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エクス・マギストロ
俺は格子のむこう、湿った牢獄の中にいる。
捕らわれの身で飼われている若い鷲、
哀しげな俺の同志は、翼を振り動かし、
窓際の血まみれな餌をついばむ。
(A・プーシキン「囚われ人」より)
1
六時三十分に目が覚めた、この家に住みはじめてから起床時刻はいつも同じ、私の体内時計は正確に調整されている。寝室兼用の居間には朝日が射し入る窓もないが、この時刻に照明が点くよう、入居後すぐに設定したからだ。他のことはともかく、私の仕事に不要なこの機構だけは気に入っていた。
布団を片づけ顔を洗いに行こうとして、壁に掛かったカレンダーが目に入った。赤のサインペンで丸く囲まれた日付がある。今日だ。日付の下には「管理局への回答期限」という殴り書き。覚悟はできている。二週間前に自分で印をつけて以来、毎日確認してきたのだから。
引き戸を開けてすぐ左手の浴室に入る。洗面台の鏡の中から私を見返す顔は、充実していた前半生が無意味な後半生によって塗り潰されてしまったことを物語っている。運命の不条理さに対する失望や一時的にせよ開き直って送った自堕落な生活の痕を、その顔から消し去ることはできない。三年前に密かな企図が水泡に帰してから、色あせた自分の分身を見るたびにそんな想念が湧くようになっていた。
三年前――
五十六歳の誕生日を数日後に控え、最後の職業適性検査を受ける準備をしていた私は、街の反対側に住む息子に電話をかけた。特に用があったわけではない。唯一の肉親として、久しぶりに声を聞きたくなっただけだ。私がそれまでずっと学者の認定を受けようとしてきたことを息子は知っていた。今回もまた挑戦するつもりだと言うと、彼は溜息をついた。
「お父さん、今度はどんな専門分野で認定されたいんです?」
「近代思想史だ」
「昔の大学にあったとかいう教養科目みたいですね。前回は倫理学、その前は社会心理学、そのまた前は比較文化論か西洋美術史でしたっけ。今時そんな分野に需要があるんですか?」
息子の言葉に悪意は感じられなかった。専門外の分野に関心も理解も示さないのは新制度下で育った世代に共通する特徴であり、彼に限ったことではない。
「そりゃあ、あるだろう。普遍的な学問分野に需要がなくなるはずがない」
「また理想論ですか……。確認はしたんですか?」
「確認する方法がどこにある?」
「あるんじゃないですか、常識的には。僕は転職の必要がなかったので知りませんけど」
「知らないなら、いい加減なことを言うな」
「わかりました。もう何も言いません。ただ、少しは自分の立場を考えたほうが……」
「どういう意味だ」
「すみません、今夜はこれから予定が入ってるんです。もう出かける用意をしないと……」
電話が切れた。
理想論か。あいつには自分なりの理想があるのだろうか。それとも、外科医としての職務を完璧に遂行すること以外、何もないのか。生物学的には親子だとはいえ、長いあいだ離れて暮らしていた息子の心はもうわからない。髭を剃ったばかりの顔に水がしみた。
居間に戻る。寝巻を脱ぎ、昨夜トランクから出してハンガーに吊るしておいたワイシャツとスーツ、スラックスに着替えた。東京にいた頃に仕立てた一張羅だが、汚れも染みもなく、身体にぴったり合った。当時私は、この姿で教壇に立つ平穏な日々が続くことを疑いもしなかった。
おぼろな記憶の底から、最後の授業の個々の瞬間が、断片的ながら鮮明なイメージとして次々に浮かび上がる。生きていれば中年になっているはずの教え子達の人生が、大災厄のあとどう流転していったのか、私には知る術もない……。
だが今は感傷に耽っている時間などない。午前中に市職業管理局の職員が来るだろう。その前にやるべきことを一つずつ、確実にやらねばならない。
まずは現状の確認と食事だ。テーブルからIDカードと財布を取ってスーツのポケットに入れ、ノートパソコンを立ち上げる。隣接する狭い台所でコーヒーを淹れ、紙袋から食パンを一枚取り出してトースターにセット。マグカップを片手に居間に戻ると、検索サイトを開いて最新ニュースを表示させた。
見出しに目を走らせる。
「『アーチスト』か『クリエイター』か? 政府が職業セクション改称を検討」。改称したところで何も変わるまい……。トースターからパンが飛び出す音。台所から小皿に載せたトーストとバターナイフ、ジャムの小瓶を運ぶ。ジャムをパンに塗りながら二つ目の記事を読む。
「同性婚の婚姻年齢を男女とも二十五歳に引き上げ」。性的指向の多様性に対する寛容さと人口減少対策との妥協点がそれか……。
