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俺の隣は"しゅんけい"しか似合わない

よく初対面の人に質問されます。

『信用できる友達ができません。どうしたらいいですか?』
『どうしたら短期間で人と仲良くなれますか?』
『友達なんて長期間想定で仲良くする必要なんてない。』

それは今、僕が友達とかと楽しそうにして過ごしてるから言ってくるのだと思う。
けど、僕自身も人間関係の悩みは誰よりも早くから
悩んでいたと言えるくらい自信がある。
だけども人間関係についての質問をされたときに
思いつくのはいつも"しゅんけい"の存在。
だから今日は"おれ"と"しゅんけい"について話したいと思う。

■出会い

TABIPPO主催のイベントで『俺はスタッフ』と『しゅんけいはお客さん』の立場で
出会ったのが最初の出会い。
深く話すとしたら「イベント会場のエレベーター」かな。
一緒に乗ってて気まずすぎて、いろいろ質問した。

おれ「このイベントを何で知ったんですか?」

しゅんけい「ゲストのインスタのストーリーを見て!」

おれ「今って何歳なんですか?」

しゅんけい「高校三年生ですよ!」

≪え!こいつタメなん!≫って思って気が上がって
エレベーターでハグしたのが最初の会話。
その時は、まさかスタッフとして一緒に活動していくとは一切思ってなかった。

けれど、その一週間後のMTGに"あいつ"は来た。

「同じスタッフとして、同じ立場として」関わるようになったら、

一瞬で"あいつ"への気持ちは「嫌い」に変わった。

初MTGにスカして来るし、「おいっす~」ってしつこく絡んでくるし、なんか教頭先生の香水臭いし、すき屋でチーズ牛丼食べてそうだし、T-シャツはスポンジボブだし。

俺が学校や私生活で絶対に関わろうとしない種類の人間だからだ。

今だから言えるけど、俺の中での"あいつ"は世界で2番目に嫌いな生き物だった。
(1番目はごきぶり。3番目はかたつむり)

笑いみたいに見えるけどほんとうにこれくらい。
よっぽどのことがない限り人のことを嫌いにならないが、
人間界だったらダントツで嫌いだった。

けれど、しゅんけいのことを知っていくと「嫌い」って感情もなくなっていった。
実はすごくコミュ障で、柔軟な考えが出来なくて、効率が悪くて、マルチタスクができなくて、何やっても不器用で、本当にコミュ障で。

彼のことをそう感じてから、過去の彼の行動がいろいろ繋がって、
初MTGでもコミュ障を隠すため頑張って人と話してたのかな。とか
マルチタスクができないから彼なりに多くのことを動かそうとしてプロセスが不器用になったのかな。とか
ぼろが出てたってわけではなく、彼の人間らしさが出て「こいつ可愛いな。」って思い始めた。

"しゅんけい"には俺が持ってない良いところをたくさん持っている。

「自己肯定感」や「何でも楽しむマインド」だったなんでも。

だけど一貫して同じなのが「誰とでも仲良くなれる性格」だと思ってる。

簡単に言うと、「俺が頭でしゅんけいが体」っていうイメージ。

それはTABIPPOの活動で特に多くて、
俺は感受性が高くて誰も思いつかないことをたくさん想像することができる
だけど、それを形にするのが苦手で言語化できないし行動にも移せない。
だからそうゆう時は、しゅんけいに相談して細分化して形に変えて
しゅんけいが実行してくれる。

俺の力だけではできないことをしゅんけいの力を借りて
より大きくそして広く作れているのではないかと思っています。

長くなりましたが、話をまとめます。

冒頭の「短期間では人と仲良くなれない人達」が勘違いしてること。それは「仲良くなれないんじゃなくて、自分の気持ちをオープンに出すことに恐れているだけ」だと
僕の場合思います。
信頼できる友達ができないなら、すぐに人と仲良くなれなかったら、
まずは「自分のことをたくさん愛してあげてください。」
よくあるナルシストとは違います。
俺は自分のことを好きになってから、
「自分の良いところ」や「自分の悪いところ」を映画を見る感覚で見てより好きになってます。

それでも自分で気づけないときは
信頼できる人と「お前の~~ところが良いよなぁ」とか「しゅんの~~ところが悪いよなぁ」ってお互いを褒め合ったりする会を開いて自己肯定感を高めたり他者分析をします。
自分のことを好きになっていくにつれて初対面の人にでもオープンな性格になっていき相手も話しやすくなって、誰でもあなたに親しく話しかけてきてくれます。
あと感謝の気持ちも忘れないことも頭に入れておいてください。

断言します。人は一人では生きていけません。
僕の経験上、借金してもうつ病になっても食べるものが無くても
友達がいたら楽しく生きていけます。また、自分が心から楽しいと思えることには必ず友達がいることが多くて、「お金の使い道より友達の使い道」のが多くあります。使い道が無くても信頼できる人が隣にいてくれるだけで安心するし楽しいです。(言い方は最悪ですけど...)
信頼できる人の定義はなんだっていいんです。
何でも話せるからでも、一緒に居て楽しいからでも、尊敬してるからでも、なんだっていいんです。
それは家族でも先生でも友達でもセフレでも先輩でも後輩でも
死ぬまでに、「信頼できる人」ができればいいんです。
「信頼できる人」が隣にいるだけで心強いし、毎日が楽しい!って思えるようになります

まとめます。俺の隣は"しゅんけい"しか似合わない。

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