鬱に至るまで。そして、得た私なりの教訓。
はじめに
2024年1月、私はベッドから動けなくなりました。自分が努力したり我慢すれば何でも乗り越えられる。本気でそう思っていた私は、鬱になり、休養の過程で注意欠陥・多動性障害(ADHD)の診断も受けました。
医師には「重いうつ状態なので、今すぐに仕事を休んだほうがいい」とはっきりと告げられました。いったい何が私を鬱に追い込んだのか。思い返せば、いろんな伏線があったと思います。
鬱を発症
鬱になるまでの私は、週に5日はほぼ12時間働くような生活を送っていました。もともと仕事が好きということもあり、コミュニティに関する業務はスタッフの協力を借りつつも、企画や準備、日頃の事務的作業は基本的にすべて自分で行っていました。それ自体苦ではなく、単純な作業を繰り返すのが苦手な私にとっては適性だと思っていました。しかし、自分が思っている以上に、カラダは悲鳴をあげていたのでしょう。特にきつかったのは、2023年11月から12月にかけてでした。普段の仕事に加えて、15分〜1時間分の動画編集を4本、台本制作、忘年会シーズンも重なり人付き合いの時間も増え、完全に自分の時間はなくなっていました。ある日、ホームで電車を待っていたときにやってくる電車に吸い込まれそうになったこともあります。身体は正直でした。12月には、流行病ではない謎の風邪に2度も悩まされました。年が明け、帰省から帰り仕事始めとなったあの日、私の身体はついにベッドから動けなくなってしまったのです。思い返せばあれも、身体が限界を迎えているサインだったのかもしれません。
私が病院に行こうと決めたのは、不眠に陥ったからでした。
午前中は何をやっても集中できず、ぼーっとする時間が増え、気がつけば夕方に。「仕事が残っている」と焦り、日付が変わる時間帯まで仕事をしようとパソコンを起動しますが、1分と集中力が続きません。そして、なんとか仕事をし、ぐったりと疲れた体にお風呂に入る気力は残っていません。ベッドに入り、またぼーっとします。
深夜3時・4時になり、やっと重い腰を上げ風呂に入るが、寝れません。気がつけば朝の5時になり、また7時に起きる。そんな生活になっていました。
ついに病院を受診
こんな生活が1ヶ月ほど続いた私は、限界を感じ、精神科を受診することにしました。30分ほど話を聞いてもらい、即「あなたはうつ状態です。明日からでも最低4ヶ月は休んでください」と言われました。自覚もないままに、こんなにあっさりと言われると、本当に自分は鬱なのか? 当時は全く実感が湧きませんでした。ただ自暴自棄で今すぐにでも消えてしまいたいと思っている状態は普通ではないのだと認識することができました。
それからはただひたすら休む日々。字面で見ると休むなんて簡単と思う人もいるでしょう。ただ本当の苦しみはここからでした。
最初の1ヶ月は今まで張り詰めていた糸が途切れるかのように起き上がることもできませんでした。トイレに行くことも、ギリギリにならないとできません。空腹なのにご飯を食べることもできませんでした。それは、生きるために本能的にすることを自ら放棄しているようでした。
しかし、脳の思考回路はグルグルと活発で、当たり前のことがこんなにできないなんて自分は情けないと、さらに自暴自棄になり焦燥感とこの先どうなってしまうのか不安でいっぱいになっていました。
大好きだった昭和ポップスも聴けなくなり、今まで楽しいと思えた感情もそのままごっそりなくなりました。
通院してしばらく、自分が鬱に至るまでに悩んでいたことを話す機会がありました。そのなかで注意欠陥・多動性障害(ADHD)の疑いが浮上。その障害のせいで、仕事や人間関係に悩み、うつ状態になってしまったのではというのが医師の診断でした。
実際にADHDでうつ病になる人は多いようで、私も社会にうまく適応できず悩む1人だったのです。
回復したきっかけ
生々しい症状や経緯についてはここまでとして、ここからは私が鬱から回復したきっかけについて書いていきたいと思います。
1つ目は、心理カウンセリング。療養を始めて4ヶ月経過した時期に、心理カウンセリングを受け始めました。受けてみようと思ったきっかけは、鬱になった根本的原因を探りたかったのと、今後復帰したときにまた鬱を再発しないようにするためでした。正直カウンセリングを受けるまでは、その効果に期待していませんでしたし、自分の本音を話すなんて簡単にできることじゃないと思っていました。しかし、疑心暗鬼で受けてみたカウンセリングは思っていた以上に良い影響を与えてくれました。自分でも気づいていなかった感情にふと気づかされるのです。「あ、自分ってこんなことを考えていたんだ。だから、こんなに苦しかったんだ」と、自分を客観視できるようになっていきました。
2つ目は、自分が少しでも興味が湧いたことをやってみる。私は以前から簿記資格に興味があったのですが、忙しさに忙殺されてなかなか手をつけられていませんでした。しかし、療養して少しずつ活動ができるようになった時期に簿記の勉強を亀のようなスピードで始めてみました。やり始めると、自分がやりたかったことをやれる喜びや、少しでも前進していると実感が湧いてきました。あとは、好きな昭和ポップス以外の音楽を聴いてみました。正直、これまではあまり積極的に聴けていませんでしたが、聴いてみるといい曲もいっぱいあるし、昭和ポップスにも通じる部分があって面白いことに気づきました。この興味が湧いたことに触れてみる体験が私のなかに新しい息抜きをもたらしてくれたと思います。
