着物はどこに行くのか
1 生き残った着物関係者のマナーが最低であるという件
数年前まで着物の販売は「苦戦」という感じでしたが今は「瀕死の状態」と言った方がいいかもしれません。コロナまでちょっと景気がよかったので、なんとか少し着物を着る人達のところに押し込むことはできましたが、今はコロナで外出なしに加え、大勢で集まることがNG、地震に豪雨ということで販売は難しいと思われます。
以前NPO法人主催の展示で、ある着物製造会社にDMを出したことがあります。みやこめっせで名刺をもらった会社です。なぜか数日後そこから電話がかかってきて、「修理の相談をしたいので見に来て欲しい」というのです。行きますと、そこは7階建のビルで2階分程度しか使ってませんでした。座敷に通されると社長が出てきて「この打掛をみて欲しい」というのです。見ると裾がボロボロでした。「これはどうされたのですか?」「古門前の古物商で買ったんや」「展示会場で飾っててこうなってきてん」という話です。「これでなおせへんか?」と出された布地は新しいもので、「これではちょっと難しいです。古い縮緬を探して、和裁の詳しい人と相談しないと難しいです」とお伝えしました。
その後いきなり、展示の際に講演を依頼したK氏の話になりました。社長が「あんた、Kさん知ってるか?」というのです。そして、「今ここでKさんに電話して」というのです。意味がすぐ分かりませんでした。要は「今来たばかりの奴に打掛とか預けるのは信用できない。電話をかけさせて身元保証をここでさせたい」という意図でした。K氏には電話して説明してもらいましたが、もうこの時点で一刻も早く帰ろうと思っていました。
古いものを客寄せに使うなんでもありの考えと、それを新しい布地で修理しようという無知に加え、後から電話してどういう人物か聞けばよいのに目の前で本人に電話をさせて、それを失礼とも何とも思えない無神経に驚きました。自分で人を呼びつけておいてこの対応です。「着物業界って、もうこんな人しか残ってないのか」というのが正直な感想でした。
京都にあるあるのこの手の無礼さ、原因を考えるに
1 呉服が快調だったときの意識が改善されていない
2 京都では常に自分たちが上だと思っている
3 業種の特異性により、ビジネスマナーの教育ができていない
4 下請けや発注先には何をしても良いと思っている
であろうと思われます。思えば数十年前、何でも売れたし地方の販売も良かった時代がこの人たちをガラパゴス諸島の海イグアナのように独自の進化を遂げさせてしまったのですね。一部の伝統工芸領域で助成金で生きている企業にも似たような場所があると聞いています。
2 コロナでこれからの着物業界はどうなる?
では周辺の関係者はどうなのか?着付け講師も苦戦です。リモートとかで対応している人も多いようですが、多くの人数を集められないのは痛いと思います。古い着物も値段がどんどん下がっています。
そもそも京都の着物販売のビジネスモデルは
〇祭りや桜もみじにかこつけてお客を呼ぶ
〇食事などをさせる
〇着物を販売する
というやり方でずっときています。京都という借景・祭というイベントが販売の重要な要素なのです。つまり観光と一体化しての販売なのです。それがなくなると非常に痛いです。
この販売モデルが長期にわたって成立したのは、江戸時代以前に始まった京都観光というベースがあったからです。他府県より一世紀は先んじた観光都市です。谷崎潤一郎の「細雪」でも、冒頭の部分で蒔岡家の姉妹が集まって桜を見に行くのは京都です。呉服屋招待の祇園祭や桜を見る集いの先には、「着物を買う」という罠が仕掛けられているのです。むしろそれも読み込み済みで罠に入る「太客」が多かったのです。
コロナがなぜ京都を直撃しているかというと、それは観光+販売の二重構造だからです。観光そのものが外出移動抑制等でダメになると、それに乗っかる販売がすべてダメになるのです。筆者も左京区の銀閣寺まで徒歩10分という場所に事務所を持っていた時期があります。桜もみじが快調のときはよいのですが、インフルエンザや3・11地震などが起きると観光どころではありません。猫の子も通らない場所に一変します。
「観光ビジネスは最も世相と景気の影響を受けやすい産業である」とその時痛感しました。観光業もですが、季節や祭りなどに乗っかる仕事すべて、リスクが多いと思います。これからもこうしたことはあると思うので気をつけましょう。
3 それなら何をすればいいのか?