主な記事を読み終えるまでに朝食は胃の中に収まっていた。私のこれからの行動を左右するほど重大なニュースはなかった。
カップに残ったコーヒーを飲み干し、新着メールをチェック。視聴者向けの広告メールだけだった。パソコンの電源をいったん落とす。時刻は七時を回ったばかり。まだ二時間はある。それだけあれば、同志達に最後の挨拶を残し、私と彼らとの関連を示す証拠を破壊するには十分だ。
汚れた食器を台所のシンクに放り込み、ジャムの瓶を冷蔵庫に戻してしまってから、今日はそこまでする必要がなかったのだと気がついた。この家の残り物や洗い物は、どうせ二、三日中に処分されるのだ。
パソコン本体と電源アダプターを脇に抱えて部屋の引き戸を開ける。敷居を跨ぐ前に八畳の和室を振り返り、余計な私物を残していないか考えた。何もない。二週間電源を落としっぱなしだった五十インチのテレビが、恨めし気な黒い画面で私を見返している。私はずっと、これで視聴者としての職務を果たすよう要求されてきた。人間のあらゆる活動を見世物に変えるこんなやくざな機械など、喜んで国に返してやる。
戸を閉め終える前に部屋の灯りが落ちた。
書斎に通じる四メートルほどの廊下の片側には大きな窓があり、そこから裏庭が見える。入居後しばらくの間、私は人類や私自身に降りかかった災いを忘れさせてくれるこの場所に、時が経つのも忘れてぼんやり立っていることがあった。ガラス越しに見えるのはコンクリート枠に囲まれた地面に灌木や笹が植わっている小庭と隣家の壁だけだが、書斎から見える前庭よりは風情がある。小綺麗に砂利でも敷けば昔の日本庭園を偲ぶよすがとなったかもしれないが、都市改造を担当した役人達にはそこまで考える余裕がなかったようだ。無理もない。巨大な喪失感を抱えながら極力理性的に行動しようと努める緊張感の持続によって、人々の心はすっかり干からびてしまった。
窓の反対側にあるドアを開けると書斎の灯りが点く。書斎といっても、この洋風の六畳間には、天井まで届く本棚があるわけでもマホガニーの机が鎮座しているわけでもない。机、椅子、本棚は部屋の付属品であり、質素で無個性な規格品だ。ちっぽけな本棚に収まりきらない書物は、カーペットを敷いた床の上に、高さのばらばらな塔のように積み上げてある。ここは私が読書と執筆を行う部屋という意味で書斎と呼んでいるだけで、就業した国民全員に無料で提供される住宅の標準的な洋室にすぎない。八畳の和室と六畳の洋室、台所、トイレと浴室、申し訳程度の収納スペースと玄関からなる住居は、職務を果たすことと引き換えに与えられる最低限の報酬の一部なのだ。
明るい陽光が、窓の矩形を机と灰白色のカーペットと本の山に投げかけ、直線だけからなる複雑な形を描きだしている。ノートパソコンと電源アダプターを机に置き、窓の外に目をやる。
芝生と植込みだけの前庭、その向こうには毎日の散歩で見飽きた街並みがある。街路樹のある歩道と二車線の車道。道路の両側に並ぶ視聴者向けの家々はすべて平屋建てで、外壁にクリーム色の塗装が施され、傾斜の緩い三角屋根はコバルトブルーの瓦で覆われている。一見こぢんまりした快適な庭付き一戸建て住宅だが、実はそうでない。前庭は塀や柵で区分されていない公共の土地で、芝生や植込みには道路と家々とを物理的に隔てる役割しかない。家のほうは単身者が一人で住むには十分だが、夫婦が子育てできるほど広くはない。子供の有無とは無関係に二階建ての家に住めるのは、各職業セクション(通称「セクト」)の上級民、中級民とその家族だけ、つまり全人口の半分以下だ。
長年住んだこの家とはおそらく今日でお別れだが、何の感慨も湧いてこない。当然だ。ここで過ごした日々は、第二の人生と呼ぶにはあまりにも貧しかった。私はこの街で働く代償として国から家を供与されたが、愛する仕事や家族を失ったあとで住む場所だけ与えられても、我が家としての愛着を抱けるはずもない。
大災厄のさなかに妻が行方不明となり、息子と仮設住宅に暮らしていた私は、おそらく彼の年齢が理由でこの街に住むことを許可された。施行されたばかりの新しい教育制度と職業管理制度では、国民全員が八歳で最初の職業適性検査を受けることとされた。この街はそれら新制度の有効性を実証するためのモデル都市で、息子は八歳を迎えたばかりだったのだ。新制度下では片親の生徒は寮で暮らさねばならなかったため、私は単身者となった。無職のまま行政区画内のワンルームマンションに移された私は、数ヵ月後に三十二歳の誕生日を迎えると人生初の職業適性検査を受け、ユーザー専用区画の視聴者区域に居住許可を得た。その後、医師の専門教育を受けて育った息子とは次第に疎遠になり、ここ数年はメールのやり取りさえしていない。
息苦しさを感じて窓を開けた。
