”働く”と”生きる”が溶け合う生き方をしたい

私にとって、あなたにとって「働く」とはどういうことか。
この問いを最近ずっと考えている。

ワーク・ライフ・バランスと言われるようになって久しいが、
本当にそれは人の幸福に繋がるのだろうか?

どうにも、ワークライフバランスの言葉からは、プライベートのために仕事をするという価値感の延長にあるように感じる。ちょっと捻くれているかもしれないが、「働くこと=辛い労働」「報酬・お金=労働の我慢の対価」という前提があるように感じる。仕事にプライベートを奪われている感覚が拭えない

その前提に立つと、結構しんどいと思ってしまう。
なぜなら、働いている時間は1日の中の多くを占め、人生の時間の多くの時間を占めているわけで、その時間が「苦痛」または「どちらかと言うと苦痛」なのであれば、わずかなプライベートの時間も幸せなものに感じられないのではないかと思ってしまうから。

働くことが生きている時間の多くの部分を占めるとすると、その時間をいかに充実したものにするか、ということに貪欲になりたいと、私は思う。

子供の頃や、学生の頃に、遊びや部活や勉強に夢中になっていた感覚。
そんな感覚で「働く」の時間を作っていければ良いのではないか。

「努力」をしているというより、むしろ「夢中になって遊んでいる」に近い感覚で、頑張っているのではなくむしろ楽しんでいる感じ。

面倒なことや大変なことがあっても、それは自分が夢中になってやりたいことや実現したいことをやるためであれば乗り越えられる。

そんなことを仕事にできれば、ワークとライフを分ける必要性がなくなってくる。ワーク・アズ・ライフの状態。

”働く”と”生きる”が溶け合う生き方

ワークもライフも一緒で、ただただ楽しいからやる。起きている時間ずっとそのことを考えていても満たされていて、夢中で取り組んでいるから、結果的に成果も出て、さらに相手やお客様の役に立てて楽しくなっちゃう。このサイクルの好循環が回っている最高の状態。

こう言うと、ずっと仕事だけしているワーカホリックかと思われるかもしれないがむしろ真逆だ。私はとにかく家族の時間を大事に確保したいと思っている。家族の時間が蔑ろにされて家族が不幸になるような自分の働き方であれば、それは全くもって望むところではない。本末転倒だ。

働くと生きるが溶け合う生き方では、ワークが満たされているので、ライフも同じくらい充実しているというイメージだ。


さぁ、そうなってくると、最も大事なことが見えてくる。

それは、自分が心から夢中になれる仕事を作ること(あえて”見つける”ではなく”作る”と書いた)

そしてそのためには、自分が心から夢中になれることや、夢中でいられる状態を、自分がわかっていることが大事になってくる。

「天職」というような、自分が全く苦がない夢のような仕事にたまたま巡り合えることは多くない。少なくとも、”天職が見つかるといいなぁ”という受け身では難しいだろう。

でも、大きな方向性で自分が夢中になれそうな仕事を選択し、選んだ仕事の中で夢中でいられる状態を自分で作っていくことはできる。

巷の自己分析ワークなど、思考レベルで構築した自分の「やりたいこと」では夢中になれる仕事は見つからない。無意識や身体感覚から、魂が震えるような「やりたいこと」に辿り着かなければならない。

小学生の頃に夢中になって時間を忘れて図工の作品を作っていた時、
大学受験で好きになった世界史の教科書をボロボロになるまで読み込んでいた時、
〇〇さんの受験指導のために、〇〇さんの頑張っているところを想像すると夜寝るのも忘れて自分も無心で準備に取り組んでいた予備校でのチューターの時、

そうした、純粋に自分が勝手に寝る間も惜しんでやってしまっていたようなことに、自分の「本当に願っていること(=コアな願い)」の種があり、それが自分の「本当にやりたいこと」に繋がる気がする。

童心にかえり、その童心を邪魔する社会の「ねばらならない」「であるべき」の囚われや思い込みを手放していけば、きっと自分の「本当にやりたいこと」に繋がることができるだろう。


「コアな願い」の種をどう見つけていくか、については以前のnoteに。


いいなと思ったら応援しよう!