自分の子供への愛は執着になりやすい
私たちは気が付かないうちに、執着して苦しんでいるということのようですが、お釈迦様は、「自分の子供への愛は執着になりやすい」とおっしゃっています。
「私には子がある、私には財があると思って悩む。しかし、既に自己が自分のものではないのに、どうして、子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。」とおっしゃっています。
しかも、そこに、前回ご案内した「家柄」という評価軸が絡んで来たらもう大変です。
子供は、母親の肉体から分離して生まれたわけですから、その血のつながりは深いです。
愛が深いので子供が自分の所有物であり、自分のもののように思いがちです。
自分の作品だと思っている人もいらっしゃいます。
そこには、なんの悪気もありません。無意識にそう思っています。
もちろん、私も自分の子供はかわいいです。でも、それが依存する愛ですと、子離れが出来なくなります。
愛が深いゆえに常に依存して、ほかに大切なことがあることに気が付かず、常に期待し、自分の方法にこだわり、それがうまく行かなくて苦しみが起きてしまいます。
家族の調和がとれ、平和であるうちはいいのですが、そうでなくなると、子供を心配し、心配だからこそ、強制し、コントロールしようとし、独占していきます。
そうすると、お互いが相手を責めたり、依存したりして、自立できない状態が続きます。
早く自立したほうが、お互いが冷静になれることが多いような感じです。
子供は自分のものでしょうか。
さらにお釈迦さんは、「この魂の自己は自分のものではない」「魂はものという、所有されたり、変化したりする、物質的なものではない」とおっしゃっています。
自分の魂が自分の所有物ではないのに、まして、子供の魂まで自分の物であるはずがないですよね。
気が付かない思考(不幸のプログラムやメガネ)が苦しみの種になっていて、それに気が付くまで、苦しみ続けるということですが、その思考自体(エゴ)が、既に「自分のもの」ではないことが分かれば、多くのことが解けていきます。
いま、私も気が付いていない思考に気が付く努力をしている最中ですが、それは、日々の冷静さ、マインドフルネスのワーク、仲間との気づきのシェア、師匠からのアドバイスがなければ、なかなか気が付くものではないと感じています。
お釈迦さんは、「ナッシングネス(無)」という言葉もお使いになっています。
「そこにすべてが含まれているが、何もない」、、、、、あるけれどもない。
身体はあるけれど自分のものではない。心はあるけれど自分のものではない。
子供や財力に執着して、なぜ心を悲しませたり、怒ったり、貪欲になったり、人を苦しめたりするのですか。目覚めなさいとおっしゃっています。
私はかつて、一生懸命に禅の本を読んだり、禅寺に通ったりしていた時に、同じ文章を読みましたが、そのときよりは、何をおっしゃっていたのか、少しだけ分かるような感じはします。
西洋から逆輸入となったマインドフルネスはすごいなと思います。
道のりは長いですが、「ナッシングネス(無)」の感覚や意味が真から分かれば、今が本当に健やかになり、自分たちが住んでいる、この物質の世界の見え方も変わってくるので、マインドフルネスのワーク実践の有効性が、もっとたくさんの方々に伝わればと思っております。
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