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【自己紹介】なぜ僕がデザインに取り組み・苦悩し・それでも向き合うのか(中編)
こんにちは。磯野です。
前回に引き続き、デザインへの想いを書き連ねて行こうかと思います。
前編はこちら
今回は自分の成すべきことの気づきを起点にどのように社会に向けてアクションを起こし、社会人・エクスペリエンスデザイナーとして働き、自らのデザイン観がどう変化したのか、そして何に苦悩したのかについてお話できればと思います。
3章:デザインと向き合う
自分なりにイノベーティブなモノづくりに向き合い始める
さて、映画の中の世界を生み出したいとは言えど、映画の中はあまりにも未来のこと過ぎて、仕事として何が当てはまるのか分からない。
描きたい世界を仕事という形にちゃんと翻訳しないといけないと思い悩みます。
悩んでいるところに運良く、昔見たイーロン・マスクのTEDが再度目に飛び込んできました。
34:34
(クリス) なぜなんですか イーロン?
なぜ我々が生きているうちに火星に百万都市を築く必要があるのか?それがやりたいことだと言っておられたと思いますが
34:47
(イーロン) 魅力的で鼓舞されるような 未来があるというのは重要なことだと思います。朝起き出し生きたいと思う理由がなければならないと思います。なぜ生きたいと思うのか?
何の意味があるのか? 何に鼓舞されるのか?
未来の何に憧れるのか?
もし 我々が宇宙へ出て行かないなら星々の中へと出て行って複数の惑星に住む種族とならないのだとしたらそれはすごく残念なものに思え、そんなの我々の未来ではないと思うんです
僕が感銘を受けたスピーチです。
我々は社会を進歩させてこそ存在している価値があり、社会の進歩のためにはテクノロジーを起点としたイノベーションが必要
テスラやスペースXで生み出されるサービスやプロダクトは社会を前進させるためのものである
と解釈した記憶があります。
そこで今までの点が繋がり、
「これまで心から喜びを感じた瞬間は、モノづくりをしているときである」と気づき、「社会を前進させて未来をつくることが仕事を通じ成し遂げるべきことではないか」と考え、「良くわからないけどイノベーションに向き合ってみよう」と思うようになりました。
社会の求めるものと自分のやりたいことの重なりが見えてきた結果、テック業界でサービス・プロダクトを生み出す仕事をしようと考えました。
ただ、サービスやプロダクトと言っても、役割や業務は多岐にわたってしまいます。
また、先進的なHCIの領域はビジネス化されていないものも多く自分の貢献余地がわからない。
マーケティング・エンジニアリングなども一通り試してもこれも違う。
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ただ、大学ではインタラクションデザインを薄く広く学んでいたため、このスキルがうまく使えないかと最終的にたどり着いたのがサービスのエクスペリエンスをデザインすることではないかということでした。
ただ作るだけではなく、意味と美しさを込めてモノをデザインしたい
ちょっと時を遡ると、僕の周りにもIllustratorやPhotoshopでグラフィックを作っている大学の知人はいて、美しいものは好きなので「いいな、すごいな」とは思っていたのですが、どこか意匠的で何に繋がっているのか分からない面もあり面白さや意味合いを感じきれなかったのです。
なので、正直デザインを仕事にすることはあまりイメージがわかなかったんですよね。
かつ、センスは褒められることはあっても当時はそこまで具体化に自信があったわけでもない。当然です。
そんな中、UXやHCDという概念に触れます。
そこで
「人間を中心に添えて、プロダクトやサービスをデザインできればちゃんと世の中にインパクトを与えられるものを作れるのではないか?」
「テクノロジーの流行り廃りにも大きくは左右されず長期的なニーズがあるのでは?」
と考え始めました。
自分が達成可能でありつつ、美しくイノベーティブなプロダクトやサービスを生み出すという自己実現×プロダクトやサービスを通じて社会を前進させる社会貢献の2つのモチベーションが重なり合うエクスペリエンスデザイナーとしての歩みを始めることになります。
