カープの初優勝は「ひかり」に乗ってやってきた?『プロ野球と鉄道 新幹線開業で大きく変わったプロ野球』
いよいよプロ野球が開幕しました!その結果に一喜一憂する昨今、ご紹介したいのがこの本です。
『プロ野球と鉄道 新幹線開業で大きく変わったプロ野球』 著・田中 正恭 (交通新聞社新書)
「日本への野球伝来と、陸蒸気の開業は同じ明治5年」(引用:『プロ野球と鉄道 新幹線開業で大きく変わったプロ野球』)から始める本書でありますが、球場への移動だけに止まらず、熱海で降りようとしたら名古屋まで止まらない「のぞみ」ばりにかっとばします!!!
目次
第一章 黎明期の職業野球
第二章 昭和の遠征事情
第三章 鉄道会社のプロ野球チーム
第四章 広島東洋カープと鉄道との密接な関係
第五章 西武鉄道と阪神電鉄の観客輸送への取り組み
第六章 12球団の本拠地球場と鉄道
第七章 かつての名選手に聞いた“プロ野球と鉄道”
(出典:交通新聞社公式サイトhttps://shop.kotsu.co.jp/shopdetail/000000002302/ より)
鉄道だけのマニアックな内容と思われがちなタイトルですが、野球に関して寄り添ってものすごく凝縮された内容となっています。
中でも1章から2章にまたがる遠征事情に付随するプロ野球史の流れが大変わかりやすく秀逸です。2リーグ制への移行やフランチャイズの確立という王道から、3等列車に新聞紙をひいてそこで寝たという苦労話、山陽電鉄が経営していた幻の2軍球団「山陽クラウンズ」や国鉄スワローズのホームスタジアム「武蔵野グリーンパーク」のエピソード等、あまり聞いたことがないような話題が豊富です。
第4章の「広島東洋カープと鉄道との密接な関係」では、カープの外木場義郎投手が「カープの優勝は山陽新幹線のおかげだと思っています。これがなかったら、優勝できなかったんじゃないか、それぐらい移動が楽になりました」(引用:『プロ野球と鉄道 新幹線開業で大きく変わったプロ野球』)と初優勝の際、報道関係者に語った言葉を引用しています。これは1975年の山陽新幹線の全線開通(岡山〜博多間開通)によって、カープは関東関西圏でのダブルヘッダーが少なくなり、その他のチームとの疲労度の差が少なくなる等、劇的な変化を起こしたことが表で説明されていて、唸りながらがっつり読ませます。
広島東洋カープ初優勝まで過去5年間勝敗(当時は130試合)
1971年 4位 63勝 61負 6分
1972年 6位 49勝 75負 6分
1973年 6位 60勝 67負 3分
1974年 6位 54勝 72負 4分
1975年 1位 72勝 47負 11分
(引用抜粋:広島東洋カープの年度別成績一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
そして、後半では汽車に乗って遠征したレジェンドたちのインタビューもまとめられています。
特に印象的なところでは、国鉄や巨人で現役時代活躍された400勝投手金田正一さんが国鉄スワローズ在籍時を思い出して次のように語っています。「遠征の時は、いく先々の駅で歓迎会をしてくれた。国鉄は、国鉄一家の、自分たちのチームという意識があり、団結力が強かった。国鉄職員が一心同体となってスワローズを応援してくれていたんだ。今でも応援してくれている国鉄の人がいる。あの頃の思い出は生涯忘れないね。」(引用:『プロ野球と鉄道 新幹線開業で大きく変わったプロ野球』)
※ちなみに国営企業だった国鉄が球団を保有できたことについても本の第3章で触れています。
他にも、ビールを飲んでマウンド上がった阪急のエース今井雄太郎さん、元広島カープ監督の古葉竹識さん等の貴重なお話が掲載されています。
これからゴールデンウイークにかけて遠征も増えてくる季節です。
ゆったり電車に揺られながら、プロ野球創世記の選手たちも見たであろう車窓からの風景を、この本を片手に想いを馳せてみるのはいかがでしょうか?
日本プロ野球史の入門編としてもおすすめですよー!
最後までお付き合いありがとうございました。
著者ご紹介
田中正恭(たなかまさやす)さん
昭和30年、神戸市生まれ。甲南大学卒。神奈川県在住。
国内鉄道全線踏破のほか、海外27カ国を鉄道旅行。鉄道を中心とした執筆活動を続けている。
熱心なプロ野球ファンでもあり、昭和57年から9年間阪急ブレーブス東京応援団として活動した。
ブレーブス消滅後は、12球団の試合を観戦し、球場での観戦は1000試合を超える。
著書に『われらブレーブス人間』(菁柿堂・共著)、『消えゆく鉄道の風景』『終着駅』(自由国民社)、『夜汽車の風景』(クラッセ)などがある。
(出典:交通新聞社公式サイトhttps://shop.kotsu.co.jp/shopdetail/000000002302/ より)