生ぬるい外気が部屋に流れ込み、草の匂いが鼻孔をくすぐる。芝生が銀色に輝き、プラタナスの街路樹が大きな掌のような葉をそよがせている。制服姿の若い下級ドライバーが乗用芝刈り機を運転していた。青年は私に気づくと、にこやかな顔で片手を振ってみせた。視聴者の家々が延々と続く芝生道をのんびりドライブしている彼は、確かに幸福なのだ。上級ドライバー職としては航空機のパイロットや政府要人の専属運転手、中級なら長距離バス運転手もあるが、彼の資質と能力はAIによって乗用芝刈り機レヴェルと判定され、本人もそれを受け入れているということだ。
机の上に灰色の封書が見える。二週間前に市職業管理局から送られてきたものだ。宛先はK市第8区画第3区域4051(それが私の住所だ)。第8区画第3区域はK市だろうがN市だろうがどこでも視聴者専用である。全国共通の区画番号と区域番号は、今では幼年学校の生徒が「じょうしき」の授業で暗記させられている。区画番号はセクトを、区域番号はセクト内での序列を示しており、序列は上級、中級、下級の三種だけ、区域番号も1から3までしかない。第3区域の住人は全員が下級セクト民で、ユーザー専用の第8区画ではそれが視聴者というわけだ。
視聴者は週五日、毎日ネット上の有料コンテンツを五時間以上鑑賞し、十件以上の製品、サービス、コンテンツに対して十段階評価を下すことが義務付けられている。要するに視聴者の職務とは、日常的に利用する商品やサービス、初めて視聴する動画や音楽を、消費者代表として採点することだ。レヴューの執筆は任意。だが中級ユーザーであるトップレヴュアーには毎週四千字以上、上級ユーザーである批評家には一日二千字以上のレヴュー執筆が要求される。私達の採点やレヴューが「誠意ある」ものであるかどうかは、中央職業管理局のAIが判定する。ユーザーによる評価は、管理局が他のセクト――主にアーチスト、工芸家、ネットワーカー、もっと稀にだが技師、農夫、ハンター――に属する人々の仕事を評価する際に利用される。視聴者の採点が特定の商品やサービスに対する注目度を左右し、トップレヴュアーや批評家のレヴューが通販サイトのカートに商品を入れるとかサービスの常連になるといった消費行動を促すのだ。政府の公式見解によれば、ユーザーの労働は「年齢や性、地域別の平均的嗜好を正確に数値化したり文章化したりすることを通じ、消費の活性化と生産及びサービスの効率化に貢献する」のだそうだ。
職務怠慢に対する警告書が職業管理局から郵送されてきてちょうど二週間、私は視聴者としての職務をわざと放棄してきた(職務と呼ぶのも馬鹿馬鹿しいほどの単純作業を、だ)。商品や作品のレヴューが義務であるトップレヴュアーや批評家に比べれば、視聴者は無為徒食を奨励されているに等しい。問題は職務遂行に心理的抵抗を感じるかどうかだけだ。
実際、この国で最も軽蔑される職業が視聴者なのは不思議なことではない。今では高齢者に引退の代わりに推奨されるほど楽な仕事だ。適性検査でどのセクトにも分類されないセクト外労働者(非セクト民)達でさえ、視聴者に対して侮蔑的な態度を見せることがある。五体満足で健康な人間が視聴者にしかなれないとすれば、それは無能力者か道楽者であることを意味する。以前、隣に住んでいた若い視聴者から聞いたところでは、向上心のある勤勉なユーザーは高等学院卒業と同時に批評家の認定を受けるらしい。報酬――供与される家の床面積と配給品以外の商品購入に使える現金額――も批評家のほうが大きい。その若者自身も「勤勉さ」が評価されたのか、間もなく批評家区域に越していった。
批評家になる能力が私になかったわけではない。昔は中学の国語教師だったのだから、並のレヴューくらいは書ける。現行制度下では批評家から博識や文才は要求されない。規定の分量を意味が通るように書けばそれでいいので、批評家という言葉の意味合いは昔とは全然違うものになっている。ユーザーの五人に一人は批評家だ。
初めて職業適性検査を受けた際、AIがランダムに選び出した五つの短い動画を観てそれぞれ四百字以内でレヴューを書けという課題に対し、私は回答欄を空白にしたまま提出した。そのようにして、わざと視聴者になることを選んだのだ。来る日も来る日も寄生的な消費者としてレヴューを書き続ける生活が嫌だったからである。
もちろん、いつまでも視聴者でいるつもりはなかった。二回目の適性検査からは学者セクトに認定されようと努力も続けた。だが、私にはわからない何らかの理由により、私が学者の適性を認められることはなかった。最後の検査を終えた私には、もう他のセクトに移行するチャンスがない。
繰り返し学者の認定を希望したのは、学者になるほうがユーザーでいるよりも誇りをもって生きられるからというだけではない――そう、私には別の目標もあったのだ。
