「事件」を起こそう

20世紀のアートの世界において「最もクールなアーティスト」は誰だと思いますか??

人によってその答えはまちまちだと思いますが、多くのアート関係者は「マルセル・デュシャン」の名を挙げるのではないでしょうか。美術史に馴染みのない人にとって、マルセル・デュシャンの名を耳にすることはそう多くないかも知れません。ここに「美術史的」にその生涯を概略しておきましょう。

マルセル・デュシャンは1887年、フランスのノルマンディー地方の裕福な家庭に生まれ、20代の後半に渡米し、以後は欧州と米国を行き来しながら、最終的には米国籍を取得し、1968年に亡くなっています。デュシャンは、いわゆるニューヨーク・ダダの中心的人物として、「コンセプチュアル・アート」や光学や錯視などの効果を用いた「オプ・アート」など、その後の現代アートにおいて興隆したアプローチの先駆けと見なされる作品の数多くを手がけ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われます。

個人的に最も好きな作品は、やっぱり「大ガラス」ですかね。2018年には国立博物館でレプリカが展示されていましたが、やはり素晴らしかったですね。

マルセル・デュシャン「花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも」

さて、そのようなデュシャンですが、他のアーティストと決定的に異なる、極めて「後近代=ポストモダン」的な特徴があります。

それは「作品らしい作品がほとんど残っていない」ということです。デュシャンが、絵画などをつくっていたのは1912年ごろ、つまりデュシャンの20代後半までのことでしかなく、その後はアート作品の制作をほとんど止めてしまいます。

このように指摘すれば、「20代の後半までに素晴らしい作品を残し、その後、ミステリアスに絶筆した天才アーティスト」という、いかにも「後になって作品の値が上がる」ようなタイプのアーティストを想像するかも知れませんが、そうではありません。というのも、20代の後半までに描かれたマルセル・デュシャンの作品のほとんどは、今日ではまったく評価されていないからです。

非常に不思議なことに、今日のマルセル・デュシャンの高い評価の元になっているのは、彼がアート作品の制作をほとんどしなくなってしまった、30代以降の「仕事」によっているのです。

なんだ、ちゃんと「仕事」をしているんじゃないか、と思われるかも知れませんが、現代を生きている私たちは、その「仕事」を見ることができません。

なぜなら、それらの多くは紛失したり廃棄されたりして残っていないからです。先ほどの大ガラスにしても、数年かけて制作に携わったオリジナルは結局のところ未完のまま放棄されています。

作品としての現物はほとんど残っていないのに、作品の背景にある「コンセプト」が価値の継続を担保しているのです。これは「モノの価値が減損する」という、きわめてポストモダン的な社会的価値観をあらわす現象といえます。

決定版といえるのが、1917年に発表した「泉」という作品です。おそらく20世紀美術を扱っている本において、マルセル・デュシャンの「泉」を取り上げていない書籍は皆無といってよいほどに、美術史的なインパクトの大きい作品ですが、この作品もまた、オリジナルは現存していません。ここに経緯を確認しておきましょう。

マルセル・デュシャン「泉」(R.Mutt名義)

1917年4月7日、二日後に「第一回アメリカ独立美術家協会展」の開催が予定されているタイミングで、出品希望作品として実行委員会宛に所定の経費とともに送られてきたのが「泉」でした。

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