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日記の発掘&毎日書いてはいけないな、と思ったこと
2年ほど前まで使っていたノートPCに残っているデータを救おうと、久しぶりに開いてみたら、セキュリティーソフトのバージョン更新などに時間がかかり、かなり苦労しました。
収穫としては、2015年から2021年ぐらいまでにかけて間欠的に書いていた日記を発見!したことです。
① 読書感想
② 映画感想
③ 日常での出来事や考えたこと
④ 事件や政治の報道に関する意見
⑤ 旅日記
⑥ 創作のアイディアメモ
そんなところでしょうか。あ、表題イラストの「夢」に関する忘備録もたまにあります。
一番古い記録でも10年経っていないけれど、
「あ、そんな本読んでいたっけ(映画見ていたっけ)!」
など発見もあり、なかなか面白い。
どれくらいの頻度で書いているかというと、平均で月に5日ぐらいでしょうか。改めて思ったのは……
日記は毎日書く必要が無い
(書いてはいけない)
ということ。
もし毎日書いていたら、つまらない内容が多くて、途中で読み返すのを止めていたでしょうね……。
小学校何年の時だったか、『連絡帳』なる制度が始まり、毎日(5-6行だったかな?)何か書いて担任教師に提出しなければならなくなった。
もちろん、書きたいことがあった日はその数行を埋めたけれど、そうでなければ『連絡帳』を前に、
「うーん……」
空しく時間が過ぎた。
「こんなことに貴重な小学生人生を浪費してはいけない!」
ある時から腹をくくって、そんな日は、
『今日は平凡な一日だった』
とのみ記すことにした。
(……これは楽でいいや)
『平凡な一日』頻度は次第に増し、1週間全てがそうなり、そんな週が増え……
(いえ、書きたいことがあれば書いていたんですよ……)
さすがに先生も、
『何か書くことがあるでしょう』
── たまに赤字で書かれたけれど、担任だって細かく書かれたら読まなければならないし、私の、
『今日は平凡な一日だった』
が先生には砂漠のオアシス、実はひそかに、
「クラス全員が『今日は平凡な一日だった』と書いてくれたらどんなにラクだろうか……」
と思っていたのではないか……。
彼にとって不幸なことに、クラスの中でざっくり女子の半数と男子のうち2-3人は真面目にぎっしり書いてくるような連中だったため、読んだ『証拠』に赤字でなんらかのレスポンスを記さねばならなかった ── このシステムを決めた人(校長?教育委員会?)にひと言言いたかったかもしれない。
『平凡な一日』作戦により、私は貴重な時間を少年サンデー連載の『伊賀の影丸』『サブマリン707』を読みふけったり、TVドラマ『それ行けスマート(Get Smart)』『宇宙大作戦(Star Trek)』やお笑い系『てなもんや三度笠』『吉本新喜劇』などを愉しむことができた ── その後の人生にとって貴重なコンテンツばかりであーる。
まったくもって、『連絡帳』を前に何を書こうか頭をひねるよりも、はるかに有意義な時間でありました。
2021年以降の日記が途絶えるのは、長女に勧められてnoteを始めたためです。もちろん、毎日投稿しているわけではないけれど、noteがかつての『連絡帳』になってはいけないなあ……とも思い、また、そのような『自己警鐘』が鳴っただけでも、
日記発掘は有意義だった ── と思うのでした。