昭和きものの魅力とは?
1 古着マーケットでは価値のなかった昭和きもの
一般社団法人「昭和きもの愛好会」が価値を置く昭和きものはどんな特色があるのでしょうか?その生産や販売については、先に投稿した「昭和きものとは何か」でご説明しております。本稿では更に、そのデザインや色について解説を加えたいと思います。
私共では昭和30年(1955年)頃から昭和60年(1985年)頃までに製造された着物・帯を「昭和きもの」と定義しております。同じ昭和の生産物でも、戦前に作られたものは、現在「アンティーク着物」と呼ばれることが多く、それらと区別するためにこの名称を使用しております。戦前と戦後で、両者の特色には大きな相違があります。
1990年頃から約15年間、このアンティーク着物を着用したり、リフォーム素材として使用する「古着ブーム」が生まれました。しかし、年代が新しいこともあり、このマーケットでは余程の有名作家の作品でない限り、戦後の着物はあまり珍重されませんでした。束ねたままで販売されたり、一山千円の値段しかつかないこともよくありました。時代がまだアンティーク着物に価値を置いていたのです。その時の購買者は当時50歳から70歳くらいまでの女性で、細工物や着物リフォームが趣味の人々でした。したがって好まれたのは、縮緬や錦紗、大島などの素材です。彼女らにとって昭和きものは、制作の対象にするにはあまりに身近すぎ、「嫁入りの着物の中に入っている、さほど珍しくもないもの」であったようです。
そうした中で、これらの着物に価値を求め、日本の着物製造の歴史の中で正しい位置づけを見出すことを目的として、一般社団法人「昭和きもの愛好会」の活動が始まりました。
2 なぜ昭和きものに魅力があるのか?
時代はそれから約30年下って、令和の今、着物で手づくりをしていた人々はどんどん減っています。購入する人も少なくなり、着物リフォームも見ることが少なくなりました。当時は都会の一等地にリフォームのスタジオを持つ人もあったのですが、ご本人の高齢化と、ビジネスとして成立しなくなったため、一般の人の目に触れることも少なくなりました。ごくまれに僻地や離島で見かけることがあり、文化の残り方としては興味深いと思います。
そんな時代を背景に昭和きものを見るとき、その斬新さ・面白さに魅力を感じる人々が増えてきました。ファッションは10年前だと「耐えがたく時代遅れ」、20年前だと「ちょっと面白い」、30年前だと「とても素晴らしい」と受け止められるそうです。昭和きものもそのような時期に入ったのかと思われます。では、ここでその魅力を更に詳しく見てみましょう。
○斬新なデザイン
昭和30年代に活躍した、作家であり着物デザイナーでもあった宇野千代氏は、著書「宇野千代きもの手帖」で次のように書いています。
「この頃の着物は、狭い日本の国内で作られる流行ではなく、洋服とそっくり同じように、着物もまた、アメリカやヨーロッパの流行を反映して、向うでペーズリーの柄のワンピースやマフラーが流行しますと、日本の着物であるお召や小紋や帯にまで、同じペーズリーの柄が現われる、というふうなのです。 柄だけでなく、色まで、色もまたアメリカやヨーロッパの流行色が着物の上に現われています。この春から、もの凄い流行を見せている黒白だけのお召、小紋の着物のあの黒白調子の感覚は、あれはそっくり洋服の調子そのままの流行ではないでしょうか。
ワインカラー、パステル調などという外国風の色の名をそのまま着物の色の名に使って、名前だけではなく配色の具合まで洋服の感覚を表現している新しい着物が喜んで迎えられているのです。今の小紋のなかには洋画の油絵か水彩画のタッチをそのまま再現しているようなものがたくさんあります。」(「宇野千代きもの手帖」二見書房 2004年)
このように、海外のデザインがそのまま着物に取り入れられていたことがよくわかります。宇野千代氏は戦後いち早く新しい着物の着方や型を提唱した方で、当時のファッションリーダーでした。「洋服とそっくり」という言葉は、この時代の流行をよく表現しています。着物のデザインはまさに「何でもあり」の世界で、反物の上に抽象画や洋服地の絵柄が展開していたのです。
○今までにない洋風の色づかい
宇野千代氏の指摘にもあるように、この時代はいわゆる「和の色調」から大きく離れて、洋服地に見られるような色が着物の上で展開します。
ワインカラー、パステル調などという外国風の色の名をそのまま着物の色の名に使って、名前だけではなく配色の具合まで洋服の感覚を表現している新しい着物が喜んで迎えられているのです。
このように、グレー・ピンク・レモンイエローなどが登場し、全く違った着物がでてきたのです。また、ジャカードお召の製造に伴い、金銀糸も多用されるようになりました。
3 良い職人の技と活気ある産地が増産を可能とした
良いデザインがあっても、それを形にする職員や工場なしには着物も帯も生産できません。戦中の「産めよ増やせよ」のスローガンの結果として、昭和30年代には若年人口が増加していました。こうして戦前から伝わる技術を伝承する年齢層も保障され、産地が活気づきました。工芸品の生産という観点からも、この時代の着物は注目に値するのです。
同時に、機械の導入も製造量を増やすことに貢献しました。京都のみならず、東京に近い桐生・足利・十日町なども産地として発展し、生産量を増やしました。戦後の高度経済成長と着物ブームで一般消費者が着物を求めるようになり、それに合わせる形で産地の経済が賑わったのです。
このような時代を背景に製造された昭和きものは、さまざまな技法、華やかな色彩、デザインの面白さと見るべき点がたくさんあります。私ども昭和きもの愛好会は、着物そのものに注目することはもちろんですが、生産の技術や流通の調査も同時に行っています。ぜひこの時代の着物を見直し、その魅力を知っていただければと思います。
(一般社団法人昭和きもの愛好会理事 似内惠子)
【参考文献】「宇野千代きもの手帖」二見書房 2004年
【note関連記事】
「昭和きものとは何か」https://note.com/showakimono/n/n292e98114ad9
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