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生きることは、誰かの喪を纏うこと。あの日の3月11日。


あの日、地下二階のスタジオにいた。薄暗いスタジオの中、天井の照明が一瞬揺らいだのがすぐにわかった。地震かなと思った時には大きな揺れが起こった。

地下の薄暗い部屋はグラグラ揺れて、もしかしたら閉じ込められるんじゃないかと思うくらいに揺れた。みんなその状況にどのように対処していいのか分からずに、「地震地震地震、揺れてる揺れてる揺れてる」そんな言葉を連呼して、その場で動けずにいた。

ニュースを見ると東北で地震が起こったということがわかった。
津波の映像が連日ながれた。

あの衝撃は忘れられない。

1ヶ月ほど経って、モデルの子からあの日宮城で撮影予定だったと話しを聞いた。船に乗って撮影をするはずだったと。でも当日海が荒れていたので、仙台市内での撮影に変更になったと言っていた。

あの日、海で撮影してたら私たぶんここにいなかった。そんなことを言っていた。いま書いている最中にこのことを思い出したけれど、こんな風に忘れていく。

忘れてはいけないこと。忘れないこと。思い出すこと。

あの地震の数年後、小説を書いた。初めての小説。
noteで初めて公開したものがそうだ。
東北の震災を想いながら書いた。

登場人物は岩瀬と名乗る女性と、高木と名乗る男性の二人。
その中で、岩瀬が高木にこんなことを言う。

「この世界にはたくさんの世界があると思うの。大きな一つの世界があって、その中にわたしや高木くん、人それぞれの世界があるの。自分の中にあるものかな。その世界はね、常に自分の目線で成り立っていると思うの。暑い寒いとか、好きや嫌いとか。どうしようもなく小さなもの。でもそれは、色々なものを取り込むことによって少しだけど……。大きな世界に近づくことができると思うの。そうするとね、水やお酒が美味しくなって、苛立つことが少なくなって、人の気持ちがわかってくるの。それでも世界のズレは決して重なることはないと思う。だからその世界を繋ぐ何かが必要なの」

その何かは人それぞれだけれども、他人と繋がる重なりあった部分、例えばnoteを書いている人であれば、それはnoteという重なり合った部分を共有していることになる。

それは世界と世界を繋げる必要なもの。

関心が失われることは、繋がりを断ち切るということ。
だから、僕たちはいつまでも忘れてはいけない。



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野田祥久郎
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