「キミ、それは《五月病》って言うんだよ」
この話は別アカウントに書いたことがあります。
新マガジン『アノ人の正体』を構成するにあたって最初に浮かんだのはこの人でした。
その路線に沿って書き直してみました。
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名古屋の高校を卒業した私は、大学入学のために上京し、東京郊外にある4畳半ひと間、共同トイレ・台所の木造アパート下宿に住み始めた。
自衛隊に勤務する大家は自分が受験で苦労したため、浪人生にしか部屋を貸さない方針だった ── 浪人を経て大学に受かり、そのまま住み続ける人はもちろんいたが。
入学手続きにあたり、保証人を引き受けてくれた叔父が防衛大の同期であるこの大家を紹介したのがきっかけで、私はアパート開闢以来初の、浪人経験のない大学生となった。
3月の終わりに2階の1室に住み始めた私は、同じ2階に住む、3浪後に大学に入学したばかりの3人の先達、それに1浪を開始したばかりの2人と仲良くなり、ほとんど毎日のように誰かの部屋か廊下で酒盛りをしていた。
ある日の廊下宴会中、急な階段をのそりと上がって来たのが1階の住人であり、このアパートの『主』ともいえる、Sさんだった。
彼は牛乳底のような厚いレンズの眼鏡をかけ、頭はおそらく自分で刈ったらしい左右非対称な髪型、そしてくたびれたポロシャツにダブダブのズボン ── だけならいいが、ベルトループに通してあるのは太めの荒縄で、それがヘソの位置でしっかりと結ばれていた。
── そして、彼の手には、古びた湯呑みがあった。
「お、Sさん、一杯やりますか?」
熊本出身の3浪経験1年生が『美少年』の一升瓶を差し出すと、
「お、いいですかな?」
と湯呑みを差し出した ── まるで、たまたま持っていただけですが、と言わんばかりの仕草で。
Sさんの年齢は不詳だったが、3浪経験1年生3人より、明らかに年長だった。
この『長老』に3人の新入りが紹介された。
浪人生活に入ったばかりの2人には表情を変えなかったSさんだったが、私が紹介された時には、何か口の中でつぶやいたように思えた。気のせいかもしれないが、牛乳瓶底が一瞬くもったようにも思えた。
Sさんが山形出身だと紹介され、新入りのひとりが、
「自分も山形です! 新庄出身です! 先輩の御出身は、どちらですか!」
張り切って尋ねた。
ところが、Sさんはなんだか機嫌をそこねたようで、
「どこだっていいだろう! ……そんなの」
黙って酒を呑み、器がカラになると、じゃ、これで、と階段を降りて行った。
残された新庄出身者は、何がいけなかったんだろう、とおろおろするしかなかった。
「……Sさんな、今年、7浪めに入ったんだ」
3浪トリオのひとりが言った。
「え……ナナロウ?」
それは、多くの日本人の語彙には無い言葉だった。
「ああ……オレらがここに来た時にはもう既にあんな感じだったな」
「……弟がひとりいるらしいんだが、Sさんを『追い越して』もう働いているらしい」
Sさんは、そのアパートで一番の早起きだった。
彼は国鉄(当時)駅の売店(KIOSK)に新聞や雑誌をおろすバイトをしており、それはどうやら、他人とコミュニケーションを持つのが苦手な彼が紆余曲折の末にたどりついた『天職』のようだった。
朝、私が起きてトイレに降りる頃にはもう、Sさんは仕事から戻っており、汚い靴や下駄がびっしり並び開けっぱなしの玄関に配達員が投げ入れた新聞を読みふけっていた。
たいていは階段の下から3段目ぐらいに腰をかけ、両手で新聞を広げていた。
「あ、……失礼しまあす」
自分の購読紙を手に、脇を抜けて部屋に戻るわけだが、その新聞を彼が読んでいる時は少々厄介だった。
「あのう……Sさん?」
「何だい?」
「その新聞……ボクのです……けど」
「ほう、……キミ、新聞とってるの?」
「はい、……その……」
「お金持ちなんだね」
「いえ、部屋まで来たセールスに、強引に契約させられまして……」
「ふうん……」
そして、私をそのままに、Sさんは心なしかページをめくる速度を増し、最終ページに至った後、丁寧にそれを畳んだ上で、
「はい、新聞!」
と『配達』してくれるのだった。
いくつもの理由があるが、私は次第に大学に行かなくなった。
そのアパートからキャンパスまで時間がかかるのがひとつの原因であり、2階での毎夜の宴会も、当然翌朝の二日酔いを招いた。隣の、女子学生だけのアパート下宿から廊下宴会への参加者が現れたのも大きかったかもしれない。
早くも春の連休前には部活(少林寺拳法)の練習日以外はほとんど大学に行かなくなり、連休後にはそれすらも頻度が減った。
そんなある日、私はSさんに尋ねられた。
「キミ、最近、ここにいることが多いみたいだけど、学校、行ってないの?」
「はあ……なんだか、行く気がしなくって」
この時、Sさんは、本当にうれしそうな顔で言った。
「キミ、それは《五月病》って言うんだよ」
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私はその年大学を留年し、翌年2回目の1年生になった。
いろいろあって、そのアパートには居られなくなり、3浪1年トリオや1浪コンビ(ふたりとも ── こんな生活をしていれば当然だが ── 2浪目に突入した)と同じく、引っ越した。
社会復帰できるだろうか ── 少々不安だったが、留年仲間ばかりの奇妙なサークルに入ったこともあり、その後は無事に ── と言っていいかどうか ── ともかく、トータル5年で卒業することができた。
Sさんは我々が彼の地を離れた春も受験に失敗し、8浪目に入った。
その後しばらく、私はあのアパートのことを想い出すたびに、今でもSさんが急な階段の3段目に座って、誰かが購読している新聞を読みふけっている情景を想った。
いや、あれから半世紀近く経った今も、『長老』は階段わきの同じ四畳半に住み、受験勉強を続けているような気がするのである。
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