本とこの頃
近況を少し残しておきたいと思います。
山梨に来てもうそろそろ3ヶ月が経過する頃。街にはずいぶんと慣れてきました。ある程度過ごしやすい便利な側面を持ちながら、地域に住む人の交流が身近な村社会である部分もあって、田舎ならではのこぢんまりとした空気はやっぱりどこも一緒なんだな〜と感じることも増えました。
2度目の移住経験を経て、そうした外の視点のなかでも様々な地域の持つ特色や文化の違いを比べることができるのは、面白い体験です。僕の移住は華々しいものではなく、もっと言えば切羽詰まったものだったので、命からがら生き延びた先にたどり着いたのが、たまたまご縁のあった山梨だったという感じで。
だから移住を掲げたいと思うこともなく、むしろ申し訳ないような心持ちで、改めて地域で生きることの意味を見つめてみたいと思っています。ありがたいことに、地域に移住をすると相対的にまだ若いと認識されるので、なんでまた山梨へ、なんでまた韮崎へ、と尋ねられることが多いのです。
城崎のときもそうでしたが、やっぱり地域へ出るということは、何かしら理由を抱えているという認識が自然と結びついているのでしょう。都市部を離れることは世の中の道理とは反するのか、或いは、どこか『移住』という言葉にストーリー性を見出そうとしているのか。一から丁寧に説明すれば長くなってしまうし、果たしてそれを伝えた先にどこまでの共感を得ることができるのか、という疑問をずっと抱いていたので、簡潔でおおっと腹落ちする回答を用意したいなあと日々悶々と考えておりました。
くどくどと話をしていると、途中で、ああ、この人あんまり興味ないんだなと感じることもあったり、簡潔すぎると人間としての多層性が減ってしまうような気もするのです。でもこの「なんでこの地域へ」は、英語で言う「How are you」に近いものがあって、実は特に内容を求められていないんじゃないか、ということを最近考えるようになりました。つまり共通話題を見出すための、とりあえずの挨拶みたいなもので、適当なキーワードを押さえて話をするといいのかも知れません。
最近の日々は充実しているといえば充実しており、先日、我が家にもついに車がやってきました。初心者マークをつけて、運転はまだまだ不慣れですが、これでようやくいろんな場所へ遊びにいけるようになりました。隣町の北杜市には素敵なお店がたくさんあって、自然も豊富にあるので、のんびり過ごしにいきたいと思っています。
つい先日は陶芸作家の友人、梓さんの個展を見に、長野の八ヶ岳高原ロッジまで行ってきました。一人で運転するのは初めてで、運転自体はこれで3度目程度なものだったのですが、なんとか無事にたどり着くことができました。それ以降、富士見や諏訪、北杜などは車でも臆することなく走ることができるようになって、運転が楽しくなってきた今日このごろ。
また昨日まで、写真家の友人、文香ちゃんが遊びに来てくれました。個展の打ち合わせに合わせて、我が家に泊まりに来てくれて、2年ほど積もった話を夜な夜な語ったりしていました。遠くからでも遊びに来てくれるのはとても嬉しいこと。大きな一軒家を借りていて、まだ部屋が3つも空いているので、山梨にお越しの際はよかったらぜひ。
siecaの方も、少しずつ自分のなかで継続する活力が生まれてきました。先日新しく信陽堂さんから出版された『雲ができるまで』を入荷したんです。
初版は1997年に発行され、長らく入手困難になっていたこの短編集。永井さんの作品は以前から読んでいて、『サンライト』に『愉快のしるし』はどれも好きな作品です。だから、今回復刊されるとのお話を伺って、とっても楽しみにしていました。信陽堂の丹治さんはとても優しい方で、いつか僕でも恩返しできるように、頑張りたいなと思っています。多くの人の手に、手がけてくださった本を届けることが、精一杯の恩返しにつながると信じています。
また以前までsiecaの書籍を買ってくださった方にプレゼントしていた、ドリップバッグを再開することにしました。今回は山梨の人や暮らしをつたえるフリーマガジン『BEEK』の土屋さんが手がけたコーヒーバッグで、お湯につけるだけで簡単にコーヒーができるタイプのもの。
土屋さんもコーヒーや本が大好きで、デザイン業界でとっても素晴らしい方。9月の甲府で開催される一箱古本市にも誘っていただいて、身近に素敵な人が多いのはすごく嬉しいことです。
