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#100 彼女が知らない隣人たち

ついに100冊目になりました。
最初に本の感想を書いた「#1 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
2021年9月19日でした。
3年とちょっと、あれから私も社会も変化しています。

1冊目がそれで、100冊目がこの本というのもなんだか関連性がある気がして
ちょっとニヤってしています。

※ここからはネタバレを含みます。

隣人、隣の人、隣って??
私はそう思いながら読み進めました。

隣人と聞いて思い浮かべるものはそれぞれでしょう。
マンションのお隣さん、家のお隣さん、隣の席の人、あなたの隣のパートナー
本書のメインは「隣の国の人」です。

海外の人って聞いてあなたは何を思い浮かべますか?

「ガイジン」って言葉が私はあんまり好きじゃないです。
日本人以外を一括りにした言い方、個人ではなく総称
最近読んだ「#98 他者といる技法」でもありましたが、
「ガイジン」という呼び方には自己を守ろうとする、外敵を排他的に拒否する
そんなニュアンスを感じます。

そのニュアンスは、理解とは相反する感情だと思います。

隣の国で何が起こっているか知っていますか?
何が起こっているか知ろうとしていますか?

そんな問いを投げられました。
私は知りません。何が起こっているのかもどんな人がいるのかも

それでいいんでしょうか。
ガイジンと一括りにして、石を投げて自分たちを守って。
いや、守れていない気もします。

本書では
「私」が物語の中で、隣の国の人のことを知っていきます。
コロナや、いろんな事象に対し「ガイジン」に責任を押し付ける存在を知ります。

その違和感に対し苦しみながら向き合っていきます。
時には、息子ともぶつかりながら、
最終的には共に隣の国の人と分かり合える世界を目指すことに共感します。

そんな中責任を押し付けるその存在は、
自分のパートナーだったことを知ります。

という衝撃的なラストで本書は締め括られます。

彼女が知らなかった隣人は
「隣の国の人」だったのか
「隣にいるパートナー」なのか

知っているようで知らないこと、知ろうとしないこと
知らないようで知ってること

そんなことが自分の中でぐるぐる巡る
非常に素敵な小説でした。


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