普通教育の復活である。
容易に達成できる目標ではない。国民の大半は現行制度に満足しているのだから。実現するには、同志達との連帯や忍耐そして慎重で計画的な行動が必要だ。
全日本啓蒙団の仲間達は、私と同様に表向きは失業後初めての職業適性検査の結果を受け入れ、普通の市民として生活してきたはずだ。その後の検査で奇蹟的に管理者か学者セクトへの移行を認められれば別だが、そうでなければネットワーカーとして間接的にシステムの維持に協力しているか、私のようにユーザーとして傍観者の仮面を被っているかだろう。連絡を取り合う際も、体制への不満を抱えた元教師グループの一員ではなく、趣味の同好会や誰それのファンの集まりで出会った、或いはネット上で偶然知り合った友人同士ということにしておかねばならない。まだ具体的な行動計画もなく、メンバー間の意見交換や個人的体験の共有以外は何もしていない段階でグループの存在が露見しては、元も子もない。
机に向かって座り、パソコンを再起動させる。
パソコンのOSはリナックス系に入れ替えてあり、仲間が開発したファイアーウォールもインストールされている。グループの拠点やメンバーのリストだけでなく、その存在を示唆するような文書やデータ、密かに書き続けた普通教育論も、とっくに削除済みだ(忘れるべきでないことは事前に頭に叩き込んだ)。万全を期すにはハードディスクやメモリの破壊も必要だが、その前にやらなければならないことがある。こうなった経緯や私の決意を記して仲間達に伝えておきたいのだ。
私はワープロソフトを立ち上げ、全日本啓蒙団の仲間達に向けたメッセージを書きはじめた。
敬愛する元教師の皆さん
私がここに文章をアップロードするのは、今回が最後になります。
皆さんもご存じの通り、三十年前の忌まわしい大災厄のあと、社会の全面的な建て直しを迫られた我が国では、臨時政府によって「人類史上、最も合理的で公平な」教育制度が発案され、それが迅速に採用されました。その結果、小学校から高等学校までの教師のほとんどが失業し、不本意な転職を余儀なくされました。現在、八歳以上の国民には四年ごとに職業適性検査を受けることが義務づけられ、AIによって分析されたその検査結果が専門教育と職業認定の根拠とされています。人々は十三の職業セクションとセクション外労働者に分類され、自分のセクション内から選んだ職業の認定を受けることになっています。セクション間の移動は原則的には可能ですが、現実には三十代以上ではかなり難しい。人生の早い時期に「セクション外」に分類された人々は、高等教育の機会も与えられず、劣悪な環境で生きねばなりません。
現在二十代以下の国民の大半は、早い時期から嫌いな科目、不得意な科目の学習を免除され、自分の才能や資質に応じた分野に専念できたというメリットしか知りません。アスリートは二次方程式を解けなくともよく、農夫は古文も漢文も学ぶ必要がない。アーチストは団体競技をやる必要がない。普通高校も総合大学もなく、教師による進路指導は不要ということになっています。六歳から八歳までの幼年学校における「国語」「算数」「コンピュータ」「じょうしき」以外の教育は、事実上、すべてが職業教育なのです。小学校を含む各種専門学校での教育はトレーナーや講師、研究者達が主導し、教養科目は引退した職業人の一部が申し訳程度に教えているにすぎません。
この制度によって我が国の芸術文化や道徳がどれほど大きな損失を被ってきたか、皆さんもよくご存じだと思います。管理者達は、この制度には何も問題がないと繰り返し主張してきました。皆が自分の資質に応じて平等に機会を与えられ、個人の努力や能力が客観的指標に基づいて評価され、誰もが健康で文化的な最低限度の生活を保障されていると。しかし、本当に何も問題はないでしょうか。創作家以外ほとんど誰もシェークスピアを読まず、クラシック音楽といえば専門家以外の誰もが「癒しの音楽」や「どこかで聴いた名曲」しか連想しない社会、創造が生産と、鑑賞が消費と、感銘が快楽と同一視される社会、自ら変化の可能性を排除している社会が、果たして健全だと言えるでしょうか。
皆さんはそれぞれ思うところあって全日本啓蒙団に加入されたことでしょう。しかし私達の目的は一つ、現行教育システムの廃止と普通教育の復活です。この目的を合法的に達成するには、中央職業管理局の方針に影響を与えられる上級研究者の地位に就くか、上級管理者として政界で出世街道を進むしかありません。そのためにはまず、学者か管理者にならねばなりません。しかし、それは現実的な道でしょうか。
