すぐそこにある《ジョブ型雇用》 (SS;1,900文字)
「お父さん、どうしたの? ……急にぺこぺこ頭下げたりして。……え、会社のエライ人 ── ブチョーさんが向こうから歩いてきた?」
おう! リロカワ君、偶然だなあ! 息子さんと散歩? ほう、ユウタくんっていうの? こんにちは。おじさんはね……
「『ブチョー』って名前なんですか?」
ははは、違うよ。部長は役職だよ。お父さんの上司……つまり、上の役目なんだ。
「へえ。じゃ、ウチのお父さんの役職はなんですか?」
キミのお父さんは……うーんと、ヒ、ヒラ……いやその、リロカワ君は、そのう……『フツー』の役、とでもいうかな」
「『フツー』ですか。商店街で偶然会って、『フツー』の方はペコペコ頭下げてるのに、『ブチョー』はほとんど頭、下げないんですね?」
あ、こりゃ失礼、会社ではお父さんはおじさんの部下だから……。
「部下には頭、下げなくていいんですね?」
そういうわけじゃない。── そもそも、リロカワ君、キミが何度も頭下げるから、息子さんが心配しているじゃないか。
「いえ、別に心配しているわけじゃありません。ただ、『フツー』と『ブチョー』の関係に興味があるんです。── 今は会社の勤務時間じゃないですよね」
そりゃ、息子さんの言う通りだ ── 賢い子だね。
リロカワ君、ここは会社の中じゃないんだから、キミも私も対等な関係のはずだ。
「じゃあ、会社の中では『ブチョー』と『フツー』の関係は対等じゃないんですね?」
そりゃそうだよ。さっきも言ったように、おじさんはお父さんの上役、上の役なんだ。
「へえ、上の役ってどんな役なんですか?」
おじさんがお父さんに、この仕事をこういう風にやってくれ、と命じる、そして、その仕事をお父さんがしっかりやってくれたら、お父さんをホメて、お父さんにたくさんお金をあげる ── そういう役だよ。
「へえ! 『ブチョー』がお父さんにお金をあげてるの!」
いや、そうじゃないが……まあ、いいか……。
「だからお父さんは、こんな風に道でたまたま会っても、あんなにペコペコしてるんだね? 今は仕事中じゃないのに、『ブチョー』のご機嫌をとって、お金をたくさんもらおうと思ってるんだ。ペコペコすると、『ブチョー』が喜んでお金をくれると期待してるんだ」
うーん……いや、困ったな。リロカワ君、キミのせいだぞ。
まったくもう……ここは会社じゃないんだから……。
「でも、ここは会社じゃないから対等で、会社の中では対等じゃない、って考え、ホントにそれでいいんでしょうか?」
は? ……どういうことだい?
「『ブチョー』って、別にエライわけじゃなくって、会社の中の《機能》のひとつなんじゃないですか?」
……うーん、そりゃ、その……。
「新聞に《ジョブ型雇用》って載ってたけど、ITエンジニアとか生産現場要員とか営業担当とか、そんな職種ごとに雇用契約をする話だけじゃなくって、『ブチョー』っていうのも、ひとつの《ジョブ》なんじゃないのかな?」
あ……確かにそうだ。
「だから、おじさんは『ブチョー』という《ジョブ》、お父さんは『フツー』という《ジョブ》で会社に雇われていて、どちらも、それぞれの仕事を期待通り行えば契約通りのお金がもらえる、期待以下ならお金を減らされる、全然ダメなら次の年にはクビになったりするんじゃないかな?」
なるほど。……そりゃそうだ。
「だから、商店街で会った時だけじゃなくって、会社でも、『ブチョー』と『フツー』は対等な関係のはずだよ」
……その通りだ。
リロカワ君、ユウタくんの言う通りだ。こういう所ではもちろん、会社でも、変に気を遣ったり、胡麻をすったりするのはやめなさい ── いいね?
「お父さん、おなかすいちゃった。もう帰ろうよ。
……じゃ、ブチョーさん、今後とも、父をどうかよろしくお願いします ── よくご存じと思いますが、マジメが取り柄の人間ですので、 ── 御社の成果創出と発展に、しっかり貢献するはずです」
あ……ああ……なんかキミ、き、急に、変わったような……。
「あーあ、ボク、ホントにおなかがすいちゃった。
── でもお父さん、『ブチョー』が最後に言ってた、
『会社でも、変に気を遣ったり、胡麻をすったりするのはやめなさい』
っての、絶対に本気にしちゃだめだよ。ああいう人って、頭の中は結局、元のマンマなんだから。
いくら《ジョブ型雇用》の世の中になっても、やっぱり組織の中は人間関係が基本、ああいう胡麻をすられて喜ぶ人間には、やっぱり『ヨイショ』しなきゃ、ね」
<初出:2022年10月24日>