽く聞いてみたら、「…ん?ああ、ん?そう。」と答えた。掃除したなら「うん」とか「そう」の一言で済むはず。なぜ、わたしの質問に少し考える素振りを見せたのか?そう、心の隙を突かれた男は脆い。わたしは「あ、そっか、ありがとね」と言った。気づいていたけど、それ以上その場では言えなかった。信じたかったから。

「ふーん。竹下くんさぁ、ひょっとして飯田さんと何かあった?」
「何もないです。」

 と突然の即答。あら、いきなり犯人を見つけちゃった?ミステリーなら、もう少し作者が考えた方がいいよ。大丈夫?これで持つ?何もやましいことがなければ簡単な質問には即答できるはずと考えている男性諸君、甘すぎるよ。

 例えば、台所で火事になりかけたら、何も考えずに火を消そうとするでしょ?スマホで昔の写真を見ていて、元カノが出てきたらすぐに次へとスライドするでしょ?「ねぇ、わたしたちって付き合ってる?」って聞かれたら「え、友達でしょ?」って、たとえベッドの上でもすぐ切り返すでしょ?最後のは違うかもしれないけど。

目の前でやましい火事が起こると、人間は火消しに走る。火事場の馬鹿力という言葉があるけれど、わたしの経験上、やましい火事であるほどその力が発揮される。人間は、バレたくない時ほど本性が現れる。つまり、即答しすぎると火消ししているようにしか見えない。早すぎても疑われ、少し考えても疑われるなんて理不尽じゃないか?と思う男性もいるかもしれない。

でも、忘れたの?今まで色恋沙汰で理不尽じゃなかったことがあった?恋愛なんてすべて想定外の連続だ。あの人のこと、絶対に好きにならないと思っていた人があなたの隣にはいない?恋はアクシデント。それが良いアクシデントなのか、悪いアクシデントなのかはあなた次第だ。

「ふーん。飯田さんがなぜ休職になったか知ってる?」

「いやぁ、課長から体調不良としか聞いてなくて…。あ、すみません、次の予定が入ってて!仮払いの申請書を直しておきます、それじゃっ!」

まぁ、容疑者は話さないよね。疑われている人は現場から離れる習性があるのは、何も殺人犯だけじゃない。ちなみに、竹下くんのこの後のスケジュールはガラ空きだ。竹下くんのスケジュールなんて社内カレンダーを見れば一瞬でわかる。嘘を嘘で取り繕おうとするから、人はすぐにバレる嘘をついてしまうんだ。

でも、少しつっつきすぎたかな。もう竹下くん自身から情報を集めることはできなさそうだ。まぁ、いきなり容疑者を発見できたことだし、よしとしますか。とりあえず私は経理課に戻り、残りの仕事を終わらせてから華麗に帰宅。竹下くんの身辺調査は後日、ゆっくり始めることにしよう。

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