私の知る限り、元教師で同セクションの適性を認められた人はまだ誰もいません。おそらく、その道はシステムによって最初から閉ざされているのです。
私はユーザーとしての義務を故意に怠りました。職業管理局の警告も無視し続けました。その結果、今日私は管理局支部で説明を求められ、警察で尋問を受けたあと、刑事犯として逮捕されるでしょう。
皆さんにご迷惑はおかけしません。たとえ拷問されようと、私は全日本啓蒙団の存在を明かすつもりはありません。もしも私が皆さんへ向けたこのメッセージ以外に何の痕跡も残さずに消息を絶ったなら、合理性追求のあまり個人の尊厳を蔑ろにする現体制の犠牲になったのだとお考えになって結構です。しかし、この国が民主主義を掲げている以上、当局もそこまではやらないでしょう。私に対する裁判もその報道も行われ、私の主張は全国の人々に伝わるはずです。
私は自分の行動を後悔していません。誰かが最初にはっきりと抵抗の意志を示さねばならないからです。
皆さんが私に続いて勇気ある行動を起こすことを信じ、ここに筆を擱きます。
四月二十日 守田俊介
ほとんど一気に書き上げた文章を読み直す。理想主義的な使命感と悲壮なヒロイズムに満ちたこのメッセージを、私自身どこまで本気で信じているのだろうか。元教師の仲間達から私が期待している「勇気ある行動」とは、具体的には何だろうか。ともかく、私自身はこれから自分が書いた通りに行動するつもりだ。刑務所暮らしも平気だ。必要とあらば、貴い理想に殉じて潔く命を絶つ覚悟もできている。そうすることで、だらだら続く私の惨めな人生に意味を与えることができるなら本望だ。私自身の運命に関してはもう結論が出ているのだ。
悲壮さの漂うメッセージを、私は「トシの新作ゲーム情報」というファイル名で保存した。それからパソコンをネットに接続し、ダークウェヴにアクセスできるブラウザを立ち上げると、ツールバーに私達の情報交換用サイトのURLを入力した。もちろんダークウェヴとて当局の監視を完全に免れているわけではないが、私達のサイトは他愛もないオンラインゲーム愛好家のサイトに見えるよう、巧妙に偽装されている。
サイトにログインして「ゲーム情報交換」と記されたアイコンをクリックする。「ビデオ」、「ドキュメント」、「ソースコード」、「音楽」といったもっともらしい名前のフォルダとアップロード用ボタンが表示された。ボタンをクリックし、さっき命名した文書ファイルを選択、アップロード先として「ドキュメント」フォルダを選ぶ。ファイルは一瞬でフォルダにコピーされた。フォルダをもう一度開いてそこに今日付の自分の文書があることを確認、サイトからログアウトする。ブラウザを閉じた。閲覧履歴は自動的に削除されているはずだ。ネットへの接続を切り、オリジナルの文書ファイルを削除。あとはパソコンを破壊するだけだ。電源を落とし、アダプターをコンセントから引き抜く。安堵の溜息が漏れた。
机上の置時計に目をやると、もう九時近い。思いのほか手間取ったようだ。どこかで雲雀がさえずっている。私は部屋の片隅に置いてある工具箱の蓋を開けた……。
ばらばらになったパソコンを、ガラスのコップや鏡の破片、わざと壊した電気スタンド等が入っている危険物用ビニール袋に入れ、三和土の隅に置いた。一見、危険ゴミ収集日前のありふれた玄関の光景だ。私は書斎に戻って読書しながら心静かに「お迎え」を待つことにした。
本棚に詰め込まれたり床に積み上げられたりしている古書の背表紙を眺めるうちに、私は特に読みたい本がないことに気づいた。古今の哲学者の箴言集も、芭蕉の紀行文も、聖書ですら、今の私の心にはしっくりこない。ならば画集か写真集でもと思い、フラ・アンジェリコ、ダ・ヴィンチ、ラファエロ、エル・グレコ、ブリューゲル、フェルメール、レンブラントと、西洋美術を中心に次々と手に取ってみたものの、一向に心が休まらない。試しにもっと時代の新しい印象派の画家達やシャガール、ミロ、マグリットやキリコ、レーリヒやロスコの画集まで開いてみたが、落ち着くどころか逆に神経が昂ぶり、苛立ちが募るだけだった。
当局の嫌疑を招くことを承知で四半世紀もかけて蒐集してきた書物、おそらく今後二度と目にすることもないこれらの文化遺産は、なぜ最期の時になって私に感動も慰藉も与えてくれないのか。何かがひどく間違っている。再び時計を見ると、時刻は九時半を回っている。職業管理局の職員達がそろそろ到着してもおかしくない時間だ。こんな気持ちのままでは、彼らの前で醜態を晒す羽目になる。