ということでこの核心にきてしまいました。先日アメリカ在住の方とお会いしてお話を伺った上での感想です。それは、
着物はもはや日本文化としての立ち位置しかない
ということなのです。日常着として考えることはもはやできない。外国の方にとって、着物は日本文化の一部です。日本文化を紹介するとき、奈良時代から昭和まで人々が来ていたものが付随してくる、そういう感じなのだと思います。「るろうに剣心」(時代背景は明治初期)であれば、剣心は着物と袴です。斎藤一は警察の人間なので洋装なのですが、多くの人は和装です。
また、若い世代、特に平成以降に生まれた人にとって着物は伝わるものでなく、セレモニーで突然出てくるものです。彼らの日常生活に着物を差し込むことはなかなか難しいと思われます。良い素材だからといっても、汚れたらその都度悉皆やさんに出さないといけないものは、なかなか受け入れられないのです。それだけ生活にゆとりが無くなっているとも言えます。このような時代に着物に少しでも関心を寄せてもらうには、「着物を持て」「着物を買え」という厚かましい考えを捨て、「わあ、着てくれるのありがとう!」くらいのスタンスで十分かと思うのです。
明治初年度の着物の敵は、「公式の場はフロックコート」と決めた明治政府でした。皇室も諸外国に追随するために明治10年頃から洋装を公的な場の衣服と定めました。このあたりからすでに敵は多かったのです。
令和の今、着物の敵はすぐに洗えて暖かい製品を販売するファストファッションです。販売者の敵は同業者ではなく、無料で試着ができツケのきく衣料量販店です。そういえば昔、着物の販売会もローン可能でしたが、衣料量販店はあとから何十万の請求にはならないのです。衣食住のうち、衣を重んじてきた日本人も、もはやそうした支払いを支える経済力がなくなっています。
こんな状況下でどうすればよいのかというと、先に述べたように着物を文化と抱き合わせで出してゆくしかないと、そのように考えます。素材の扱いの難しさや衣服構造の非活動性などの、どうしても勝てない部分は歴史の追い風で着てもらうしかないでしょう。筆者の経験からも、外国人と結婚した日本女性がかなりの数で着物を着るようになります。夫の元カノに対抗するときは、やはり着物で勝負となるようです。「着物は日本人のアイデンティティ」などと綺麗なことは申しませんが、この衣服にはまだ民族のプライドが載っているようです。
販売が落ちるところまで落ちても、千年以上の歴史がある以上、どこかで着物との接点があるのが日本人です。そしてありがたいことに日本文化はまだまだリソースがあるのです。
4 未来は自分で作ろう
着物販売の突破口として、コスプレや新しい着方などの方向を求める人もいます。販売についての模索はよいことだと思います。何もしないよりは結果が出ます。しかしウイズコロナがまだまだ続く以上、たくさんの人を集めるというビジネスモデルはもはや善ではなく、海外の人に着てもらうという方向も頓挫しています。世界そのものが変わっていて、今までのようにはもはやならないという事実を認めなければなりません。
筆者なりの疑問をまとめますと、下記のようになります。
1 今は売り買いの時期なのかという疑問
2 同じことを同じように続けていていいのかという疑問
3 着物というアイテムにこのままはまり込んでよいのかという疑問
解説はこうです。
1は無駄な投資をせず、キャッシュフローを残すという路線が、いざというとき撤退できる。レンタルなどの商材を安くで買うのは悪くない選択です。また、何もしないというのも良い手であると思われます。
2についても、自己というリソースを着物関連にすべて投資し続けないで、距離をおいて眺める。違う業種に入ってみるのも一方法です。
3も同様で、他の文化や歴史との関係から着物を語れるようになっておく。伝統工芸も一旦着物から離れて、どんなものを作れるかという検討も必要かと考えます。
今はいろいろな危機で、昭和・平成の流れをそのまま続けることはできませんが、自分の方向性を見る上で大切な時期であると思います。日本が鎖国していたとき、一番文化が栄えました。この鎖国下で、少なくとも海外資本経営のレンタルスタジオや、外国人の着物姿を見る事が激減した現状下において、何をやって何をやらないかをよく考えてゆきたいものです。
今一番見習うべきはこうした人たちなのかも。サメやマグロのように動き回らず、お家の中でじっと様子を見ています。お外も楽しいけれど、そこには猫白血病やカリシウイルス感染症があることをよく知っているのです。そうしつつ、そのうち何か状況が変わるのを待っています。
似内恵子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
【参考文献】動物百科ガラパゴス 藤原幸一 (株)データハウス
【画像解説】着物の話なのに着物画像が全くない形になりました。主役はガラパゴス島の生き物たちです。表紙は「ガラパゴスオオアシカツオドリ」。文中のものは「ウミイグアナ」。海に潜って餌を食べる唯一のイグアナです。いずれも絶海の孤島で独自の進化を遂げています。最後の画像は理事長の愛猫「てつ」君です。この人は日本在住です。