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【映画評】「マッドマックス:フュリオサ」4人の男とフェミニズム

※ネタバレしています。ご注意ください。画像の下からはじまります。

フュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(以下「怒りのデス・ロード」)を最初にみたのは大学生の10代のとき。友達がみんなハマっていて、なかには何度も劇場に通っている子もいた。なんで?と聞くと「気持ちいいから」。私はといえば、当時そこまでハマることはなく、「怒りのデス・ロード」が評価されている理由について考えることはなかった。

 数時間自分を忘れ別世界に没頭できる映画というエンタメにのめりこんでいったのは、20代後半からだと思う。そして、「クイーンズ・ギャンビット」というドラマ作品をきっかけにアニャ・テイラー=ジョイという俳優の凄まじさに気づき、彼女の出演する作品をチェックするようになった(「ザ・メニュー」「ラストナイト・イン・ソーホー」が好き)だから、どうしてもマッドマックスが好きだからフュリオサを観ようというより、アニャちゃんが出るからという理由のほうが大きかった。

 昨晩「怒りのデス・ロード」の二回目を鑑賞した。そして、先ほど「マッドマックス:フュリオサ」を観てきた。これは自分の思考を整理しないといけない、と興奮したので、順に書いていこうと思う。

イモータン・ジョーの恐怖政治的な父権主義《男①》

「怒りのデス・ロード」は核戦争後の荒廃した地球が舞台。数少ない水や油、緑などを独占し、恐怖政治で人々を支配しているイモータン・ジョーの元を、フュリオサが子を産む道具にされている女の子たちを連れて逃げ出す。その反逆に元警官であるマックスが加わり、行動を共にする。

イモータン・ジョー


 イモータン・ジョーを中心とした家父長制的な世界から、女の子たちを連れて逃げ出す。
 この物語のヴィランであるイモータン・ジョーは、権力を一点に集中させ、市井の人々を物のように扱い、資源も独り占めしている。女たちは産む機械であり、使えなくなった女からは母乳だけを搾取し続ける。そして、自分のためなら命を投げ出すウォーボーイズという白塗りの男の子たちも洗脳している。ウォーボーイズは、イモータンが死ねと言えば死ぬ。
 余談だけれど、ウォーボーイズは、日本の特攻隊を想起させるものだなと感じた。ファシズムに傾倒した第二次大戦期の日本における天皇制が、偶像としてのトップに天皇をおいた家父長制の産物というのはご存知の通りだ。

 フュリオサは最終的にイモータン・ジョーをぶっ殺すのだけど、家父長制の象徴だったイモータンをぶっ殺すことによる爽快さと構造が、フェミニズム的だったというわけで当時は話題になったとのこと。「怒りのデス・ロード」の製作時には、監督が出演者にフェミニズムの講義を受けさせたのは有名な話だそうだ。
 最初にみたときはこの構造に気づけないほど私は幼稚だったが、今はわかる。この物語でジョージ・ミラー監督が描きたかったことが。

フュリオサと女の子たち

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」女性たちの連帯


 2回目の「怒りのデス・ロード」は、より女性たちの連帯に目がいった。フュリオサが若い女の子たちを連れて城を出て行ったとき、最後の砦として城に残りイモータン・ジョーに怒鳴るおばあちゃんも(「このおばあちゃんみたいになりたい!」と今話題の「虎に翼」の脚本家吉田恵里香さんが言っていて、たしかにー!となった)。緑の地にたどり着いたフュリオサたちを向向入れた“鉄馬の女”のおばあちゃん戦士たちも。フュリオサが連れ出した女の子たちも勇敢で、ウォーボーイズのニュークスに対し、「殺さないで!彼も洗脳されているの!」と説得を試みる誠実さにも。

 特に好きだったのが、ラストに向かうウォー・タンク(フュリオサが乗り回すでかいトラック)の中で死に絶えてしまった鉄馬の女のおばあちゃんが、女の子に植物の種を託すところ。もうおばあちゃんは死んでしまっているのだけど、しっかり種を持ち前に進む女の子が振り返ると、おばあちゃんが笑うように死んでいる演出は、涙なしでは観られなかった。大丈夫よ、行っておいでと言っているみたいで、こうやってバトンは受け継がれていくのだと思った。