正直、書籍の販売で出る利益って数百円程度なので、このコーヒーバッグを無料で一つプレゼントしてしまうと、ほぼ利益が出なくなってしまいます。でも、それでいいんだと思っています。
いまでこそamazonなどで、送料無料でいつでも本を買えてしまう時代に、僕たちから買いたいと思ってもらえることだけでとっても嬉しいこと。送料もかかってしまうし、届けるまでに時間がかかることもある。けれど、そうした『待つ』という心の余裕を持って、その喜びを楽しんで貰えたらいいなと思います。本とコーヒーを一緒に楽しんで欲しいという思いもあったり、送料分のお礼の意味も込めて、一つプレゼントしたいと思いました。
少し前、京都にいた頃、バスや電車が時間通りに来ないことをストレスに感じてしまうことがありました。時代の変化というのは恐ろしいもので、何ごとも時間通りにやってくることが当たり前で、それを享受することが当たり前で、待つことのできない人間になってしまっているのだな、と自覚することではっと気づいたのでした。
いまの時代、欲しいものはいつでもすぐに買えてしまうし、届いてしまう。誰かに連絡だってすぐにできるし、生産効率も目に見えて上昇してしまった。そうした資本主義的な豊かさを求める一方で、本当に豊かであったものとは何だったのか、ということを改めて考えてみたいのです。それこそが、冒頭にも書いた、改めて地域で生きることの意味を見つめることにつながってくるのではないかと考えます。
田舎であれば、電車が1時間に1本でも全然許せる心の余裕が生まれます。まあ田舎だからな、と心のなかで唱えてあげると、途端になんでも許せるのです。宅配が遅れても、仕事の返事が返ってこなくても、どことなく粗雑な対応であったとしても、まあ田舎だからな、という一言で、海のように広い心を持って生きることができるのです。逆に言うと、都会では洗練された効率化が成されている一方で、「洗練された効率化」を求められるのです。そうした側面において息苦しさを窮屈に感じてしまうこともあって、果たして豊かさを追い求めた先にあるのはなんなのだろうか、と思うのです。
ルチャリブロの青木さんがよく、此岸と彼岸という仏教的な言葉を用いて言い表すことがあって、深く膝を打つことがありました。生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸といい、その反対側の迷いや煩悩に満ちた、私たちがいる世界を此岸と言うそうです。此岸的なルールの及ばない地域(彼岸)との関係性のなかで、どちらにも行き来できるような環境を持っておく。例えばそれは貨幣経済としてのルールでも同じことで、商品と金銭の無機質なトレードではなく、人の交流に宿る温かな関係性を保ちたいと思うのです。
時代のスピードを遅らせて、おおらかに待つ喜びを見出すこと。そういうことのできる感性を持ってくれている人は、きっと少し送料を払ってでも、時間がかかったとしても本やコーヒーを購入してくれるだろうし、そういう人に出会えた感謝を込めて、ちいさなお手紙を添えて、コーヒーバッグをお渡ししています。
最後に少しだけお知らせです。10月、長野のmountain bookcaseの石垣さんと一緒に、イベントを開催することが決まりました。いまのところ、10月の29日と30日予定です。
先日発売された、群像 8月号にも随筆を寄稿されていた、いまとっても話題の作家さんをお招きすることに。siecaとしては約2週間の間アメリカヤ ビル丸ごとお借りして、5階までの階段のなかを彼女の言葉を吊るし、表紙のイラストを個展風に飾ろうかと思っています。文学の展覧会などで見かけるような、トレーシングペーパーに写した言葉を辿るように、屋上まで階段を登ってもらえたら楽しいんじゃないかと考えました。そして29日にはまだ未定ですが、ビルの屋上にてトークイベントとサイン会を開催したいと考えています。
30日はmountain bookcaseさんの方で、小さな座談会か、短歌フェスの開催に合わせて一緒に楽しんでいただけるようにするかも知れません。どちらにしても、作家さんとお会いできることがとっても楽しみです。
あたらめて告知すると思いますので、よかったらぜひ遊びにきてください。
ここまで読んでくださってありがとうございます。 楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。