焦るあまり、私は本の山の一つを肘で衝き崩してしまった。隣にあった山も続いて崩れ、さながら爆撃された大都市を思わせる惨状が現出した。瓦礫のように散乱した本のなかで、偶然『プーシキン詩集』が目に入った。新書サイズよりやや大きい薄めの単行本で、硬い紙の箱に入っている。東京から避難する際に家から持ち出せた数少ない本の一つだ。ドストエフスキーは確か、プーシキンの出現には預言的なものがあると評していた……。何年もページを開いていないその詩集に手を伸ばしかけた瞬間、インターホンのチャイムが鳴った。私は詩集を拾って机の上に置くと、玄関側の廊下に通じるドアから駆け出た。
間延びしたチャイムの音は三回しか聞こえなかった。続いて聞こえた男の声は、いかにも管理者らしく冷たかった。
「守田さん、K市職業管理局の者です。ドアを開けてください。ご在宅なんでしょう。さっき窓越しにお見かけしましたよ。今日我々がここに来た理由は、守田さんもご存じのはずです」
声から判断して、男は私より一回りは若い。有無を言わせぬ強い口調と最低限の礼儀を弁えた言葉遣いから、論争するには手強い相手だと推測できる。読書で平静を保つことに失敗した私は、男の声を聞いただけで気圧されてしまった。
「すみません。ちょっとごたごたしてまして。今開けますから」
情けない声で弁解しながらドアを開けると、目の前に四十がらみのスポーツマンタイプの男二人が立っていた。濃紺のスーツに身を包んだ彼らは体格も身長も似通っており、役人よりも刑事のように見えた。もっとも、警察官も二十歳までに管理者セクトの専門学校で四年以上学んでいないとなれないらしいから、役人には警官と共通する資質が求められるのかもしれない。
少し年嵩らしい右の男が、警察手帳そっくりの身分証を私に見せた。
「市職業管理局職業安定対策部の松本と申します。守田さん、あなたは我々が職務怠慢に関する警告書をお送りしてから、視聴者としての職務をまったく果たされていませんね。何か健康上の理由、或いは第三者による妨害があったのですか? 警告書にも書かれていたはずですが、そのような場合、規定に従って二週間以内に申し立てをしていただかないと……」
「いいえ。仕事を怠けたのも職務放棄に至ったのも、私の意志によることです」
「ふむ、やはりそうでしたか……。それで、あなたは職務放棄の罰則をご存じですか?」
「国から供与された住居の没収と、最長五年の懲役または禁固刑でしょう」
「よくご存じだ。しかし、あなたの罪状はまだ確定したわけではありません。まずは局のほうでお話を伺いましょう。すべてはそれからです」
「望むところです。私の考えを管理局の方々にも聞いていただきたい」
「豚箱に入るのも怖くないか。粋がってやがる」
左の男が吐き捨てるように呟いた。松本はちらっと相棒に目を向けたが、咎める様子もなく、すぐにまた私の顔を見据えた。一重の細い眼はガラス玉のように冷たい。思わず毒づいた相棒のほうがまだしも人間的だ。
松本はスーツ姿の私を値踏みするように眺めた。
「では、これからご一緒願えますか。もう身支度は済まされているようですし」
私は急に心細くなってきた。
「もちろん、このまますぐにでも出発できますが……本の一冊くらい持っていって差し支えありませんか?」
「我々は警察ではありませんから、あなたの行動を止める権限はありません。何冊でも好きなだけお持ちになって結構です」
落ち着き払った松本の顔には余裕が見て取れた。「逃げようとしても無駄だ」と言いたいのだろう。事実その通りなのだ。仮に私が書斎を抜けて裏庭に面する廊下の窓からでも逃亡したなら、彼は即座に上司に報告し、市職業管理局が警察に私の逮捕を求めるだろう。逃亡の事実によって私の容疑は深まり、捜査開始が早まるだけだ。この街には隠れられる場所もなく私を匿ってくれる人間もいない。かといって市外に脱出することもできない。街の外縁に近い円環状の非セクト民専用区画は無法地帯だと言われており、セクト民である私には身を潜めるのも通過するのも危険だ。郊外には市営の火葬場兼斎場と共同墓地、高い壁に囲まれた発電所や工場、農場、そして野生動物の闊歩する森林しかない。発電所や工場、農場、森林に通じる車道がそれぞれ技師、農夫、ハンターの専用区画から延びていて通勤バスが往復しているが、各セクトのIDカードがなければバスには乗れない。セクトとは無関係に乗れる普通バスは火葬場と共同墓地にしか停車せず、利用できるのは遺族と葬儀の参列者だけだ。隣の市とは無人の荒野で隔てられていて、そこまで行くには行政区画で長距離バスか電車に乗らねばならないが、行政区画に出入りする際のセキュリティ・チェックは空港並みに厳しい。もっとも、私には最初から逃げる気などなかった。
二人を玄関に待たせて書斎に行く。
