「余裕」はどこから来るのか
余裕がありそうな人、実際に余裕がある人というのが周囲には何人かいるのではないでしょうか?一方で、いつも忙しそうで余裕がなさそうな人もいるのではないでしょうか?
余裕がありそうな人は、マネージャーであったりむしろ普通の人より圧倒的に仕事量が多いのではないかという人だったりします。それなのに、「最近忙しいですか?」と聞くと、「暇だよ」なんて答えられたりするので驚きます。
私は余裕がなさそうな方の人種に入っていると自覚しているのですが、余裕がある男になりたいななどと思うわけです。
果たして余裕がある人のその「余裕」はどこから来るのか?ということに疑問を持ちました。
「余裕」はその人が耐えうるキャパシティの大きさから来るのではないか
余裕があるという状態を解像度上げて考えると、その人が「何とかできる」ないしは「何とかできると感じられている」状態なのではないかと考えます。
起こり得るいくつかの選択肢が、基本的に想定内であり、対処可能な状態のとき、「余裕」を感じられるのです。
反対に、「自分で何とかできると思えていない」状態が余裕がない状態だと言えます。
何とかできると思えている範囲が、その人のキャパシティというわけです。
そうすると、余裕がある人になろうとした場合、そのキャパシティを広げる為の活動をしていけばよいということになります。
キャパシティを広げる為にはどうすればよいのか?
それは、自分のキャパシティを少し超えるストレッチな状況を乗り越える経験を積み重ねることだと考えています。いわゆる修羅場経験の積み重ねです。
人はストレッチな環境に置かれると、それまでの経験では対処できない為、持てる限りの頭をフル回転させ、できる限りの行動力をもって、なんとかその場を乗り切ろうとします。
そうしたストレッチな経験を乗り越えると、乗り越えたという実績と、実績に基づいた根拠のある自信を得ることができます。すると、その時ストレッチだった問題はどうにか対処可能な問題として認識されストレッチではなくなります。この時、キャパシティがひと回り広がるわけです。(一皮むけるともよく言いますよね)
身の回りの「余裕のある人」は、様々なストレッチな経験乗り越えてきていることはほとんど間違いないでしょう。
余裕のある人の過去には、それだけ血のにじむような本人の努力や死ぬ気で乗り越えた修羅場経験があるのでしょう。
私も余裕のある男になりたいと思ったら、自分からストレッチな状況を選んで身を置いていくことが最も近道なのだと思います。
それではよい週末をお過ごしください。