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「逆転!美術館」 住民の95%が反対した北斎美術館はなぜできた?  ー前編ー

30年かけて設立。逆境を跳ね変えてうまれた北斎の美術館

両国国技館の裏手にある「すみだ北斎美術館」。
ピカソやモネにも影響を与えた葛飾北斎 生誕の地にある墨田区立の美術館です。
この美術館は、計画発表から開館まで約30年もかかってやようやく設立した美術館です。
「そもそも作品をもってない」
「地域の理解を得られてない」
「バブル崩壊でお金もない」

通常だったら頓挫する美術館設立計画が、どうして実現したのか、その経緯をご紹介します。

計画が発表されたのは平成元年。
実際の開館が平成31年なので、約30年という長い道のりを歩んでの開館なんです。
美術館の構想が立ち上がったのは、バブル末期。
全国各地に文化施設がポコポコとできていた時期で、後に負の遺産となった

そもそも、墨田区には文化シンボルがありませでした。
浅草や上野があるのは、台東区。
江戸東京博物館があるものの、墨田区ではなくあくまで東京都の施設。
当時の墨田区にはアサヒビール本社の金のウ◯コビルくらいしか目玉となる文化施設がありませんでした。

そこで墨田区が目をつけたのが葛飾北斎です。
当時はバブル崩壊直前の時期。
日本各地では、我が町の有名人の博物館をつくろうブームが起きている最中でした。
おそらくその流れに墨田区が乗ったのだと思いますが、
しかし、その計画はかなり無謀なもので、
「作品をもってない」
「地域の理解を得られてない」
「バブル崩壊でお金もない」

という状況でした。
この状況を逆転させ、どのように開館に至ったのでしょうか。
まず最初は、

そもそも作品をもってない!

ことです。
そもそも墨田区は、北斎のコレクションを所有していませんでした。
すごいっすよね。
コレクションはないけど、美術館をつくろう!と考えるバブル時代の発想…… 
この時代の勢いって今では考えられない。

では、どのようにしてコレクションを集めていったのでしょうか。
これは、墨田区は北斎の研究家として著名な永田生慈氏をこの計画に招いたことによって、大きな成果が生まれます。
永田氏がそのコネクションを活かし、コレクターに声をかけていくのです。

大きな転換点は、日本浮世絵協会の初代理事長・楢崎宗重氏に働き掛けを約480点の遺贈の約束をとりつけられたことです。(遺贈とはご本人がお亡くなりになった後に、寄付を受けることをいいます。楢崎さんは2001年にお亡くなりになられました)

さらに、世界最大の北斎作品のコレクターであるピーター・モースともコネクションを築けたことも美術館設立には欠かせない大きな出来事。
彼の約600点のコレクションは総額数十億ともいわれていましたが、
なんと墨田区はそれを1億4500万円で購入できたのです。

どうして、そんなに格安で購入することができたのでしょうか。
それは、ピーター・モースさんが東京で急逝したことがきっかけとなりました。東京の東武美術館で開催された企画展のために来日されたモースさんは、ホテルで急逝してしまいます。遺族は、北斎の研究家でもあった彼の意志を尊重し、そのコレクションの散逸を避け、作品が里帰りするようにと、墨田区に格安で譲ったそうです。これは当日の朝日新聞の一面を飾るほどの当時の大きなニュースとなったそうです。

これらによって、当初ゼロだった所蔵を、展示作品はなんとか道のりをつけます。

地元の理解を得られてない!

コレクションには道筋がつきましたが、バブルははじけ、全国の自治体の多くは財政危機に陥りました。
もちろん墨田区も例外ではありません。
地元からは、
「箱モノ行政の典型例ではないか」
「都が運営する江戸東京博物館と一緒に行うべきだ」
「待機児童問題にお金を使うべきでは?」
当時、共産党がとったアンケートによれば住民の95%が建設反対だったといいます。(この結果もちょっと極端すぎる気はしますが。苦笑)

そんな計画がすすまないなか、追い討ちをかけるように、東日本大震災が発生。
その煽りで、建設費が高騰。
総工費は当初は12億円の予定でしたが、
最終的に34億円にまで膨らみます。
当初の3倍にまで膨らんでしまった費用に、区議会は紛糾します。

しかし、この状況を打破する出来事が大きな機運が2つありました。

ひとつは、スカイツリーの建設が墨田区内に決まったこと。
これにより、地域を盛り上げる機運が生まれます。

ふたつめは、プロジェクトの推進役となる人物がでてきたことです。
逆風が吹き荒れるなか、北斎美術館を推進したのが、久米信行さん。
地元・久米繊維工業の会長であり、新日本フィルハーモニーなどの区の文化行政の要職を担っていた彼は、
墨田区で生まれ育ち、世界的に著名である北斎をなぜ町の目玉にしないのか、
と地元や議会に訴えかけました。
さらにプロジェクトを推進するパートナーとして非営利組織の資金調達のプロフェッショナル集団である株式会社ファンドレックスが参画。墨田区、久米氏とともに、美術館設立に向けた戦略を立てられます。

まず問題視したのが、何より地元の共感を得られていないことでした。

後編につづく。。。

参考:「知られざる北斎」神山典士(幻冬舎)、 ほか

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