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秋風と文章と




ギリシア語の「プネウマ(pneuma)」という言葉は、
風と息吹を意味します。
キリスト教の世界では、「息吹」とは神の創造の力のことです。
それは三位一体の父と子と聖霊の「聖霊」を指す言葉でもあります。
困難に対応する力は、弱き者の内に既に秘められているが、
しかし、それに何者かが、息を吹きかけない限り顕れてくることはない。
しかし、息を吹きかければ火と熱を帯びてよみがえってくる。
さらにそこに一本藁を入れれば、
火はまたたく間に広がっていくだろう、ということなのです。
         ―――『永遠の今を生きる者たち』若松英輔


▼▼▼2022年の鬱の再発▼▼▼



2年前、例によって猛暑の8月を過ごし、
僕は鬱の再発に見舞われた。

2016年に鬱が寛解してから、
毎年のように8月後半から9月前半に再発し、
2か月ぐらい動けなくなった。

再発は前触れもなくある日突然訪れ、
前触れもなくある日突然回復した。
発症した日と回復した日を手帳に書けるぐらいに。

仕事のストレスや心の状態とは無関係に、
鬱の再発は襲ってきた。

鬱は心の病気と言われるけれど、
ほんとうは「脳の病気」というほうが正しい。
脳の器質的な変化が引き起こしていて、
セロトニンだとか脳内伝達物質のバランスが崩れている。
あと、炎症が起きているかもしれないという最新の仮説もある。

とにかく鬱は「臓器としての脳」が引き起こすのであって、
「心が弱い人がなる病気」というイメージは、
偏見やレッテルの原因になるので、
僕は「心の病気」という表現を好まない。

持病の鬱と戦い続けている水道橋博士も、
同じことを言っていた。
「心の病気じゃなくて脳の病気だから」。

歴史学者の與那覇潤さんは、
ちょうど僕と同じ時期に2年間鬱で休職した人なのだけど、
「鬱が心の病気じゃなくて脳の病気であり、
 心が弱い人がなるというのは偏見だ」
ということを説明するために、
入院していた時に同じ病室の屈強なラガーマンを紹介していた。

このラガーマンはとてつもない身体をしていて、
名門大学でインカレ選手として活躍した。
心が弱いはずはないけれど彼は鬱で入院していた。

あるとき彼がベッドで「しびん」に用を足していた。

與那覇さんが「足が悪いんですか」と聞くと、
涙目で彼は言った。
「いや、トイレまで歩くだけの意志力が、
 どうしても出てこないんです。
 こうなる前、部活では誰よりもきつい練習に、
 一番耐えられたんですけどね」

脳のエネルギーがなくなるというのはこういうことを言う。

その自分と健康な自分の間のギャップに、
当事者はショックを受け絶望する。
涙が出るのはその落差にショックを受けているからであって、
心が弱いからではない。

心が弱いから鬱になると誤解する非当事者の分析は、
原因と結果が転倒している。
鬱になった自分と健康なときの自分のギャップに、
どんなに強い人間でも心がへし折られるのだ。

さて。

僕は2年前鬱の再発に見舞われた。
ある日から突然何もできなくなる。
顔面の筋肉が麻痺したかのように顔から全ての表情が消え、
心からは絶望以外のあらゆる感情が消え去る。
布団は鉛のように重く感じ、
感情と関係なく理由のない涙が出てくる。
「死にたい」という声が四六時中脳内に響く。
(これも自分の意志と関係ないので、
 「気の持ちよう」とか関係ない。
 認知行動療法によって打ち消そうとすることは、
 僕の場合はだけどむしろ鬱を深め逆効果だった。
 むしろ希死念慮を肯定したほうが楽になる)

「あー死にたい」が口癖になる。

脳がバグってるわけだから、
そのバグの声だと思って、
とにかく「時間をやりすごす」ことだけを考える。
抵抗しても無駄だから。

心療内科に行った。

もうこの季節の鬱の再発は夏が暑いとどうしようもないんです。
とにかく筋トレだけは手放さないようにしてます。
泣きながら筋トレだけする毎日です。
医師は言った。
「僕のすべての患者に見習ってほしいです」

薬を2回ぐらい替えて、
2か月で3種類ぐらい飲んだけど、
まったく症状は改善しなかった。


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