『プーシキン詩集』は元の場所にあった。私はそれを取って小脇に抱え、他に何か心の支えになりそうな書物はないかと、床に散らばっている本を次々に拾い上げてみた。古典作家や偉大な思想家、画家や作曲家達の肖像をカバーに配した本も多かったが、急によそよそしく見えはじめた彼らの顔は何も語りかけてこなかった。私は偉人達の言葉に頼って苦難を乗り切ることを諦め、詩集を片手に玄関へ戻った。
松本はすぐに私の本に興味を示した。ガラス玉に野良猫ほどの愛嬌が加わった。
「おや、珍しい本ですね」
「プーシキンをご存じなんですか?」
中級管理者が近代ロシア文学の始祖を知っているとすれば意外な発見だ。
「いえ、私が言ったのは本の作りのことです。ちょっと拝見していいですか。……この箱はボール紙か。それにしても、よくこんな地味なデザインにしたもんですな」
いったい誰が買うんだとでも言いたげだ。職務遂行中に他のことに好奇心を示すのはやはり人間的だ。人間ならば自分自身を変えることができる。私はこの年下の管理者を啓蒙したくなった。
「あなたがたはご存じないかもしれないが、半世紀ほど前まではこうした装丁の本がまだ作られていたんです。古典にふさわしく、華美に走らず落ち着いた雰囲気を醸し出しながら、どこか優雅さもあって読者の本棚でしっかり存在感を主張できる、そのような意図でデザインされたのだと思います」
「ほう。当時はそんな贅沢が許されていたわけですね。それで、この作者は、半世紀前にはかなり売れていたんですか?」
「それほど売れていなかったと思います。何せ十九世紀前半の、しかも外国の詩人ですから。彼は小説も書きましたが、これは詩集なので、せいぜい千部売れればいいほうでしょう」
「それじゃあ経済的にほとんど無意味じゃないですか。ひょっとして、非常に高価な本だったのですか?」
「いいえ。出版社はこういう本で儲けようとはしなかったのです」
「課長、時間が……」
左側の男が松本に小声で注意した。相棒だと思っていたが部下のようだ。
「うむ。そうだな……。では守田さん……」
松本は最後まで言わずに車道のほうを振り返った。家の正面にダークグレーの公用車が停まっている。ドライバーはいない。私は二人の管理者に左右から挟まれて車まで歩いた。
部下に運転を任せ、私のあとから後部座席に乗り込んだ松本が、いったん中断した会話を平然と再開した。
「当時の出版社は私企業だったはずです。なのに、儲けを考えずに商品が作れたんでしょうかね。見たところ、その本には大して実用性もないようだし……」
「このような書物の存在は、公益でもあり、同時に私益でもあるんです」
窓外には独身の視聴者達が住む一階建ての家々が延々と流れ、車道をゆっくり走る市営の自律走行ミニバスが時々その単調さを破った。
と、対向車線にダークグレーの公用車がもう一台現れ、かなりのスピードで私達の車とすれ違った。私の住んでいた家がもう捜索されるのだろうか。証拠は何も残さなかったはずだが……。
松本は私の不安に気がつかないのか、のんびりした口調で話し続けた。
「公益と私益の両立ですか……。まあ、それは経済活動を行ううえでの理想ではありますが……。それにしても、ネット公開されるテキストのデータでも電子書籍でもなく、わざわざ生産に手間のかかる紙の書籍として商品化されたからには、それ相応の利潤か実用性が期待されたのでなければおかしいでしょう」
この男に理解させるのはやはり無理そうだ。「書物には当時、利潤や実用性を超えた価値があった」と言ったところで、その価値について一から説明していたのでは埒が明かない。
前方に品揃えの乏しい視聴者向けの嗜好品店と食料品店が見えてきた。ユーザーの労働は在宅かつ完全フレックスタイム制なので、これらの店には昼夜の別なく客がいる。もっとも、大半の客は店内で買い物をせず、ネットで注文した商品を受け取りに来るだけだが。
蒼白く不機嫌そうな顔をした中年太りの男が食料品店の前に自転車を停めた。今起きたばかりなのだろう。オンラインゲームで夜更かししたのかもしれない。一生、視聴者以外にはなれそうにもない。ローラースケートを履いた二十歳そこそこの女性が、長い髪をなびかせて歩道からすーっと嗜好品店に入っていった。彼女の服装はこの辺りの住人にしては垢抜けていた。要領よくトップレヴュアーの認定を受けて中級ユーザーになれそうなタイプだ。
市民達はふだん、市内で管理者を見かけることが少ない。目にするのは交番の警官くらいだ。管理者達はどんな教育を受けているのだろう。元教師の習性で、私は松本にその疑問を投げかけたくなった。
「松本さん、私がかつて教師だったことはご存じですね」
「ええ。それは旧制度時代の話でしょう。新制度の施行で失業したあなたは、職業適性検査を受けて視聴者になられた」
「その通りです。私は以前から、現行の教育制度について詳しく知りたいと思っていたのです。例えば、あなたがた管理者は、十代でどんなことを学ぶのですか?」
