夜中

敷かれたレールという言葉に非常に縁がある人生を歩んできました。

小さい頃から親が決めた小学校に入り、親がやっていたという理由だけで野球を始めました。人生の選択に迫られた時はいつも、レールの道筋を確認し道がある方を、なんの迷いもなく歩き続けてきました。

それはそれで楽でした。間違いはないと思い込むことができるからです。失敗するリスクを恐れていました。一度レールから外れたらその先にどんな道があるかわかりませんから。

そして、社会に出る選択肢を決断した今。またも道がある方を必死に探しています。

灯りが見えてきました。ひどく臆病な僕の、退屈という特急列車は、その勢いは衰えることを知らず。


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