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4章:デザインする喜び・葛藤
不器用ながらも実直に現場でデザインをしてみる
いくつかのスタートアップやベンチャー企業でマーケティングやデザインやカスタマーサクセスのインターンをした後に、UXコンサルティングを行っているビービットに新卒で入社しました。(アフターデジタルで有名)
エクスペリエンスデザインという領域で攻めていきたいと思いつつ、ユーザのために仕事をするというビジョンにも共感し入社しました。
最速で成長してやろうという意気込みもあり、めちゃくちゃ働きました。
他の会社では珍しく、UXリサーチをしながらUXUIデザインを行い、同時にプロジェクトマネジメントをしつつコンサルテーションをするというスーパーマルチタスクを行っていました。
ただ、当初は何も出来ず、ひたすらリサーチのログ取りだけをしていました。
特に僕はあまり器用な方ではないので最初は躓きまくり、毎日サンドバッグのように強烈なFBを食らっていた記憶があります。(毎日残業ばかりしていたら「お前コストでしかない」と言われたことも。笑)
一方、会社には今まで出会ってきたことのないような優秀な方が多く、簡単ではないがコンサルタントとしての仕事を全うしていく姿を見て自分もプロフェッショナルとして頑張らねばと思っていました。
意味のあるデザインをし、クライアントに貢献できる喜び
ただ、不思議なことに人間、時間を投下しているといつの間にか苦手なことも出来るようになり得意なことは伸びていくものです。
沢山の案件での経験を経ることで、UXリサーチを通じた一次情報の収集やユーザ視点でのカスタマージャーニーの設計・UIとしての具体化などが少しずつ出来るようになりました。
また、クライアントワークの性質から副次的にプロジェクトマネジメントやプレゼンテーションのスキルも上がっていったかと思います。
そして、アウトプットをクライアントと協業して作っていくことで、クライアントも価値を感じ喜んでくれる。
いい仕事をさせてもらえているな〜と思ってました。
社会(クライアント)のために仕事ができ頭を使ったデザインができること、そして同時に少しずつでも自分が成長していけること、この2つに支えられ日々楽しく過ごしていました。
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また、案件にも恵まれ、サイトリニューアルやアプリ開発などの具体工程のUXデザインから事業開発やサービス設計と言った抽象工程のUXデザインまで幅広く経験させてもらいました。
達成感はありつつも、突然手が止まってしまった
4年ほど働いたくらいで、「プロジェクト推進が一通り型になってきたな」、「クライアントにも満足いただけるようになったな」と感じ、これまでの努力が報われた感触を掴みました。
ただ同時に、突然「あれ、なんかしんどい。」となり、なぜかこのタイミングで急に手が止まってしまったのです。
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実は新卒で仕事を始めた頃からちょっとしたズレは感じてましたが、4年ほどやってみて見える世界も広がり「僕の目指したい方向性が違うのかもしれない」と強く感じてしまったのです。
新サービス設計をしていてもアウトプットに既視感を感じる。(車輪の再発明をしている感覚がある)
クライアントにその場では感謝されるが、結果的にアウトプットが世に出ていかない。(UXデザインだけでUIデザインや開発連携が足りない)
社会を前進させるモノづくり(究極的にはイノベーションの創出)が出来ていないのではないか、さらにはその先の僕がもともと成し遂げたかったSF映画に内在する未来は作れないのではないか、と思うようになってしまったのです。
そう感じてしまったのはなぜなのか、この現状の発生原因はなんだろうと考えるようになりました。
最終的に
「1人でのデザインの限界」
「ユーザー中心の方法論の限界」
「利用されるテクノロジーの限定性」
の3つに落ち着きました。
次章に向けて
今回は一旦ここまでとなります。読んでいただきありがとうございます!
次回以降では、顕在化した自身の行いへの違和感の正体と違和感に向けて、良い未来を創造するために何を行うべきかについてお話できればと思います。