「視聴者のあなたが、それを知ってどうするんです?」
「純粋な好奇心からの質問です」
「その気になれば、ある程度はネットで調べられると思いますが……まあいいでしょう。我々が学んだのは、法学概論、心理学概論、政治学概論、経済学概論、日本史、世界史、倫理、英語、それに体育。これらは必修科目です。十五年ほど前からは環境学概論も必修になったはずです。志望する職業ごとの選択科目もありますが、それらは十八歳からの二年間で、或いは成人後の適性検査で転職が認められてから学ぶのです」
思った通り、荒涼たる実用重視の教育だ。それに何という「概論」の多さ。彼の受けた「選択科目」には乗用車の運転も含まれているのだろう。
気がつくと街の様子が変わっていた。トップレヴュアーや批評家達が暮らす二階建ての家が建ち並び、普通の視聴者には簡単に手の出せない高級な嗜好品や服飾品、AV機器を扱う専門店がちらほら見える。ユーザー区画郵便局、診療所、交番、市営タクシー乗り場、市民生活相談所等、視聴者区域ではあまり見かけない施設も次々に現れる。それに通行人も多く、かつての大都市圏での生活さえ連想させる。行政区画に近い区域ほど街並みが都会的になるのは、この区画に限ったことではない。私は東京に住んでいた頃のことを思い出した。
松本は私の心を見透かしたかのように言った。
「どの区画でも、上級民は良い暮らしをしていますよ。あなたは確か、視聴者になる前は国語の教師でしたね。批評家か、せめてトップレヴュアーになることも難しくなかったでしょうに……」
彼の声には私へのあからさまな憐憫が込められていた。私は反論する気にもなれなかった。こんな俗物には何を言っても無駄だ。
二年制の幼年学校、四年制のユーザー専門小学校とユーザー専門中学校の前を通り過ぎると、行政区画と他のセクト専用区画とを隔てるコンクリート壁が姿を現した。高さは二十メートル近くあるだろう。上に向かって内側に傾斜し、緩やかな曲線を描きながら左右に延びる灰白色の壁には、自動車用入口と歩行者及び二輪車用の入口、それらに相応する二つの出口が等間隔に並んでいる。ちょっと古代ローマのコロッセオを連想させるこの壁が完成したのは、私のような大都市難民の移住が終わってからだ。
私達の車がやってきた車線は入口に、対向車線は出口に続いている。行政区画以外のセクト専用区画を縦断する車道はすべて、始点がこの壁の中にある。十二のセクト専用区画は行政区画の周りに時計の文字盤のように配されており、それぞれの隣接区画と自由に行き来できるようになっている。管理者達の住む行政区画だけが分厚いコンクリートによって守られ、その内部は他の区画からほとんど見えない。行政区画には十階以上のビルがないうえ、他区画の壁に面した部分には、学校や図書館のような二階か三階建ての公共施設しかないからだ。例えばユーザー専用区画では、壁に面して高等批評家・視聴者学院と視聴覚資料ライブラリー、そして生徒用の駐輪場がある。十六歳を迎えた少年少女達はその後四年間、壁を目の前に見ながら職業専門教育を受けるのである。
入口ではドライバーや歩行者達がIDカードを読み取り機に提示し、その都度ゲートが開いて彼らを通していた。私達の車もゲートの前に並んで順番を待った。
と、自動車用出口の向こうに見える歩行者・二輪車用の入口付近で、けたたましいアラーム音が鳴り響いた。どこから現れたのか、屈強な制服警官二人がそこに駆けつけ、肩幅の広い中背の老人を外に引きずり出した。入口ゲートで検問に引っかかったらしい。老人は手錠をかけられていた。目深に被った野球帽のような帽子のせいで顔はよく見えなかった。彼は警官達に両側から腕を抑えられて連行されながら、呂律の回らない声で何か喚き続けていた。酔っていたのかもしれない。彼が警官達によってパトカーに押し込められると、それきりアラーム音も聞こえなくなった。歩行者達は何事もなかったかのように再び整列し、ゲートに向かって歩きはじめた。
前の運転席で松本の部下が呟いた。
「また非セクト民が騒いでやがる。どうせ、刃物か何か、持ち込もうとしたんだろう。馬鹿な奴だ」
同情の片鱗さえも感じられない声だった。私には、彼の言葉がその老人だけでなく自分にも向けられているような気がした。刃物の所持は禁じられていない。禁じられているのは管理者達に対する反抗なのだ。行政区画への書物の持ち込みが禁止されていないのは、彼らが言葉の力を軽視しているからだ。だが、私の言葉が彼らの慢心を少しでも揺るがすことができれば、私に続く者達が現れるに違いない。
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