ニーチェの思想は、いわゆる「哲学」なのか?
知人のドイツ人(同じシェアハウスの住人で大学では哲学を専攻)に「最近ニーチェにはまってて、いろいろ読んでるんだけど、ニーチェって哲学というより詩人、文学表現の人だよね?」とふったところ、彼も同意し
実際、彼ら(ドイツ人)にとってもニーチェ(の思想)はわかりにくいものであり、詩、文学として親しまれて(認識されて)いるとのこと。
ニーチェを学ぶひとたちも、哲学専攻というよりも、もっとふわっとした広義の「文系」のひとが多いとか。
ま、このことをもって一般化はとうてい出来ないけれども、少なくともわたしの持つ印象、感想は大きくは外れていないのではないかと思って安心したのでありました。
逆にそう思って(哲学ではなく、詩、文学なんだと)あらためて接することで、かえって読みやすく(とはいえ、ではあるにせよ)なることもあるはず。
他の哲学者の思想や著作なんかにもいえることですが、ざっくりとでも哲学史(ソクラテス、プラトン、アリストテレスあたりからの)を近代くらいまで概観してゲシュタルトを持ち、そのうえで解説書、関連書籍にあたる。
そのうえで本人の著作を読むことで、それまでハードルが高く難解だった「哲学」も少しは身近に感じられるようになるのかもしれません。
少なくともわたしはそうでした。
はっきりいって、数年前まで「哲学、なにそれ、美味しいの?」というレベルでまるっきりチンプンカンプンでしたが
最近は好んで能動的にそうした書物を(Kindle Unlimited の読み放題対象に限定しているとはいえ)渉猟し、楽しめるようになってきました。
ニーチェにかぎらず、哲学史をざっくり概観してゲシュタルト(ひとそれぞれのレベルであっても)をもつのに大変役に立つのがこの一冊。
逆に注意したほうがいいのが、ディスカヴァー・トゥエンティワンでよく出している『超訳』ものですね。
門外漢、素人にはとっつきやすいのでしょうが、これは悪手になりかねない。
いわゆる名言に意味や価値を見出すのも悪くはないけれど、弊害に要注意。
それ(名言)が生まれた背景、語られているそのコンテクスト(文脈、前後)を体験せず、知らずして表面だけ(言葉だけ)を自分の中に取り入れても、所詮それはそれだけにすぎない。
真に大切で意味があるのは、そこ(答え)に至るコンテクストなのだから。
答えだけを得て「わかった」と得心しないよう、カンニングで終わらないように注意すること。
またニーチェに戻ると、以下の一冊は Kindle Unlimited の読み放題に入っていないし、装丁が若干ポップにすぎるのですが、とてもおすすめです。
こういう意味での「よみやすさ」「わかりやすさ」はありだと思うし、有益でしょう。(主に対話形式ということもあり)
著者の飲茶さんについて、衝撃の自己開示が最後のほうになされるのですが、彼(飲茶)の著作にこれまで触れたことのあるひとなら誰もがたまげると思います。
そういう他者の視点(飲茶さんがなぜ哲学に興味をもち、書くことにまで発展していったのかなど)から「哲学とは」という問いを自分の中に持つのも価値があると思います。
飲茶さんの著作は以下もかなりオススメです。
食わず嫌いはもったいない。