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「ペンが書けなくなるまで」1-6
俺はコートを着たまま、玄関で朝を迎えた。腕時計は朝の六時を指している。俺はぐったりと、身体にも心にも力が入らずまるで大きな人形のようになっていた。
もはや先刻受けた母の死も頭にはなかった。何も考えてすらいない。涙は乾ききって、頬で枯れている。
重い瞼を擦り上げると、ヒリヒリと痛んだ。しかし、これだけ泣いたと言うのに、全くスッキリしない。悲しさという悲しさや、寂しさという寂しさは寧ろ、重くのしかかって俺の首を締めているようだった。
ふと、着信が鳴った。しばらく無視を決め込んだが、電話はあきらめずに何度も鳴り響く。スマートフォンを確認すると、着信は叔母からだった。
「……はい」
「冬真! よかった出た。一旦帰っておいで。明後日お葬式だから」
「俺……」
「うん、うん。とりあえず、帰っておいで。お母さんにお別れをしっかり言わないとね」
それから叔母はしばらく学校やバイトに行くことができないことを、ちゃんと伝えるように言って電話を切った。
叔母、というのは父さんの姉だ。実家のある千葉の片田舎の比較的近くに住んでおり、死んだ母さんと、抜け殻のようになっているらしい父さんにいち早く駆けつけ、俺に電話をよこし、葬式や通夜に始まる法事一切を父さんに代わり、現在取り仕切ってくれているようだった。
俺は電話の後でやっとコートを脱いでシャワーを浴びた。正確に言えば浴びたというより、シャワーに打たれただけだった。
髪の先からポタポタと水が垂れる、少しうねったこの癖っ毛は母さん譲りだったな、なんて思い出して、また泣いた。
机の上には空いたカップラーメンのゴミと、ビールの空き缶が複数転がっている。ベッドには脱ぎ散らかした私服が山になっており、その上にゲーム機が乱雑に放置されている。ある意味で立派な男子大学生の一人暮らしだ。
俺はアパートに申し訳程度で備え付けられているベランダで、タバコを吸おうと外に出た。清々しいほどにピンと張りつめた冬の朝の香りと寒さでも、上の空の意識が叩き起こされることはなかった。
Zippoライターをカキン、と鳴らして煙草に火をつける。しかしいくら深呼吸を繰り返しても、いつものきつめのメンソールが肺を満たしていく感覚は鈍く、あまり感じなかった。
バイト先に電話をしたのは昼過ぎだった。電話口の声は確か社員の人だろうが、やっぱり名前は思い出せなかった。
大学には休学届けを書面で提出した。電話をする、休学届けを出す、という行動を起こしたエンジンをそのままに、実家に帰る準備をした。別に持っていくものは大学に行くときのトートバッグの中身とそう大差ない。ただいつもより、財布の中身が重くなるくらいだ。
年始に帰った時の実家には、まだ俺の部屋も、私物もいくらか残っているようだったので、ベッドに散らかっている私服の山を洗濯にかけて持っていくだの、喪服を用意したりするだのそんな必要はなかった。帰省の準備はすぐに整った。