あくびをしている人に眠りが必要なように
最近聞いたある人からの質問について思い出したことがある。
『はみだしっ子』という漫画作品(故 三原順)で主人公が実の父(死に向かう病にある)について「あくびをしている人に眠りが必要なように、死にかけている人には死が必要なんだ」というセリフ。(正確ではないけれど、だいたいそんなかんじの)
たしか周囲が延命(主人公の父の)のために尽くすべきだというような状況だったと思うけれど、それに対して主人公が言ったのがそれ。
冒頭の「質問」に戻って、それは「底辺にいる(この底辺はいろんな意味で)人を助けるにはどうしたら」というようなものだった。(あくまでもざっくりの大意で、受け手の自分の恣意性もふくめ)
助かろうと(その底辺からはいあがろうと)もがく人になら助けは意味があるし、それを(助けを)求められればそれに応えることは善きことだと思う。
でも、そうでない(求めていない)人にはどうなんだろうか。
それは傲慢ではないだろうか。
それは余計なお世話ではないだろうか。
だって、求めて(求められて)いないのだから。
溺れかけているのに助かろうともがかない者にどうやって手を差し伸べることができるのか。
彼(彼女)はそれ(沈んでいくこと)を求めているんだ。
願ったんだ。
助かりたい(はいあがりたい)という意図があれば、当然もがくし、なんとかして沈まないようにあらん限りの手を尽くすだろう。
そうなったときにはじめて他力による助けが意味、必要性を持つ。
自助の意図がない者にどんな優しさで救いの手を差し伸べても(実際はそうした気になっているだけ)それは無意味だし、逆に死(沈んでいくこと)を早めることにすらなるということを忘れてはいけない。
他者からみていくら悲惨でも不幸でも、それは当人にとっては望む(肯定している)ことなのだから。
自傷行為や自死もそうだ。
重度のうつ症状(当時は今のように「うつ」が一般的ではなく、精神分裂症と診断されていた)にあった次兄を「助けよう」と精一杯手を尽くした長兄ができたことは、彼の自死が「叶った」とき、それを確定させたということだった。
Heaven helps those who help themselves.
天は自ら助くる者を助く(サミュエル・スマイルズ)
まだまだという年齢で早逝したり、娑婆と監獄を行ったり来たりしつつ消えていった知人(ex 友人)たちを思うと痛感する。
アルコールや麻薬におぼれていたり、万引きや窃盗といった反社会的なことを日常として(肯定的に)生きている人を幸福だと思う人は少ない。
しかし、当人にとっては紛れもなくそれが「want to」であり、幸せ(したいこと、肯定していること)。
であれば、そこに無用な(求められていない)助けがどんな意味をもつというのだろう。
余計なお世話という他になんといえるのだろう。
だって気づいていないのだから。
知らないのだから。
自分が地獄をさまよっていることに。
そして、それを求めていることに。
そうして亡くなった人に「天国にいっちゃったね」とかいってるやつ。
そんなことが言える「友人のふりをした」やつらは傲慢なその自分の無力さを見ないようにしているだけだ。
そんなお前らの無力な、そして有害な「優しさ」があいつを殺したことを見ようともせずに。
お前らがあいつを殺したんだ。
あいつはとっくに死んでいたよ。
心が死んだあのときに。
心を殺したあのときに。