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しょーびの自己紹介③|無能新入社員→うつ病で退職編【4記事目】

こんにちは、最近の寒さで持病の神経痛がきついしょーびです。

今日も前回から引き続き僕の来歴を紹介して行きたいと思います。

自分語りなんか聞きたくないよ!という方はブラウザバック推奨です。
Netflixでメン・イン・ブラックでも見ていてください。

なるべく初めましての方にもわかるように書いていくつもりですが、
前回からの自己紹介をベースに書いていくんで、それらを読んでもらうとよりわかりやすいかと思います。

大まかなあらすじだけなら1分もあれば読めるんでよかったら読んでみてください。

前回までのあらすじ

プライドだけは高いFランク大学生のしょーびは、それなりに大学生活を謳歌するもADHDが発覚!!

持ち前のプライドの高さから自分の無能さを全てADHDのせいにし、就活も大失敗に終わる!

果たしてしょーびに明日はあるのか!?
いや、もしかしたら今日すら危ういかもしれない!!

頑張れしょーび!せめて人に迷惑だけはかけるな!!

会社初の新卒の大卒社員

僕が採用された会社は従業員が70名ほどの工場でした。

「謎の工場の割には人多くね?」と思った方もいるかもしれませんが、製造業はとにかく頭数が必要なので、非正規社員を何人も雇います。 

オートメーション化を進めていない零細工場では無駄に人が多い傾向にあります。小売業と同じですね。
そういったところなので新卒社員は高卒の方しかおらず、大卒者は全て中途採用の方でした。

そんな中、僕を含め、
大卒  2名
専門卒 1名
高卒  1名
の計4人の新入社員が採用されました。

僕は社長とその息子に気に入られていたらしく、営業に配属され社長の息子(以下専務とします。)の直属の部下となりました。
期待されているような気がして僕は俄然やる気がわきました。

本意ではない就職をしたとしても僕が会社を変えてやるんだ!

それくらいの心意気で頑張ろうと決意しました。

パワハラと長時間労働

入社してから3ヶ月、研修も終わりいよいよ本配属となりました。
とは言っても、現場で製造を手伝っていただけですが笑

本配属後すぐは残業はなく、基本的には定時で上がることができました。
多少の残業なら構わないと思っていましたが、ないならないに越したことはありません。

しかし、違和感があることが一つだけありました。
業務についてなにも教えてもらえないのです。

会社というところでは誰も教えてくれないんだな。きっと習うより慣れろという考えなんだなと自分を納得させました。

徐々に仕事も増えていき、しかし教えてくれることもないため段々と残業をするようになりました。

最初は30分だったのが、1時間、1時間半、2時間…
休日出勤も当たり前のようにするようになりました。

さらに、仕事を教えてくれない程度ではまだよかったのですがーー。

営業の仕事に代金の見積もりがあります。
代金の主な内訳は、
1.製品の材料費
2.製品の加工時間に対する人件費
3.その他販売管理費(略して販管費といいます。)

中でも“2.製品の加工時間”は大まかには出せても、正確な時間は製造工程を決める製造部の担当者にしかわかりません。

その担当者という方が僕を“教育”するとの名目で加工時間を教え渋るということをやりだしました。

僕の直接の上司ーー。専務に話してもらえば早いのですが、その人がワーカーホリック気味な人でなかなか捕まりません。

メールもあまり見てくれないので捕まえるしかありません。

すると僕の仕事はそこで止まってしまいます。
そうなるともう長いので、
お客さんに見積もりが遅れる言い訳のメールの文面を考え出します。

そのことに関してお客さんから苦情がはいることもあります。
僕に直接言われる分には問題ないのですが、新入社員の僕じゃ埒が明かないと思うのか、社長に直接苦情が入ることもあります。

すると僕は大目玉です。
当時の僕は人のせいにすることは卑怯なことだと思い、製造部の担当者の人のことは言いませんでした。

そもそも失敗が多い上に知識もそう多くないため、他の人に迷惑をかけるような失敗は僕一人でもそれなりに多かったように思います。

そんなこんな過ごしていたら9月になり体調を崩しました。
治らない腹痛で仕事に行ってもトイレにこもりきりになることが多かったです。

病院で診てもらったらストレス性の胃腸炎とのこと。
休養を勧められました。

一回目の休職

翌日、専務に診察結果を伝えたところ、会社としても休職を勧めたいとのことでした。
会社の温情に甘え、僕は2週間の休職に入りました。

休職一日目、そもそも一日完全に休みをもらったのがニ週間くらいぶりだったので、ゆっくり体を休め、病院から処方された薬を飲んで過ごしていました。

久しぶりにテレビをゆっくりと見て、
ネットニュースを読んで、
食事をゆっくりと取り、
湯船に浸かって温まり、
日付が変わる前には床に就くことができました。

休職も4日目に差し掛かったときにはもう腹痛はほとんどなくなり、普通のものが食べられるようになっていました。

休職して一週間が経ち、会社から呼び出しがかかりました。
何か問題が起こったかと思いドキドキしましたが、どうやら顔を見せろとの事。 
もう体調もよかったので会社に向かいました。

そこでは専務が待っていました。

「もう体調はいいの?」

と持ち前の愛想のよさで聞いてきました。

僕も笑顔で、

「はい!お陰様ですっかりよくなりました!」

と答えました。

「ならよかった!あと一週間の休みはバケーションだと思って過ごして!また一緒に頑張ろう!」

専務は僕の背中を強く叩き激励してくれました。

僕も、休職明けから心機一転頑張ろうと強く決意するのでした。

復職するも状況は好転せず 

一週間後、僕は復職しました。
同期の仲間たちも復職を喜んでくれました。

それからというものの休職前にも増して精力的に頑張りました。
色々な提案をし無駄な仕事をなくし、
残業も休日出勤も進んでするようにし、
ルート営業主体だったのを、飛び込みの営業もするようにしました。

しかし、そんな僕をよく思っていなかったのか会社の御老公たちでした。
その中には例の製造部の担当者もいます。

僕がなくした無駄な仕事というのが、その御老公たちの仕事だったのです。
結果的に僕は彼らの仕事を奪ってしまいました。

そんなことに気づかなかった僕に、彼らは以前にも増して強く当たってきました。

ときには書類を隠す、パソコンのフォルダを削除するというような子供じみた嫌がらせまでもされました笑

結局、休んだことにより僕の体調がよくなったというだけで、会社の状況は特に変わっていないのでした。

そして、復職から2ヶ月、僕はまた体調を崩しました。

体調を崩しうつ病が発覚

体調を崩した僕はまた精神的なものだろうなと病院を受診しました。
やはり、精神的なものだと診断をされ、先生から言われました。

「一度心療内科や精神科を受診したほうがいいでしょう。」

自分でもそこまで重くなっている自覚はありませんでした。
流石にもう休めないと思った僕は無理を押して会社に行き続けました。

ある日、仕事から帰った僕に妹が言いました。

「大丈夫?すごい顔してるよ。特に目なんて腐った魚みたいな目だよ?」

どうやら妹と母は以前から僕の様子がおかしいことに気がついていたそうです。

「実は…」

僕は会社でのこと、
自分の最近の体調のこと、
病院の先生に心療内科の受診を勧められたこと……
全て妹と母に話しました。

「私も思ってたけど心療内科、受診したほうがいいよ…」

妹と母に言われ、心療内科の受診を決意しました。


ADHDを診断してくれた心療内科は、先生が高齢になってしまっており、別の病院を受診しました。

そこの先生は僕が回らない頭で話す話もよく聞いてくださいました。

「少し疲れているようです。診断書を書くので休職をしてください。可能であれば別の職を探したほうが良いでしょう。」

先生には休職をした上での退職を勧められました。 
その時の僕は、

「これでゆっくり休めるんだ……」
と思っていました。

退職

それから六ヶ月後、休職と少しの復職を繰り返しながら退職しました。

期間にしては1年2ヶ月の僕のサラリーマン生活は終わり、
僕は本格的に療養に入りました。

最後に

今回は就職してから体調を崩し休職をして、
復職をするも会社での状況は変わらず、
結局うつ病になり退職をするまでを書きました。

あの頃を思い出してもなかなかひどい生活を送っていました笑
うつ病になる直前は一日13時間労働、15連勤、手取り20万という地獄のような状態でした。

しかし、それが社会では普通なのか、僕が甘いのか・弱いのかというのは未だにわかりません。

なんにせよ、あの会社に戻りたいとは元気になった今でも思えません。

次回

次回は僕が副業ライターをしていたときの話とうつ病で退職したあとの話をしたいと思います。

おそらく、今回と前回ほどの文量にはならないと思いますので気楽に待っていてください!

最後まで読んでくださりありがとうございました!!



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