死にそうなおばあちゃん戦士によりそう女の子

DV男のような振る舞いをするディメンタス《男②》

 そして、最新作の「マッドマックス:フュリオサ」を鑑賞。なぜあそこまでフュリオサが怒っていたのかの理由とともに「怒りのデス・ロード」に至るまでのフュリオサが描かれる。そしてイモータンの他に、フュリオサに関わる、新たな2人の男のキャラクターが出てくる。

子どものフュリオサ


 豊かな緑の地に母とともに住んでいた10歳のフュリオサ。しかしある日、将軍ディメンタス(クリス・ヘムズワーズ)の一味に拉致されてしまう。ものすごいバイクテクを持ち、手練の狙撃手であるフュリオサの母は黙ってみているわけがなく、相手のバイクを奪い、見事な反撃でフュリオサを奪還する。しかし救助後は一転、ディメンタス側から追われる身となり、最終的にフュリオサの目の前で惨殺される。

 このディメンタスという男がまじで最悪で、子どもじみているチャーミングな態度かと思いきや、平気で超残虐なことをニコニコしながらするタイプ。胸にくまの人形をくくりつけているし、クリス・ヘムズワーズが演じているし、憎めないキャラクターなのかなと一瞬思ったのだけど、全然そんなことはなく、最低最悪のクズ野郎だ。

ディメンタス。奥に囚われた少女時代のフュリオサがいる。


 表向きは友好的。フュリオサの体調を気遣ったり、胸につけている大切なくまの人形をフュリオサに渡したり、フュリオサのことを「娘」のように接して「リトル・D」と自分の名前にちなんだ名をつけたりする。でも母親は拷問して殺す。気に入らない人間や敵はバイクで四つ裂きにしたりする。残虐な一面と友好的な一面を兼ね備えている様は、まさにDV男みたい。
 デートDVのサイクルには、「イライラ期」→「爆発期」→「ラブラブ期」というのがある。ささいなことでイライラして、それが溜まって爆発して大暴力。そしてその後何事もなかったかのように別人のように優しくふるまう……。これを繰り返すのがDVの構造なのだけど、まさにこれはディメンタスの行動になぞらえられる。

 少女のフュリオサは表向きは娘としてディメンタス側と行動をともにすることになるが、一言も口を聞かなくなる。眼差しだけが強く、「いつかこいつを殺してやる」と復讐の炎は燃え始めていた。

ディメンタス


 この世界ではすでにイモータン・ジョーが、例の要塞で支配を加速させており、一大バイカー軍団であるディメンタスとも覇権争いをする流れとなる。お互いの取引の中で、「イモータンの将来の妻のひとり」として、フュリオサはイモータン・ジョー側に引き渡される。フュリオサはそこで初めて目撃する。子を産む機械として閉じ込められている女たちを。そして、健康な子を産めなかった女たちは母乳を搾取され続ける乳搾り機となり、文字通り搾取され続けることを。きっとここでもフュリオサは怒ったと思う。一言も口に出さずとも、目だけでその怒りが伝わってくる。
 しかしフュリオサは妻の一員になることをなんとか回避し、髪を隠し、「口の聞けない男の子」として城に潜伏し、脱走の機会を伺うことにした。まず目指すは、母の仇をとるためディメンタスを殺すこと。フュリオサの目には冷徹だが熱い復讐の色が灯る。
 このあたりのシーンで、明らかに小児性愛者気質のありそうなイモータン・ジョーの息子リクタスが小さなフュリオサに加害しようとするシーンが描かれていて、ここには地獄しかないのだと吐き気がした。


メンターであり、師匠。恋愛関係にもならない大切な人、ジャック《男③》


 鉄馬の女の能力を発揮し、順調に出世をしていくフュリオサ(このあたりから俳優がアニャちゃんになる)。その後に出会うのが、ウォー・タンクの運転手である警備隊長ジャックである。フュリオサも警備隊長となり、ガスタウン(ガスを採取するイモータン・ジョーの別拠点)や弾薬畑(これもイモータン・ジョーの別拠点)への運搬を担当するようになる。

