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#06 藤田まこと 〜ブラウン管の名優〜

 一掛け 二掛け 三掛けて
 仕掛けて 殺して 日が暮れて
 橋の欄干腰おろし 遙か向こうを眺むれば
 この世はつらい事ばかり
 片手に線香 花を持ち
 おっさん おっさん どこ行くの
 私は必殺仕事人 中村主水と申します

 これは『必殺仕事人』のオープニングで流れていたナレーションのセリフです。
 2006年(平成18年)の大晦日、テレビ東京で放送された『第39回年忘れにっぽんの歌』に中村主水を演じた藤田まことが出演し、この冒頭のセリフを自らが語っていたのですが、これがたまらなくよかったのです。
 その後、『必殺メドレー(冬の花~旅愁~夢ん中)』と、当時の新曲『夜のララバイ』を披露したのですが、これらも引けを取らない素晴らしいもので、未だにこの時の映像を繰り返し見てしまいます。

 思えば、藤田まことという人は、いつの時代もブラウン管の中で輝くスターでありました。

 1960年代、視聴率60%超えというお化け番組『てなもんや三度笠』に、おっちょこちょいで女に滅法弱い渡世人・あんかけの時次郎役として主役に大抜擢。
 この番組がスタートした1962年(昭和37年)、国内のテレビ受像機が一千万台を突破。同番組で披露した「おれがこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」や「耳の穴から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたるで」のギャグと共に、藤田は一躍お茶の間の人気者となりました。

 この人気を受けてか、当時籍を置いていた渡辺プロのタレント総出演の映画にも多く出演し、ハナ肇とクレージー・キャッツやザ・ドリフターズと度々共演。自身主演の喜劇映画も制作されました。
 また、元々は歌手志望で、ディック・ミネのカバン持ちをしていた経験もあることから、番組主題歌『てなもんや三度笠』、『呑まんとおられへん』、『残酷行進曲』などのレコードもリリース。
 しかし、いずれも藤田の良さを出せているとはとても思えないシロモノ。勢いで乗り切ってるようにしか思えず、荒削り感が否めませんでした。当時、大人気コメディアンだった藤田だからこそ与えられたポジションなのでしょうが、どうにも空回りしているように思えてなりません。

 この頃、無声映画時代のスターであった父・藤間林太郎と舞台で共演。このときに父から言われた言葉を、後にNHKのインタビュー番組で語っています。

 俺は上手い役者でもなんでもない。俺は下手で大根なんだ。
 俺からお前見てもお前も大根だぜ。(略)人気があるだけなんだ。
 両方も下手じゃないか、大根じゃないか。
 お客の前で、二人で恥かくのよそうよ。
 お前はこれからの人間だから、俺はやめるよ。
 って言って、その公演を最後に芸能界から引退しちゃった。
 恥かくのはお前一人でかけ、と。
 (NHK『あの人に会いたい』2011年7月2日放送より)

 父の危惧した通り、まもなく『てなもんや三度笠』の視聴率は低迷し、藤田の人気も一気に急降下。『てなもんや三度笠』終了後は、『てなもんや一本槍』、『てなもんや二刀流』と続編が製作されたが、人気は遠く及ばず、1971年(昭和46年)2月末にシリーズは終了しました。
 てなもんやシリーズの終了後、藤田はコメディの仕事を断り、地方のキャバレーを回る巡業に出ます。

 私のキャバレー回りの出発点は札幌のキャバレーやったんですけど、まあ一応はテレビの人気者でしたから、私が出て行くときはすごい拍手喝采なんです。
 「わ〜、てなもんやのお兄さんや〜」
 ものの5〜6分もせんうちにお客さん飽きてしまうんです。
 ただちょっと面白いこと言うて歌を2〜3曲歌うだけですから。
 ひどいところになると「オーイ、面白くねえヤメロ」
 ビール瓶が飛んでくるんですよ、客席から。
 (略)その時に思うたんですよね、俺は芸も何も無いんや、と。
 (NHK『かんさい特集「熱唱!藤田まこと フランク永井に捧ぐ心の歌」』2009年5月15日放送より)

 かつての人気者に対する冷たい仕打ち。それでも、生活の為にとキャバレー興業を必死にこなし、キャバレー側から「また来てほしい」と要望されることが多くなっていきます。
 そんな中、北九州のキャバレーに巡業で行った際、その劇場の人から「フランクさんから預かり物がありますよ」と細長い包みを渡され、開けると中には友人であった歌手・フランク永井からの手紙が入っていました。
 「来週、まこちゃん、ここへ出るそうやな。もし歌う曲が無かったら僕の曲を歌ってくれてもいいよ」
 その手紙とともに入っていたのが、「フランク永井メドレー」と書かれた楽譜。今のように簡単にコピーができない時代に、手書きで1枚ずつ書いた譜面を託してくれたフランクに、藤田は熱い友情を感じたそうです。
 2009年(平成21年)5月15日、この前年に世を去ったフランク永井を偲び、病み上がりで体調の優れぬ中で出演したNHKの番組『かんさい特集「熱唱!藤田まこと フランク永井に捧ぐ心の歌」』が放送されました。
 キャバレー回りをしていた時代を振り返りながら、苦しい時代を助けてくれたフランクに捧げる追悼番組のようなものでしたが、藤田とフランクの熱い男の友情を感じさせてくれる大変素晴らしい内容でした。ぜひともまた再放送で観たいものです。

 話を戻し、キャバレー回りを重ねていた1973年(昭和48年)、朝日放送プロデューサーの山内久司から電話で、時代劇『必殺仕置人』の中村主水役で出演オファーを受けるのです。
 藤田は山内から「主役は山崎努やけど、あんたは人間の善と悪の二面性を出してくれ」と言われ、「一見情けない男だが、実は腕利きの殺し屋」という設定が「自分にぴったりの役」と感じ、出演を承諾したのでした。
 しかし、監督を担当した三隅研次から「あんた芝居下手やなぁ」「こんなんで飯食えると思てんのか」と酷評されます。と言いながらも、一つずつセリフを稽古したり、「もうちょっと軽くやったらどう。あんたやってたやろ、前『てなもんや』を。あれを半分くらい入れて芝居を作っていきなさいよ」とアドバイスするなどして、藤田に演技の指導を行います。
 次第に「だいぶ芝居が落ち着いてきた」「これあと3回くらいやったら、一生もんのシリーズになるかもしれへん」と評するようになり、シリーズ終盤には「これ必ず続き物になるで。あと半年やったら、中村主水があんたの体ん中入って、これは一生もんやで」と発言。
 三隅の予想は的中し、当初は山崎努が演じる念仏の鉄を中心に描かれていたが『必殺仕置人』が、次第に藤田の中村主水を中心に物語が展開するようになるほど人気は爆発。「あんたはもう死んでいるぜ」は流行語になり、テレビ時代劇から初のオリジナル・ヒーローが誕生するに至りました。
 朝と昼は嫁と姑に文句を言われ、職務怠慢をしながら細々と暮らすうだつの上がらない同心。言い返せずにモゾモゾ喋る中村主水の面白さは、藤田のコメディアンとしての力量が遺憾なく発揮されてます。これが夜になると、凄腕の殺し屋に変身するというそのギャップさには、とてつもなく心惹かれるものがあります。そして、その凄腕の殺し屋をシリアスたっぷりに演じた藤田の渋さにはたまらない良さがあり、彼をここまでの演技者にした三隅研次の凄さに改めて感服させられます。

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