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史上最強力士・雷電爲右エ門から史上最弱・鬼瓦妖之介紹介を

今年の夏、諏訪・八ヶ岳・清里エリアを訪れた際に諏訪大社に立ち寄りました。

いつものように御柱おんばしらを見て回り、参拝しようとして、北参道鳥居の脇にふと目を留めたのがこの石像:

諏訪大社の「雷電爲右エ門」像

信州・小県郡大石村出身の雷電らいでん爲右エ門ためえもんです。
「おお!」
これまで来た時には御柱おんばしらの運搬など、何かしらイベントがあったためかスルーしていたようだ。
地元・茅野市出身の彫刻家が作製し、文部大臣賞受賞後に諏訪大社に奉納されたとのことで、製作にあたっては、柏戸、佐田山、富士錦という昭和の三力士をモデルにしたという。

勝川春亭による錦絵「雷電爲右エ門」

雷電爲右エ門は江戸時代寛政から文化にかけて活躍した江戸相撲の力士で、今の値に換算して、身長197cm、体重172kgの巨漢でした。
石像の脇に原寸大の手形が残されていますが、私の手などは指先まで含めても彼の『掌紋』におさまってしまうほどの大きさです。

手形もでかい!

雷電(他にもこの四股名の力士がいるため、通称は「信州雷電」)は『大相撲史上最強の力士』と呼ばれています。なぜなら、現役生活21年のうち、江戸本場所在籍35場所(うち、大関在位27場所)で、通算254勝10敗、勝率.962という、空前絶後の成績を収めているからです。

本記事に、樹山瞳さんからコメントをいただきました:

そう言えばYMOのライディーンは確か雷電ですよね(´ω`)

そうでした、そうでした……では、遅まきながら……

さて、この雷電爲右エ門と私は多少の《縁》があります。

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雷電引退後、天明以来の相撲人気に翳りが見え始めた時、彗星の如く現れたのが、やはり信州上田出身の巨漢力士鬼瓦おにがわら妖之介ようのすけでした。

江戸相撲の大鰯おおいわし部屋に入門後、兄弟子たちに投げ飛ばされてばかりで自信を無くしかけた鬼瓦を、御籤みくじの末吉はこう言って励まします:

「初めは誰だってそうさ。みんな稽古積んで強くなっていくんじゃねえか。大丈夫、惚れ惚れするようないい体だ。名大関、雷電為右衛門の若え頃にどこか似てるぜ。その頃あ、おいらほんの餓鬼だったんだが、深川生まれの本所育ち、回向院や八幡宮に勧進相撲がかかるたびに、木戸番の目え掠め、潜り込んで見たもんだ。第一、手がでかい。雷電もでかかったぜ。回向院に手形が奉納されてるが、一尺近い大手形だ。おめえもほら、一尺ぐれえあるんじゃねえか。さっき肩つかまれた時にゃあ、骨がはずれるかと思ったぜ」

時代小説「鬼瓦妖之介土俵入り」より

次の『信州雷電』を目指して稽古に励み、ついに初土俵を迎える鬼瓦でしたが……

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