前略 松本人志様【前編】
ちっともおもしろくない若手のお笑いに出会ったら、
松本のせいだと思って良いだろう。
―――島田紳助(『哲学』松本人志 島田紳助 共著)
▼▼▼『ごっつ』直撃世代▼▼▼
昨年末からの松本人志騒動に心動いている。
『夕刊ジンナイ』の放送でも話したが、
僕は『ごっつええ感じ』直撃世代で、
もう、彼の影響なしにはいられなかった世代だ。
「彼の影響でお笑いを始めた芸人」の影響も受けている。
二重三重に影響を受けていて、
それはある世代におけるビートルズの影響とか、
そういったものに近い。
Oasisを聞いていればそれはビートルズを間接的に聞いているのと同じで、
エド・シーランを聞けばそこにはやはりビートルズがいて……
っていう話と似ていて、
あらゆる年代のM-1チャンピオンの芸人の笑いで笑っているのは、
間接的にダウンタウンで笑っているのと同じなのだ。
もう、松本人志論は聞き飽きた、
というほど、この1か月、
あらゆる人が松本について語っている。
屋上屋を架すような話になってしまうが、
それでも語らずにいられない。
ある世代にとって、
特に「男性」にとって(ここがポイント)、
松本人志を語ることは、
その人自身を語ることと同義なのかもしれないから。
そしてそれは自然と、
罪の告白のような様相を呈してくる。
松本人志は「鏡」なのだ。
僕の松本論はつまり、
僕の「陣内論」でもある。
つまらない考察になるかもしれないが、
告解室で罪人の告白を聞くと思って、
寛大に聞いていただけたら幸いである。
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