プーチン宮殿
ロシアの反体制派ナワリヌイ氏が神経毒ノビチョクを盛られて死にかけたのち、ドイツでの治療を終えて帰国した。
氏を待っていたのは即時逮捕だったが、かつてのベニグノ・アキノを飛行機を降りたとたん射殺したマルコスよりはるかによい出迎えといえるのだろうか。
いっぽう、氏を支える反体制派がプーチンの不正を訴えるため、賄賂で築いたかれのものとされる宮殿をネットに暴露した。
なるほど、ロシアの保養地ヤルタやソチなどもある黒海地方にあるとされる建物は、個人の別荘と呼ぶには豪華すぎるように思われる。
先ごろではトルコのエルドワンも豪華な宮殿を建てたように、いちぶの独裁国家ではこんなことがまかり通っているようだ。
ひるがえって、旧ソ連の指導者たちはどんな住居で暮らしていたのだろう?
スターリンのクンツエボの別荘はよく知られている。以後のブレジネフ時代の政治局員・書記局員といった党のトップたちは、建前上はモスクワ市内のアパートに住居を構えていたとされる。
これを信じていたのは、よほどものを知らない地方の人間か、国外でも党の宣伝報道を鵜呑みにしていた連中だけだろう。
実際は党のエリートたちはモスクワ郊外にそれぞれダーチャ(別荘)を所有していて、そこからクレムリンの執務室に通ったのである。
かれらの出勤時には広い道路の交通が遮断され、9メートルおきに配置された警官の見守る中、道路の中央を主を乗せたジルやチャイカが猛スピードで突っ走ったのだった。
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