工芸思想 職人が手から手へ繋いで来た言語ではない哲学
① 職人の仕事は観て盗め、体で覚えろ!
私は家業である木桶職人の家の三代目として生まれました。
私が木桶づくりの仕事の修業を始めたころ、父や祖父から仕事の手ほどきを受けた記憶はほとんどありませんでした。
「仕事は見て盗め、体で覚えろ!」が基本でした。
父や祖父の仕事をしている姿を見て同じような動きが出来るようになる様に毎日、毎日同じことの繰り返し、繰り返し仕事をする中で自然と身に付いていくものだと考えていました。
そこでは頭で考えたりすることは不要なものとされていました。何も考えずに繰り返し反芻し続けるとで体に覚えこますことが重要でした。
暗黙知という言葉がありますが、職人仕事はその暗黙知を暗黙知のまま受け継いでいくものでした。
② 現在の職人仕事は昔の10分の一
祖父が手習いだったころ、昭和の初めころでしょうか?その頃木桶職人の工房は京都市内で250件ぐらいはあったと聞いています。
しかし今は4件ほどしか残っていません90年ほどで50分の1以下に減ってしまったのです。
プラスティック製品や家電などの工業製品が日本人の生活の中で木桶にと取って代わられていったからでした。
桶屋の数が減ったということは当然作る桶の数も少なくなります。
祖父のころは月に数百もの桶を作っていたと聞いています。
しかし今はせいぜい月に数十個の桶の需要しかありません、昔の10分の1しか仕事がないのです。
仕事量が10分の1になったという事は祖父の1年分の仕事量に私は10倍、10年かかるという事になります、祖父の10年分には100年掛かってしまう計算になります。
それでは到底追いつくレベルのものにはなりません。
③ 暗黙知を形式知化することは体で覚えろを時短する
そこで私は頭と体を同時に動かすという方法を導入しました。
父や祖父には不評でお前は理屈ばかり捏ねると小言を言われながらも
鉋の刃の角度は何度が一番切れるのかとか、
桶の構造はどのようになっているの・・・・
とかを考えながら仕事をするようになりました。
職人が暗黙知としてきたものを少しでも形式知化することで習得時間の短縮を図ろうとしたのです
。
もちろん体で覚える部分をすべて形式知化することは不可能です。
しかし頭と体を同時に動かすことにより、祖父の1年分を5年ぐらい時事めることが出来ればと考えました。
少しでも早く一人前の職人となるための苦肉の策でしたものでした。
④ 二つの世界 アートと工芸
私がこれらの考えに至るようになれたのは大学で現代アートの世界を学んだことも影響していたのかもしれません。
職人に大学なんて必要ないというのが父の考えでいた。進学したいと親を説得し美大で鉄の現代彫刻を学びました。
(反抗期とでもいうんでしょうか、当時家業を継ぎたくない、親の敷いたレールからはみ出したいという気持ちもありましたがしたが…)
卒業後、平日は木桶職人、週末は鉄の現代彫刻作家という生活をスタートさせ、現代アートと伝統工芸という全く違う二つの世界をに身を置くこととなりました。
⑤ 木桶を作るとき父や祖父と全く同じもを作れなくてはならない
現代アートと伝統工芸は全く違うと思います。
現代アートは誰もやったことのないことをやれ、個性を作品の中に込めろということを大切にします。
一方伝統工芸、職人の世界は父や祖父と全く同じものを作れなくてはならない世界です。
中川木工芸の桶を必要としてくださるお客さんにとっては、誰が作ったものであっても全く同じものが求められています。
そこに個性は必要ない、むしろ邪魔なものになります。
⑥ 究極の個性
寸法を測ると全く同じ桶が、「あっこれはおじいちゃんが作った奴やとか、これは親父の仕事」とか、ほんとに微妙な削り方、癖みたいなものですが、消そうとしても消え切らない作り手だけにしか見分られないような微妙な差、「究極の個性」が残ります。個性的であらんとするために苦労する現代アート、個性を消そうとするほどに個性が見えてくる工芸、ベクトルは反対だけどその先でつながるんだと不思議に感じました。
⑦ 個のアイデンティティと集合のアイデンティティ
アートと工芸の比較でアイデンティティの問題もあります。
アートとは自己の表現であり自己同一性というものを強く意識します。
しかし工芸の世界では自己よりも繋がりを重視します。
技法や素材に対する知恵いうものは代々の職人が探求し、引き継いで来たものです。
工芸の知は理解するには一人の人間の一生では短すぎる、何人もの職人たちの手で時間を超えて探求されてきたものです。
アートでは二代目ピカソです。とかは許さない、
工芸では何代も続く工房があり、襲名という形で名前まで引き継ぐ時もあります。そこにはアイデンティティというものが個を超えて存在できる可能性があると考えます。
⑧ 他者と自分
私は、デザイナーとコラボレーションで新しい桶を作っています。それは生態学的地位を失くしてしまった生き物が突然変異を繰り返して進化していくようなことです。その中で一つでも環境に適応できる桶が作れたら次の時代も木桶が存在できる未来になると信じています。
最後に人間は自分自身の姿を見ることが出来ない、鏡や写真などでしか自分自身を見ることが出来ない、
同じように心も自分で直接知ることが出来ないと考えています。自分が作ったもモノに心を映すことでしか自分の心を知りえないと考えます。
だから人には工芸やアートが必要なんだと考えています。