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「やった感」が社会をおかしくしている。

昨日以下のような投稿をFBにしたんですね。1000近くいいねがついてるんです。多くの人が感じているのでしょう。

サスティナブル教が蔓延り、大してなにもサスティナブルじゃないものをサスティナブルに考え、さもサスティナブルかのようにサスティナブルっぽくサスティナブルな意識でやってる風のなんちゃってサスティナブルが随所に見られる事案が多い。
そもそも補助金出てるうちしか続かないような取り組みのどこがサスティナブルな社会実現なんだよw 経済原理含めて設計すんのがサスティナブルの基本だろ。
あんたはさっきからサスティナブル、サスティナブルっていってるけど、あんたにとってのサスティナブルってなんだね、と菅原文太に言ってほしい。
https://www.facebook.com/hitoshi.kinoshita/posts/10159682478612162

こういう表面的なサスティナブル発信だけをしていて、実際の仕事の中身をみたら意味不明というものごとがたくさんありますよね。

そもそも本質的にいらないことを、やっておくことで仕事した気になる問題ってのが世の中に大変はびこっているわけです。つまり、本質的にはやっていないんです、何も。

だけど、何もやっていないと怒られるから、なんとなく「やった感」を出すためのことを仕事だと思いこんでやっていたりする。

やってないんです。やった感を出すためのことをやっているのです。サスティナブルーー!とかいうだけでなく典型的なことたくさんありますよね。

共感するなーという方はSNSとかでシェアしてください。皆で「やった感」問題と向き合いたいのです。

○ 講演会で「やった感」

地域活性化やった感出すだけの、何も起きない講演会。皆で学んだ風、あのひとの話を聞きました、という報告のためだけ、そういうのを企画しましたというだけで、何も物事を動かす具体的なシナリオはない人ってのもたくさんいます。皆にあなたの話を聞かせたい、とかいっているけど、それは貴方がいうべきことを地域や組織で言っていない責任を、赤の他人に押し付けているだけではないのですかね、と。自分可愛さで厳しい環境に身を置く覚悟はなくて、なんとなく「やった感」を出して自分の立場がなにか万が一にでも好転すればラッキーくらいで他人の時間を溝に捨てるような依頼していませんか、というお話です。

○ 視察で「やった感」

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