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本当は壮絶に悲しい「士族の商法」

商売にはとんと疎い武家出身を揶揄する言葉「士族の商法

よく使われる言葉ですが、その具体的な事例ってあまり出てこないと思うのです。

「幕府が廃絶して武士は失業した。食べるため家族を養うため慣れない商売に手を出すも、失敗して困窮する者がほとんどだった」

こんな教科書通りの知識はあっても、誰がどんな商売をはじめてどうなったか。

一つ一つの詳細については知りようがないし、誰も教えてくれない。

商売や事業に手を出した士族の苦労について、それを詳しく知りたいと思うきっかけをくれた人物がいます。

それは、明治時代に活躍した女流作家・樋口一葉です。

いや正確には、樋口一葉のお父さん

樋口一葉の父・樋口則義のことは、小説の単行本にある著者年譜を読んで知りました。

この則義が苦労人らしく、生まれ故郷の甲斐国(山梨県)の農村を離れ江戸に出、直参の身分を手に入れるも、すぐに幕府が倒れて失業。

維新後は東京府に出仕するかたわら、金融・不動産、荷車業など実業家として立身を試みますが、失敗して一家は破産状態の憂き目に。

事業の失敗がよほど堪えたのか、則義はその直後病床に臥し、失意のまま58歳で病没しました。

正直、「士族の商法」という言葉に対しては、一抹のペーソスを感じるも滑稽味のほうが強く、そこに深刻な悲劇性までくみ取れていませんでした。

それが、樋口一葉の年譜にあるわずかな記録に接し、一気にリアルな悲劇として芯に迫ってきたのです。

これが「士族の商法」の真実か、と。

明治の文豪の年譜を見れば、則義のような零落士族の情報に行き当たることが多々あります。

つい最近も、図書館で借りて読んだ「花袋独歩文学全集」に著者の年譜が掲載されていて、やはり花袋と独歩の父親も零落士族で辛酸をなめた事実を知りました。

士族だけに誇り高く野心もある。没落する前は裕福だった人もいる。そんな武士の血を継ぐ子も当然のごとく気高く向上心にあふれ、お家再興の思いも熱い。不遇と逆境に負けじとの気概が生きる糧となり、立身出世の道を切り開く。樋口一葉や田山花袋などはその口みたいで。

言葉や用語の意味をわかっただけでいっぱし知識を学んだみたいな感覚になりがちですが、その奥深いところにある数え切れないほどの人間ドラマこそ、言葉の意味を理解するだけでは得られない魅力が隠れていたりするものなんですよね。

士族の商法以外で言うと、廃刀令、廃仏毀釈、自由民権運動などもそう。

当たり前にあったものが突然消えて、見慣れぬ新しい世界に放り出され、生きるために必死で適応するしかなかった時代の悲喜交々。

最近は年のせいか、知識の吸収より心からの感動を欲しています。

国木田独歩は、「人生の不可思議を克服するより、その不可思議に驚きたい! 宇宙の真理を知るより、宇宙の真理に驚きたい!」と言っています。

私も、「むかしの人たちに起きたことを知るよりも、起きたことに驚きたい! ただひたすら驚きたい! 何かを感じたい!」と言いたいです。





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