吹き溜まりナイン、旋風を起こす
映画「がんばっていきまっしょい」を劇場で見たのはいつだったろうか。
映像は、伊予東高校ボート部の艇庫兼クラブハウスから始まる。
埃だらけの壁に1枚の写真が張ってあり、トレーニングウエア姿の5人の少女が写っている。彼らは、1976年に入学したボート部女子部の創設メンバーだった‥‥
田中麗奈が演じた主人公は、
「ボート部が無ければ、作りゃええんじゃ」
と、ナックルフォアに必要な残り4人の仲間を集める。そして、彼女たちと、勝利目指して練習を重ねる。
はじめに「チーム」が存在しなかった場合、「メンバー集め」は、その後のチームとしての戦いと同じくらい価値のある「プロセス」である。高校生がロックバンドを組む映画「青春デンデケデケデケ」も、「七人の侍」もそうだった。
いや、「ひとりずつ口説いて仲間を集め、チームをつくる」過程があるからこそ、「共通の目標に向けて頑張る」過程が、より、かけがえのない時間になるのだと思う。
映画を見終わった時、熱い思いがあふれ、しばらく動けなかった。
心は、かつて私自身が仲間を集め、ひと月余りだけ存在した、学生時代の野球チームにあった。
昔のアルバムを引っ張り出した。そこには、背番号147(麻雀のイースーチーの『スジ』)を付けた《カントク》が、宙に舞っていた。
私が通っていた大学は、入試はざっくり「理工系」で採り、教養2年の秋に、各学生の希望と成績によって専門学科に振り分ける。
1年留年し、成績もパッとしなかった私が不本意ながら振り分けられた学科は、応用物理、建築などの人気学科に行けなかった学生が掃き寄せられていた。
夢破れた若者が、次の「脱出」機会となる、就職や院試までの2年間を消化するため、仕方なく授業に出ていた。
中には、教養2年を終えるまでに8年を費やし、1浪と合わせその年28歳になるオジサンまでいた。
この《オジサン》は、ほとんどが20歳前後の同級生から完全に浮いており、間もなく専門科目の授業に出なくなったばかりか、試験日ですら顔を見かけなかった。最長12年しか籍をおけないその大学で、3年生の試験をまったく受けに来ない《オジサン》の命運は、風前の灯だった。
学籍番号で私の前の、体格はいいがひどく生気のない学生と話をしているうちに、彼が中学時代、野球部のエースだった事を知った。高校では運動部には入らず、「帰宅部」で受験勉強に励み、現役合格したという。
「‥‥それなのに、結局、こんな所に来ちまってさ。もう、どうでもいいや、って感じ」
学科の名簿で彼の苗字は誤記されていたため、講義で出席を採るたびに間違った名で呼ばれたが、これも、訂正するわけでもなく、
「はーい」
投げやりに返事していた。
「‥‥どうでもいいや、名前なんて‥‥」
第一志望で学科に来た、というひとりを除き、多くは、《今生》での幸福を諦め、卒業後の《来世》に期待していた。
私自身も、辺りに漂うネガティブな雰囲気が嫌で、徹夜麻雀の翌日は講義に遅れ、ヒッチハイク旅に出ては講義をさぼる、といった日々を過ごしていた。
秋になり、工学部自治会が、学部長杯軟式野球大会を開催する、という通知を連絡板に張り出した。優勝賞品は大瓶ビール2ケースだという。
私は、野球といえば、小学校の頃にクラスのチームで何度か経験がある程度だった。
「ウチの学科でチーム作る、か?」
まったくの思い付きで、学籍番号がふたつ前の友人に声をかけると、
「いいな、それ」
予想外の答えが返ってきた。
「俺、下手だから、ライトで8番 ── ライパチでいいよ」
ちゃっかり自分のポジションと打順まで決めながら。
(おいおい)
しかし、もう後には引けなくなった。
そもそも、私はチームプレイが大嫌いな個人主義の一発屋だった。「仲間と」「自主的に」何かすることなど、高校時代のロックバンドを除き、ほとんどなかった。
(仕方ないな)
やむを得ず、メンバーを集め始めた。
最初に声をかけたのが、例の《どうでもいいや》だった。
「ええ? ──俺が投げたって、勝てるわけないよ。やってたって言っても、中学だぜ」
予想通り、筋金入りの後ろ向きだった。
「ま、考えといてくれよ」
進学者名簿の自己紹介欄に、中学時代は野球部、と書いた男をもうひとり見つけた。彼はやたら元気で、学生控室でいつも大声をあげているが、何かあるたびに、
「よし、いこか!」
と周りに声をかけることでも知られていた。
彼と話してみると、中学ではキャッチャーだった。
「よし、バッテリーは揃った。あとは人数合わせだ」
《ライパチ》はノー天気に喜んだ。
しかし、この《いこか!》はチーム作りで大きな戦力になった。
なおも参加に後ろ向きな《どうでもいいや》に、
「グラブ持ってグラウンドに来いよ ── お前の球筋、見てやるよ」
と言い放ち、投手魂(?)に火を点けたのである。
《どうでもいいや》が試投を行う日、それまでに声をかけた、過去に多少は体を動かしていたらしいその他数人も、 ── たぶん、その時点では、かなり純粋な野次馬根性で、 ── グラウンドに現れた。
その中には、既に28歳の誕生日が過ぎていた《オジサン》も含まれていた。その頃はほとんどキャンパスで顔を見ない彼がどうして、と訝しんでいると、
「俺が声かけたんだ」
と《ライパチ》が言った。
「ええ? ── さすがに無理だろ?」
「いや、あいつ、高校時代、野球部でショートだったんだってさ。スゲーだろ?」
(10年も前の話だろ?)
