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さいさんの地方創生 note【能登半島地震が表出させた現在地⑧ 復興しない被災エリアの姿こそが、日本の未来を写している】

間が空きましたが、再開していきたいと思います。この間に

この辺りにしっかり参加しつつ、当事者や様々なセクターの方々と知見、見解等を共有してきました。

そのうえで、今日はまずこちらを見て頂きたいと思います。2005年に小泉政権下で内閣府が掲げたヴィジョンが以下、

2030年「避けたいシナリオ」
経済が停滞し縮小する
(人口の減少に加え、人材や資金を活かせず環境変化への対応が遅れ、経済が停滞し縮小する)
官が民間経済活動の重し・足かせとなる
(財政赤字を放置すると国債価格の暴落や長期金利の上昇を招きかねず、財政再建を増税のみで行うと個人や企業に大きな負担をかけ、高負担高依存社会になる)
グローバル化に取り残される
(他国が進めている経済連携の波に取り残されると、成長のチャンスを失う)
希望を持てない人が増え、社会が不安定化する
(格差が固定化して希望格差社会に向かうと共に超高齢化でかつてのニュータウンでゴーストタウン化してくるものが出てくる)

です。はい。ことごとく避けたい事ばかり既に実現してますね。

この国は2030年に、本当にこのシナリオを避けていることが出来るのでしょうか・・? そして一方。こうありたい未来像に関しては

生産性が高まり、実質GDP成長率は1%半
(一人当たり実質GDP、実質消費は2%程度の伸び。健康、子育てサービスなど専門性の高い新しい消費需要も起こる)
政府の役割の選択と集中により、政府の赤字が縮小
日本は経済連携を進め、グローバルに投資を行う 「投資立国」になる
個人が主役になり、夢の実現や再挑戦がしやすい社会になる。数多くの世界のフロントランナーが生まれ、イノベーションを起こし、世界を主導する

政府の赤字縮小だけはわき目も降らず邁進(国民負担率の増加)していますが、結果、高負担高依存になっていることは言うまでもないでしょう。他も実現の見込みがなさそうなものばかり並んでいます。GDP成長率は、他OECD諸国に追いつくためには4%でも間に合わない現況まで落ち込んでおり、この数値はもはや前提が崩壊しています。特に最後。

個人が主役になり、夢の実現や再挑戦がしやすい社会

に関しては、行政組織だけではなく、国民として大人である私たちも含めた全体が向き合わなければいけない課題である。これは言うまでもなく多くの国民に感じるところがある部分でしょう。

☆公共って何だ?

今回の能登地震では、とにかく「公助」が機能していない。これは、この一月から都度都度触れてきました。
 
例えばアメリカ軍では有事において行方不明者の救助や捜索にこれでもかとリソースを投入します。彼らのマインドセットを要約するならば、

「有事において一人の生命に対してどんな態度(attitude)、行動を取るか。そうでなくて、誰が国の為に尽くそう、命をかけようと思うのか?」

と言えます。しかし、今回の能登地震において日本政府は

「予算がない、燃料がない、人がいない、時間がない」

といって行方不明者を見捨てたり、玉砕を強要し、ついには「特攻」などという安全な場所にいる高齢者や権力者が若者の命を犠牲にして責任逃れをし、時間稼ぎをしようとした旧日本軍のような考え方と態度。それをこの令和という時代においても示しました。

国民の生命と財産を守るという憲法のある法治国家において、安全地帯にいる自分たちの財産や日常を優先し、時には「石川県以外にはお金を出さない」と言って見たり、国会質疑で「総理、それは被災者にとってあまりに酷ではないか?」といった答弁が繰り返しされてしまうような状態をつくってしまったわけです。
 
自助や共助で出来ないから公助に対して国民は税を納めているという見方や考え方だって十分に筋の通るものだと思いますし、本来は「共助」という言葉は「自助×公助」という組み合わせでこそ力を発揮するものです。しかし、自助は自助。共助はあくまでも「自助+自助」といわんばかりに公助との間に線を引いて縦割りにしてしまう。
 
そのうえで自分たちの手に負えなくなってくるとなし崩し的に自助や国民負担として押し付けてみたり、公助がやらなくていい自助レベルの「コンビニ袋」を省令・罰金によって事実上の法令であるかのように(レジ袋有料化は形式的には「政府が出す命令に従わないことによる罰金」となるため、法律に基づく義務ではない)おしつけてみたり、減税を明細に表記するかしないかみたいな些末なことにまで口を突っ込んでくる。

こうした政官が劣化した行政機能を隠しようもない今とも言えそうです。
そんな今に起きたこの災害。おそらく能登半島は人口を大きく流出させてしまうでしょうし、かつて噴火で全島避難をした三宅島がそうであったように、残る(戻る)のは高齢者と小さな子どもたちを抱えた親と一握りの若者という人口構成にもなっていくことでしょう。

☆このままで終わらせないために

高齢化による人口減少という時代に人口増時代のやり方を今まで通りにやろうとして、あれも出来ない、これも出来ないという状況になり、追い込まれ、ついには東京周辺だけでも・・とほぼ無意識に手足である日本のローカルを切り捨てに行く一極弊害。

とはいえ、2040年代からは、その東京が人口減少のもっとも厳しいエリアになり、少子化で地方からの流入も減少し、財政的にもより厳しいことになることはマクロでもう見えています。

そんな10年後、20年後の為にも、この能登半島をどのように時代に適応した Re design をしていくのか。誰が、誰と、何をして、どんな暮らしを営んでいくのか。それを自助だけでもなく、公助ありきでもない、本当の共助でつくりあげていくのか。

個人が主役になり、夢の実現や再挑戦がしやすい社会

その環境を作る為にいかに政策を起こし、予算を確保し、規制を緩和、撤廃していくのか。その為に「公」が優先順位を変更し、機能していくことを期待してやまないわけです。

そして、新たな時代の先駆けとなる挑戦の「場」になる能登半島のこれからであってほしいし、その為の応援をしていきたいし、そこで得られた知見をまた多くのローカルとのつながりの中で共有していければと思っています。
 
次回から少し、自分の見えている具体についても触れていきたいと思います。続きます!


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