 ジャックは、暴力と男権社会主権が蔓延する荒廃した世界の中で、フュリオサにとって、メンターのような存在になる。いや、師匠だろうか。フュリオサの腕を認め、対等な評価をし、女だからといって見下したりもしない。ディメンタスのように軽々しく扱うこともせず、イモータン・ジョーのように人格を無視した扱いもしない。
 男は加害をするのが当たり前だと思っていたようなところに、ジャックとただただ誠実な関係性でいられたおかげで、フュリオサは誰にも話さなかった過去の境遇を打ち明けることができたりする。

ジャック


 恋愛関係ではない、大切な関係性をジャックと構築できたことで、フュリオサは精神的にも安定し、成長したと感じた。しかし、ディメンタスによって、ジャックは殺されてしまう。

 SNSで見かけたのだけど、「怒りのデス・ロード」で出会うマックスのことを、もしかしたらジャックに重ねていたのではないかな…と考察している方がいて、泣いてしまった。ジャックの男性像は、「怒りのデス・ロード」のマックスにも通ずるところがある。
 マックスと組めたのも、マックスにジャックの影を見ていたからだと思いたい。それくらい、ジャックはフュリオサに大きな影響を与えた男なのだと感じた。

「お前さえも養分にして、私は次の世代を守る」という殺しの決意


 自分にとっての最愛の母、そして大切な師匠の両方を殺したのは、ディメンタスだ。そりゃあ、怒る。私も気が狂いそうなほど怒ると思う。

 終盤でフュリオサはディメンタスを一対一になるところまで追い詰める。ついに殺せるところまできた。しかし、すぐには殺さなかった。こいつに思い出させなければならないからだ。
 この期に及んでも軽口を叩き続けるディメンタスに「Remenber me?」と言い放ったフュリオサ。母を殺したことを思い出したディメンタスだが、「俺を殺しても殺した母親は戻らない。復讐しても俺と同じになるだけだ」と嘲笑う。
 ここでフュリオサがディメンタスを普通に殺してしまうと、まるで家父長制の世界のルールに則ったような土俵にフュリオサが上がってしまう。フュリオサ、お前がしていることは、お前が憎んだ男たちが作ってきた争いのルールの中の決着の付け方なのだ、と。

 いろんな殺し方があったと思う。劇中の語りでも「いろんな殺し方の噂が流れた」とナレーションがあったから。でもフュリオサが選んだディメンタスの殺し方は、砦の誰も来ない場所に、緑の地から拉致されてからずっと大事に持っていた”木の実の種”をディメンタスの腹に植え付け、ディメンタスを養分とし、生きながらえながら半殺しにしたのだった。
 お前を養分にしてまでも、私は次の世代を生きる若き女の子たちを守る、というような決意に見えた。

 そしてディメンタスのはらわたを養分とした木の果実がなると、そのみずみずしい果実を、フュリオサは子を産む機械とされていた女の子たちに渡しに行く。「怒り」を次の世代を守り抜くことの「決意」変換し、「怒りのデス・ロード」で砦から逃亡するシーンへとつながっていく。

***

フュリオサにこれからを委ねた男、マックス《男④》


 「怒りのデス・ロード」のラストシーンを思い出したい。イモータン・ジョーを殺し、民衆の大歓迎の中、クレーンで車ごと台の上に登っていくフュリオサと女の子たち。しかし、マックスは台には乗らず、民衆に紛れて去っていく。なぜマックスは台に上らなかったのか?




 考えてみたい。ここで、マックスが台の上にのぼり、人々を統治する側の”男”になってしまったら……? もしかしたら、また”男”が統治することで、また支配構図をとり家父長制的な政治をすることになってしまうかもしれない。せっかくフュリオサや女の子たちが手に入れた自由の場に、マックスは”男”である自分がそこにいるべきではないと思ったのではないか。

 家父長制の権化のディメンタスを殺し、母と大切な師匠を殺したイモータンを殺し仇を打ち、抑圧から自由を手に入れた。でもだからといって、これからの世界がラクになるかといわれればきっと困難のほうが多いはずだ。それでも。それでもいいから、自分の意思と尊厳を取り戻して生きていってほしい。そういったマックス(ジャック)の思いが、詰まったラストだったと、「マッドマックス:フュリオサ」をみて感じることができた。

 

 



 


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