【AIと意思決定】ジョーク・芸術・スポーツは人間を救う?『予測マシンの世紀 第二部』#26
こんにちは。シンラボ共同代表の草場です。
AIとの共同に関して、『予測マシンの世紀 AIが駆動する新たな経済』をまとめていきます。推理小説のようで、ドキドキワクワクです。
目次
はじめに―機械知能
安さはすべてを変化させる
第1部 予測
第2部 意思決定(決断を解明する;判断の価値 ほか)
第七章 決定を解明する
第八章 判断の価値
第九章 判断を予測する
第十章 複雑さを飼いならす
第十一章 完全自動で意思決定
第3部 ツール(ワークフローを分解する;決断を分解する ほか)
第4部 戦略(経営層にとってのAI;AIがあなたのビジネスを変容させるとき ほか)
第5部 社会(AIと人類の未来)
第二部、決断に関してです。昨日の記事は以下です。
■完全自動で意思決定
昨日は、トロッコ問題を取り上げて、倫理的な判断が必要な場面ではまだ人間が意思決定の流れのループに入れられていることを見てきました。経済学的にいうと、外部性、といわれるようです。ここは勉強中。
それでは改めて、予測マシンではなく人間が行動をしたほうがよいケースは何でしょうか?
本ではまずはジョークの話から始まります。
質問
1.オレンジ色でオウム(parrot)のような声のものは?
その答えは?人参(carrot)です。
2.小さな女の子が父親に尋ねました。"パパ、すべてのおとぎ話は "昔々 "で始まるの?
彼は答えた。いや、「もし選挙に当選したら、私は約束します」で始まるおとぎ話はたくさんある
なにが言いたいのか?
私たちはマシンよりも得意なのだ。研究者のMike Yeomansとその共同研究者は、マシンが推薦したジョークだと思うと、人間が提案したジョークよりも面白くないと感じることを発見した。
おそらくこの論文です。「Making Sense of Recommendations」。概要を読むと、以下のことが判明しているそうです。
一連の実験では、人々が多くの経験を持ち、よく練られた好みを持っているような領域でも、AIによる推薦システムは人間のレコメンダーよりも優れていることがわかった。これらの推薦システムは、友人や家族、大切な人よりも優れている。
しかし、人々はこれらの推薦システムを信頼していない。彼らは、他人に推薦するために推薦システムを使うことはなく、代わりに他の人からの推薦を受けたいと思っている。この信頼度の低さは、マシンによる推薦が人間による推薦よりも理解しにくいと思われていることが一因であることがわかった。しかし、推薦システムを簡単に説明することで、この不信感を和らげることができる。
マシンの方がジョークを推薦するのに優れていますが、人々は人間が推薦したと信じたいと思っているみたいです。
ジョークを読んだ人が最も満足したのは、人間が推薦したと言われた場合ではなく、実際にマシンが推薦を決定した場合だった。
面白いですよね。ジョークをいうのもマシンの方が得意になっていると。しかし、マシンのジョークは面白いと思いたくないバイアスが人間にかかっていると。そして、このことが芸術やスポーツにも言えるそうです。
芸術の力は、芸術家の人間としての経験を知ることで得られることが多い。スポーツ観戦の醍醐味は、人間が出場しているかどうかにかかっている。たとえマシンが人間よりも速く走れたとしても、レースの結果はエキサイティングではない。
芸術、スポーツはマシンがやっているものは面白くないと思いたいバイアスがかかるようです。ロボカップはどうなんでしょう?
なぜこのようなバイアスがかかるのかは調べる価値がありそうですが、ジョーク、芸術、スポーツはマシンの精度がどうであれ、人間がおこなった方が良いようです。他にはどうでしょうか?
子供と遊んだり、お年寄りの世話をしたり、社会との関わりを持つ様々な行為も、本来は人間が行う方が良いのかもしれない。
子供の教育のためにマシンがどのような情報を提供すればよいかを知っていたとしても、人間がその情報を伝えた方がよい場合もある。将来的には、ロボットが自分や子供の世話をしてくれることを受け入れ、ロボットのスポーツ競技を楽しむようになるかもしれないが、当面は、人間が他の人間に引き受けてもらいたい行動もある。
社会的な関りが必要な場面でも、まだ人間が必要のようです。
人間がマシンの判断を全て受け入れることが出来た時、大きく世界が変わるかもしれません