仏教には統一などあり得ない。ただ身心脱落あるのみ。
【ピカピカの一年生⭐️】
お坊さんの年中行事の中でも中核行事と言える、お盆の棚経供養が始まっています。
昨年のこの時季は横浜の大本山・總持寺にておつとめさせて頂いたことを思えば、やはり感慨深いものがあります☺️。
娑婆(俗世)のお知り合いの方々から「修行頑張れ〜!」のエールの手紙を頂いて励まされたことなどが懐かしく思い出されます。
今年は、私をお坊さんにして下さった謂わゆる師寮寺の檀家様のお宅を1日にだいたい10軒づつほど廻らせて頂いているのですが、この記事を書いているのはまだ2日目のおつとめが終了した時点です。これがあと4日ほど続いて私のおつとめはとりあえず一段落つきます。
1日10軒とはいえ、すべてのお宅を廻り終えて師寮寺に戻る頃には法衣の中は汗ぐっしょりで体重も若干減ったのではと自覚するほどですが、
「お盆の棚経を経験してはじめてお坊さん」という總持寺の老師のお言葉がつい、思い出されました。まさに身心一体(一如)、ひたすら腹の底から湧き出すお経を唱え続けているうちに暑さも忘れて、まるでこのまま何時間でも唱え続けられるのではないか、というなんとも心地よい無意識界に入るから不思議なものです。
読経を終え、差し出されたお茶を一口頂きながら檀家様と談笑する時間は何にも代え難い瞬間です。
禅の世界には「煩悩即菩提」というありがたい教えもありますが、これはやはりいくら仏典や高尚な先師の著書を紐解いてみても、現に身をもって経験してみないことには人様に語り継げない境地なのだと、今日のおつとめであらためて痛感したところです。