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昭和天皇 『開戦の詔書』を読もう

“耐えがたきを耐え忍び難きを忍び”で有名な『終戦の詔(みことのり)』は、これまで日本人が触れる機会の多かった詔書だと思う。

一方、開戦の日(昭和16年12月8日)に出された『開戦の詔書』(米国及英国二対スル宣戦ノ詔勅)は、『終戦の詔』と比べ、その文言が取り上げられることは少ない。

いわゆる「歴史に残る~」といった表現は、後世にまで語り継がれる誉高い出来事や、非常に価値のある功績などに対して、主に賛美の意味で用いられる場合が多い。「歴史に残る試合」「歴史に残る演説」「歴史に残る発見」「歴史に残る偉業」などというふうに。

昭和天皇の『開戦の詔書』は、名誉や賞賛に値するものかどうかは別として、「歴史に残る文書」であるのは間違いない。

この千文字にも満たない文章の中には、当時の日本が置かれた国際的な立場、やむにやまれぬ思いで戦争を選ばねばならなかった経緯、そして、昭和天皇自身の苦渋の思いなど、当時の状況を端的に知らせる貴重な情報が凝縮されている。どんな力学が作用して日本はあの戦争に突き進んでいったのか、理解の一助になるのではないかと思う。

以下は、昭和天皇『開戦の詔書』の原文および訳文になる。原文には見やすさを重視して適宜字間を入れている。また注釈として筆者による補足説明を加えている。

昭和天皇詔書「米国及英国二対スル宣戦ノ詔勅」

天祐ヲ保有シ万世一系の皇祚(こうそ)ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ 昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆二示ス
朕(ちん)茲(ここ)ニ米国及英国二対シテ戦ヲ宣ス

天の神々に守られた万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠義に厚く武勇に富んだわが国民に発表する。

朕は、ここに米国及び英国に宣戦布告した。

朕カ(が)陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ 朕カ百僚有司励精職務ヲ奉行シ 朕カ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ尽シ 
億兆一心 国家ノ総力ヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラシムコトヲ期セヨ

すべての陸海軍将兵は全力を奮って戦い、すべての官僚官吏は精励して職務を遂行し、すべての国民はそれぞれの本分を尽くし、一億一兆心を一つにして、国家の総力を挙げて戦い征く目的を達成するため、誤算がないよう心してかかれ。

抑々(そもそも)東亜ノ安定ヲ確保シ 以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ 丕顕(ひけん)ナル皇祖考 丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠ゆうニシテ 朕カ拳々措(お)カサル所 
而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ 万邦共栄ノ楽(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ 之亦(これまた)帝国カ(が)常ニ国交ノ要素ト為ス所ナリ

そもそも東アジアやその周辺諸国の安定を確保することにより、世界平和へと導かんとするのは、偉大なる明治天皇と、その遺徳を確かに受け継いだ大正天皇が目指してきた遠大な構想にして、朕が常々忘れずにいるところでもある。

それゆえ、諸国と交流を深め、すべての国が共栄の喜びを分かち合うこともまた、帝国が常に守ってきた外交の原則である。

今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 
洵(まこと)ニ已ムヲ得ザルモノアリ 豈(あに)朕カ志ナラムヤ 

今や不幸にして、米英両国と仲たがいの争いをはじめるに至る。

これは、まことにやむを得ずして起こったことで、決して朕の本心が望んだ結果ではないのである。

(注:「今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 
洵(まこと)ニ已ムヲ得ザルモノアリ 豈(あに)朕カ志ナラムヤ」の文言は、昭和天皇の強い意思によって原案上奏後に入れられた)

中華民国政府曩(さき)二帝国ノ真意ヲ解セス 濫(みだ)リニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱(こうらん)シ 遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ 茲(ここ)ニ四年有余ヲ経タリ 
幸ニ国民政府更新スルアリ 帝国ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ビ相提携スルニ至レルモ 重慶二残存スル政権ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃ミテ 兄弟(けいてい)尚未タ牆(かき)ニ相鬩(せめ)ク(ぐ)ヲ悛(あらた)メス 米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ安定ノ禍乱ヲ助長シ 平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(たくまし)ウセムトス

