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「聡明さ」の本当の意味

 マインドフルネスを勉強している人たちが向かっているゴールは、だいたい、以下のようなことではないでしょうか。

 意識が本当に変わっていくことで、いろんな執着(不要なメガネ)がはずれて、自分の意識(プログラム)に囚われて悩んでいたことが分かり、家族や子供や財産、会社、お客様、従業員などと、どう向き合っていいのかが自然と分かり、「バランス」が取れていくこと。

そして、心が自由になって、その心を必要なときにうまく使って、バランス感覚をもって生きていくこと、、、かと思います。

子供や従業員、後継者の「成長と自立」を願い、遠くからサポートし、執着しない、依存しない、コントロールしない、成長した思いやりを、子供や従業員に与えることができるようになることだと思います。

お金に向かう姿勢では、「貪欲」から「分かち合う心」に進化することだと思います。

さらにいうと、利益は還元されていくということかと思います。

そうすることで「バランス」がとれ、また、新たな気づきが生まれたり、若手が育ったり、新しい仲間ができたりして、次に進んでいくスパイラルが出来上がるということかと思います。


そこで大事なことは、いろんな執着が取れてきた後でも、「常に空っぽな心、純粋な心でいる」ということかなと思います。

お釈迦様は

「愚か者は、生涯賢者に仕えても真理を知ることがない。匙(さじ)が汁の味を知ることができないように。

聡明な人は、瞬きの間に賢者に仕えても直ちに真理を知る。舌が汁の味を直ちに知るように」

とおっしゃっています。

師匠が「これをやってください」と言っても、どうしても自分のやり方の方が慣れていて、それにとらわれていたり、正しいと勘違いして、集中力が出ず、半分も聞けなかったりして、結局、理解できるまでに多くの時間がかかってしまうという意味のようです。

一方で、性能の良い舌は、汁を吸うと、その微妙な味がすぐに分かるということです。

ビジネスの場面ですと、常に前向きな課題意識を持ち、自分の考えにとらわれるのではなく、素直に、周りの人々(周りはすべて師匠)の話に耳を傾け、「普遍的なビジネス環境」をこれまでの自分の体験・経験を捨てた目で観察して、本当に大事なことを知ることだと思います。

常に空っぽな心、純粋な心でいると、性能の良い舌のように、相手が何を言っているのかをすぐに理解し、前に進めます。

そして、堂々巡りを回避できます。

お釈迦さまがおっしゃる「聡明さ」という意味は、「空っぽの入れ物」という意味のようです。

さぁ、ゴールにたどり着くために、どこまで自分を空っぽにできるのか、サレンダーできるのか、挑戦していきたいものですね。

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