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お酒では、こぼすことで怒られることはなく、むしろ喜ばれるのである。コーヒー皿と違う意味~広島の居酒屋にて

7泊8日の広島出張は、多忙ではあったが、日曜日には温泉に行ったし、夜の広島を楽しめて、満足なのである。行きつけ(候補)の小料理屋や喫茶店にも遭遇したのである。

一つ、感じたことがある。居酒屋などで働く従業員の教育、研修のことである。自分の狭い範囲のできごとではあるが、広島での1次会、2次会で続けてのことで、印象に残った。

最初にビールを頼み、日本酒へ。広島はおいしい地酒の宝庫。地のものを頼む。受け皿がセットされ、その上に乗ったコップへ日本酒が注がれる。これは表面張力ぎりぎりまで注ぐか、あるいは少し受け皿にこぼすくらいの注ぎ方をすることが多い。それが粋な計らいと受け止められる。そのための受け皿である。受け皿が何のために存在しているか考えればわかる。ただ、若い従業員は、あえて疑問に思うことがなければ、その知識がつかないかもしれない。広島の居酒屋では、共に若い従業員だったせいもあろうが、かなり隙間を残した注ぎ方だった。

コーヒー皿は、コーヒーをテーブルにこぼし、汚すことを防ぐためにある。コーヒーを満々と注ぐ人はいないだろう。これと同じものと考えている可能性がある。普段の常識から考えれば、コップからあふれさせれば、客は驚くだろう。だから、酒の受け皿をコーヒー皿と同じように、万一の予防線と考え、少なめに注ぐ。チェーン店と違って、小さな店では独自の研修をすることは困難。この辺は、店主がお酒の世界の知識として、粋な注ぎ方を教えなければならないだろう。都内の居酒屋では、何度かそのような指摘をする客を見たことがある。江戸っ子は気が短く、うるさ型の客が多いかもしれないし、東京の店は競争相手が多いので、サービスの視点が敏感でもある。

一般的には、こぼすことを前提にしたお酒の受け皿の役割は例外的であり、コーヒー皿のようにこぼれることを防ぐ万一の予防線という考え方が常識的であろう。ま、でも店の研修や客のアドバイスで、このような由来を知り、こぼすことを恐れずに注いでもらいたいものである。日本酒においては、こぼすことで怒られることはなく、むしろ喜ばれるのである。

これを読んだ方は、その場で教えてあげるべきではないかと思う人も多いであろう。確かにそうではあるのだが、従業員が「教育的言動の体裁をとって言っているけど、実際はたくさん飲みたいだけなんだろうな」と内心思われることを予想して、言えないのであった・・・

#広島 #地酒 #日本酒 #コーヒー #受け皿 #研修 #江戸っ子

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