中華民国政府はかねて帝国の真意を理解せず、みだりに挑発して東亜の平和を乱し、ついに帝国が武器をとるにいたらしめ、すでに四年が経過した。

幸い、新たに国民政府(汪兆銘率いる南京国民政府)が発足し、帝国はこれと友好関係を結び、提携するようになったが、重慶に残存する政権(蒋介石率いる重慶国民政府)は米英の支援を頼み、今なお(南京国民政府との)兄弟争いを改めようとしない。

米英両国は残存政権を支援して東亜安定のかく乱を助長し、平和の美名に隠れていやしくも東洋制覇の野望をたくましくしている。

(注:昭和12年7月7日の盧溝橋事件を機に、日本軍と中国国民党軍の軍事衝突が勃発するが、停戦協定は何度も結ばれ事態はそのたびに収束している。ところが国民党軍が協定を破りさかんに日本軍を挑発してきたため、国内で中国征伐論が高まり、戦火はたちまち大陸全土に波及した。また、米英力国は第三国中立の原則を破り、中国国民党に軍需物資を送るなど積極的に後方支援した。ちなみに米英以外にもフランスやソ連など複数の国が国民党支援に回っている)

剰(あまつさ)ヘ与国ヲ増強シテ我ニ挑戦シ 更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ 遂ニ経済断交ヲ敢(あえ)テシ 帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ

あまつさえ、自分たちに味方する国を誘って帝国周辺に軍備を増強して我に挑戦し、さらに帝国の平和的通商をあらゆる面から妨害し、ついには経済断交に発展するような状況をあえて作り出し、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

(注:米国は仏印進駐を決定した日本に対し、日米通商条約の一方的な破棄を通告。その後も石油の全面禁輸、在米資産の凍結を決定し、日本を経済的に追い詰めていった。イギリスやオランダも米国に追随して石油や食料などの資源が日本へ渡らないよう妨害工作に励んだ)

朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ回復セシメムトシ 隠忍久シキニ弥(わた)リタルモ 彼ハ毫(ごう)モ交譲(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ 以テ我ヲ屈従セシメムトス 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ 
東亜ノ安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ帰シ 帝国ノ存立亦(また)正ニ危殆ニ瀕セリ 

朕は、政府をして事態の平和裏な回復に努め、ずいぶん長い間耐え忍んできたが、彼らに歩み寄りの精神は微塵もなく、いたずらに時局の解決を先送りさせながら、かえってこの間に経済上軍事上の脅威を一層拡大することで、我を屈従させようとする。こんな状況がこの先も続いてゆくというのか。

東亜の安定を目指して積み上げてきた帝国の努力は、ことごとく水泡に帰し、帝国の独立もまた、ここに及んで危うくなっている。

事既二此ニ至ル 帝国ハ今ヤ自存自衛の障礙(しょうがい)ヲ破砕スルノ外ナキナリ 
皇祖皇宗ノ神霊上(かみ)ニ在リ 朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ 祖宗ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ 速ニ禍根ヲさん除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ 以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス

事すでにここに至る。帝国は今や決然と立ち上がり、自存自衛の障壁となる一切を粉砕するしかないのだ。

皇祖皇宗の神霊は天上にあり守護したまう。朕は自国民の忠誠と勇武を信頼し、皇祖をはじめとする祖先の偉業を押し広め、速やかに禍の根を除いて東亜永遠の平和を確立し、これにより帝国の光栄を守り抜くことを期す。


敗戦国である我が国は、自国の立場からあの戦争を語ることを極力避けてきた。だから、日本の立場を全面的に押し出したこの『開戦の詔書』もほとんど日の目を見ることはない。そのような姿勢が本当に正しいと言えるのだろうか。別に日本人だから日本の立場云々言うわけでなく、もっと公平でありたいと思うのである。











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