私は思ったが、黙っていた。まだ20年ちょいしか生きていない当時、10年前は太古の昔だった。
《どうでもいいや》は《いこか!》相手に緩いキャッチボールから始め、やがては座らせて本格的に投げ始めた。
「おおおおお!」
《ライパチ》が大げさに叫んだ。
素人にはよくわからないながらも、結構な剛球がキャッチャーミットに唸りを上げ始めた。《いこか!》も、ウン、ウン、 ── てな感じにうなずいている。
「よし、俺らもキャッチボールしようか」
手持ち無沙汰の私たちが軽く体を動かしている間に、《どうでもいいや》の顔つきが変わってきた。コントロールを確かめるためだろう、《いこか!》もミットの位置を少しずつ動かした。
「よし、俺がノックしてやるよ」
投球を終えた《どうでもいいや》は、息を弾ませながら、《いこか!》が持ってきたバットを手にした。
誕生したばかりのバッテリーを除くメンバーが、《どうでもいいや》の打ったゴロを捕球し、《いこか!》に投げ返すルーティーンを3巡ほど終えた時、《オジサン》に対する見方は大きく変わっていた。
よっこらしょ、という感じに中腰で構えた彼は、しかし、華麗なグラブさばきを見せたのである。
「ほら、見ろよ」
《ライパチ》が得意そうに言った。
しかし、困ったことがあった。そこに集まったチームメンバー候補の中で、少なくとも守備では、私が一番下手だったのである。トンネルもあったし、暴投もあった。《ライパチ》は私とほとんど変わらぬ2番目で、それ以外のメンバーとはかなり差があった。
行きがかり上最初の練習日となったその日、集まったのは偶然にも9人だった。私は、スカウト活動をそこで止めることにした。
── ここまでがドラマだった、と今でも思う。
しかし、話は最後まで続けよう。
初戦が始まるまで3週間ほどの間に、私たちは何度も集まって練習した。
私も含めてだが、吹き溜まりに吹き寄せられた身の不運を嘆きつつ授業をさぼる学生たちが、にわか野球部の練習には、休まず出てくるのである。
《オジサン》などは、練習に来る「ついでに」、授業にまで顔を出すようになった。
学生控室に立ち寄ると、いつもメンバーが集まってきた。
「カントク、建築にすげえピッチャーがいるらしいぜ」
「カントク、応化も母集団が大きいから手ごわそうだってさ」
他の学生は、相変わらず冷ややかだった。
(吹き溜まりで張り切っても ── ねえ)
そんな雰囲気だった。
学部長杯が始まった。
私は、元エースを3番に、元捕手を4番に据えた。5番打者には、思い切って10年前の元ショートを抜擢した。
《ライパチ》には希望通りライトで8番を任せ、《カントク》の私はレフトで9番だった。センターに足の速い男を配置し、あとは左右外野にボールが飛んで来ないことを、ただ祈った。
私たちのチームは、ワンマンチームならぬ、かなり徹底したツーマンチームで、守っては黄金のバッテリーが次々と相手を三振に斬って取り、たまに出塁したランナーをどちらかが牽制で刺した。
打っては3、4番がヒットで出ては二盗、三盗、あげくはホームスチールまでして点をもぎ取るのである。5番の《オジサン》も、バッティング自体は良かったが、走ると息が上がり、しばしば走塁死した。
《カントク》は一応、三塁コーチャーズボックスに立っていたが、もちろん、ただ立っていただけだった。
1、2回戦を勝ち進むと、傍観していた他の学生たちが応援に来るようになった。俺は実は高校でサードやってたんだ、などという入部売り込みもあった(もちろん、丁重に断った)。
勢いというのは恐ろしいもので、準決勝はインカレ出場した陸上やり投げ選手がピッチャーを務める強豪・都市工だったが、剛速球をよく選んで出塁し、盗塁でかき回す、という作戦で、かろうじて勝利を挙げた。
決勝は対応化戦だった。当時の応用化学科は、公害問題の反動から、進学振り分けでは、我々の学科と1、2を争う吹き溜まりだった。
吹き溜まりで寒風に舞う学生同士の決勝戦にはなかなか感慨深いものがあったが、私たちは容赦無く応化チームを打ち破り、優勝を決めた。
試合後、《カントク》の身体は宙を舞った。それまで体育会系とは縁遠い人生を送っていた私にとって、最初で最後の経験だった。
今でも、個人的「リアル・がんばっていきまっしょい」を想い出す時、試合や練習のシーンより、その前の、仲間をひとりずつ口説き落としていった日々に心は飛ぶ。
<このエッセイの初出は2021年4月です>