3つ目は、運動です。もともと運動、特に筋トレは日課でやっていましたが、体脂肪率や筋肉量を数字で管理していて、リフレッシュというよりも数字に一喜一憂するような、これまたストイックになってしまっていました。療養開始直後は、身体も動かなかったため運動はおろか、医師から推奨されている朝散歩もできない状態でした。ですが、「鬱病を回復するためにした方がいいこと⚫︎選」というテーマで紹介されているYouTubeで、軽い運動が推奨されているのを観て、最初は軽いウォーキングやエアロバイクから運動を再開してみることにしました。そのおかげで、毎回、継続してジムに通い、運動をやり切る自分に自信がついてきました。今はダンベルを持ち上げられるくらい元気になりましたが、体重計などには一切乗っていません。今後も筋トレはあくまで健康と息抜きのために継続して、数字に縛られない体づくりをしていくつもりです。
鬱を経験して得た4つの教訓
ここまで鬱になった経緯と回復したきっかけを紹介しました。
最後に、私が鬱を経験したからこそ実感した4つの教訓を綴ってみようと思います。
1つ目は、他人と自分を比べないこと。SNSなど情報が溢れる現代において、私たちは無意識にたくさんの刺激を受け取っていると思います。誰かのキラキラした生活や、周りの人たちの活躍、良いことも悪いニュースも、さまざまな刺激をたくさん受け取っていると思います。今までの私は、おそらくそういう人たちの情報を通して自分の現状を把握したりすることしかできなかった。というより、だんだんとそういうフィルターを1枚挟まないと自分自身を評価できない自分になっていたんだろうと思います。この他人と自分を比べないという意識は、常に意識して心に留めておかないといけない大切なことだと思います。SNSはやめない。やめれないからこそ常に意識しておきたいことです。
2つ目は、自分を認めてあげること。1つ目の続きにもなりますが、決して何かができない自分でも、しっかりと自分を認めて受け入れてあげることが大切だと、この療養中につくづく感じました。どんなにあがこうと、鬱になった自分も自分自身で、自分が生きている人生は1度きりしかない。どうやったら生きやすくなるのか考え、良いところも悪いところもあることを受け入れて、自分自身が一番の理解者になることが大切だと思います。例えば、私が中学高校生だったときは、先生や親に良い評価されないと自分には価値はないと思っていましたし、苦手なことや教科がある自分が大嫌いでした。しかし、今思えば完璧なんて存在しないし、得意不得意があって当たり前ですよね。小さい頃の考え方は、音もなく私の認知を歪めていたのがわかっただけでもラッキーでした。
3つ目は、背負いすぎないこと。私は、趣味型コミュニティの代表をしていますが、実は自ら積極的に舵を切るようなタイプではありません。むしろどちらかと言えば引っ込み思案で、前には出たがらないタイプです。でも、責任感は強く、1度決めたらその責務を全うする自信がありました。しかしそのせいで、1人でいろんなことを背負いすぎていたのです。それは仕事量もあるし、精神的にもあらゆることを背負って抱えて自分のキャパシティを超えてしまっていました。人は誰しも1人では生きていけません。時に誰かに頼りながら協力しながら互いに支え合っていくのが大切です。このブログを読んでいる人でなかなか甘えられないという人は、ちょっと勇気を出して弱音を吐いてみてもいいんじゃないでしょうか。きっと手を差し伸べてくれる人がいるはずです。
最後の教訓は、時に諦める勇気も大事ということ。鬱になって、仕事も休み日常生活が送れなくなり、人生でいちばんの絶望を感じました。精神的に良くなったり悪くなったり波がある中で、一喜一憂する自分に情けなさを感じるときもありました。しかし休養中、医師をはじめパートナーや両親、家族、友人、誰ひとり私を責める人はいませんでした。そこで気づいたのです。自分を追い込んでいるのは自分自身なのだと。だから、無理に早く治そうとせず「こうなってしまったんだから仕方ない。早く治そうとせず、自分のペースでゆっくり治していこう」とポジティブな諦めをしたのです。そういう意識を持つだけで、体調はぐんと良くなり、元の自分から一枚皮がむけたような新しい自分に生まれ変われた感覚を覚えました。このブログを読んでいる人も、時に理不尽や非条理にぶつかることもあるでしょう。しかしそれは全てあなたのせいではありません。自分でどうにかできないこともたくさんあります。だから、時に肩の力を抜いて適当に、ポジティブな意味で諦めることも大切なのだと思います。
最後に
鬱になる前は、「うつ病なんて自分には程遠い病気」と思っていました。しかし、なってみて言えることは「本当に誰しもなりえるもの」だということ。人生、生きていれば辛いことも不条理なこともたくさん起きます。そんなときに、全部を正面から受け止めるんじゃなくて波を乗りこなすような「あーね、はいはい、了解。」と交わすような考え方、そして生き方にしようと思いました。今も薬を飲んで、なんとか生きています。まだ少し症状が現れる日もあるけど、「でもきっと、大丈夫」と言い聞かせています。
鬱で苦しんでいる人に「頑張れ」とは言いません。頑張らなくていい、今はしっかり休んでいっぱい寝てください。辛い時は、気分転換に外に出て、緑に触れて、好きなことがしたければぜひ取り組んでみてください。きっと生きててよかったと思える日が来ます。
その日まで、のんびりマイペースにいきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた!