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イオン以上にボケ封じ経営店が商店街を壊してきた理由〜商店街衰退の内部要因〜

商店街に「この店やってんの?」というような店がありますよね。色褪せたマネキンとかおいてある洋品店、いつの時代のものかわからない時計置いてある時計店などなど。

実際市場競争としては、イオンなどの大手流通企業に商店街を負けたと言う話がありますが、外的要因としては確かにその通りとは言え、内部に問題があった事は言うまでもありません。

特に商店街にある「やる気のない店」は内部から商店街を破壊していったとも言えます。高齢化が進むの中で、実際商売が「趣味」となり、「ボケ封じ」になり、最後は「住まい」となったことで、本気の人が商店街に出てこなくなった背景を解説しておきます。

先日も以下の高齢老舗デカ盛り激安店の問題について書きましたが、このようなお店の経済構造は純粋な民間商売とは言い難いのです。過去のいい時代に資産形成し、さらに今や4000万人を超えた年金受給者数、現在の経済モデルだけでないところからお金が拠出されて生活基盤を作っている高齢店舗経営者たちが多くいます。高齢者世代がある意味のチート状態で商売をするのが常態化して、市場全体に問題が発生するのは一部の問題ではなく、全体にまたがる問題になっています。


○ 不労所得が徐々に商売をダメにしていった

たいてい地域活性化などで「衰退して大変・・・」とかいいながらも、太海と見れば立派な家と車を乗り回している人が普通にいたりするんですよね。商店街もシャッター商店街は昔から金持ちという話をしていますが、生活に余裕があるからこそ、所有物件を遊ばせておけるのです。

敗戦後に商売をはじめて、高度経済成長から安定成長まで日本では基本的にずっと「供給不足」というのが問題になっていました。お米についても昭和52年に八郎潟干拓が完成した年が、日本においてようやく米があまるようになったという話があるくらいです。つまりは常に物は足りなく、人が増加する時代に「ものを売る」「食事を提供する」という商売は1970年代までは今と比較すればとてもやりやすかったのです。

さらに商店街などでもその時代で成功し、稼ぎを得たものについて土地神話に基づいて、さらに積極的な銀行融資を追い風にして不動産に投資していった人がたくさんいました。たいてい商店街のお店の2Fに住んでいた人たちも、郊外エリアに立派な邸宅を建設した人も多く、商店街の周辺に区分所有、場合によっては複数のビル、マンションを保有するようになって人たちもいたわけです。

こうなると、実際の商売での稼ぎよりも、不動産収入が安定的な基盤となっていったわけです。冒頭に書いたような経営状況が正体不明な商店街の店の多くは、昔稼ぎきって、さらに不動産収入がある店というのが多数あるのです。

本業への投資、革新が面倒になり、特段自分や家族が食うのには十分となるとそこで努力をしなくなってしまうものです。閉めるのも大変だし、適当な商売をだらだらとづつけていくということになるのです。

正直なところ新規に開業した人たちからすれば、そのような中途半端な商売をやっている店が残っているというのは、商店街の商業集積としての魅力が低下するので非常に迷惑なのです。が、なかなかやめないのです。その一つがボケ封じなのです。

○ 子供たちが止める「閉店」と「廃業」

たいてい高齢になって店を閉めようとする場合に反対するのは、もう地元を離れている息子、娘です。

なぜならば商売を続けていれば少なくともボケないだろうと思っているからです。生涯続けてきた商売をやめれば、生活の緊張感がなくなって、すぐにボケてしまうというケースが少なくありません。金勘定もしなくなり、馴染みの少ないお客さんとの会話もゼロになれば、そりゃボケますよね。

となると、地元で介護とかの必要が出てくるとかなると困るわけです。だから死ぬまで出来る限り商売を続けたほうがいいよーーー、とかいって続けさせたりするのです。

そんなこんなしていたら、大抵の店の息子・娘は東京とか別の地域に旅立っている割合がとてもつなく高いので、かなりの割合でボケ封じの店とか、先日書いたような趣味でやっているような飲食店とかが生き残ったりするのです。あれは稼ぐためにやっているのではなく、ボケ防止のためにやっているので、ある意味のプライスレスなのです。

○ 賑わいが生まれるとクレームが入る、シャッター商店街

とはいえ体力の限界とかは出てくるので、店をやめるのです。

ここで分岐がありまして、1つは郊外の家に引っ込んでほとんど商店街には来なくて、そのまま空き店舗のまま遊ばせたりするのです。この背景にあるのは、「自分の商売をやっていた場所で、別の人間が儲かるのは気分的に嫌だ」というのが結構強くあります。だからこそ、安くしてまで人に物件を貸したくないといったり、あれこれ出店希望者を品定めしたりするんですね。。。そのうちに廃墟になって、当人もボケて連絡もつかなくなったりしてというのがよくあります。

もう1つは1F店舗、2F住宅に住み続ける人です。住居兼店舗なので、1Fだけを人に貸せないという店舗の形式ですね。内階段なのです。でもってこういう方の問題は、もう商売をしてなくて、単に住んでいるので、何か新たな出店者たちでイベントやったりすると、「うるさい」とクレームを入れてきたりするのです。。。いや、ここ商業地だからね。

そうこうしている人たちは皆さん年金受給者でもあるわけです。ベーシックインカムがあり、過去の蓄財、不動産収入も重なれば、もう誰の言うことも聞かなくなっていっていくのです。そのような人がそれなりの割合に達していけば、まち全体のダイナミクスがなくなっていくのも当然です。

○ 新規の商売人は中心を選ばなくなった

このように老害と一言では済ませないような状況が重なると、若くてやる気ある新規創業者は商店街なんか選択しません。もっと自由に勝手に商売ができる立地を選びます。

そして何より地方都市は車社会に作り変えられてしまったので、かつての中心に拘る必要もないのです。いい店であれば、普通に車で皆がきてくれるからです。別に面倒くさい不動産にこだわらなくてよいですからね。

このように過去の成功、不動産投資、年金受給という困っていない人たちが商店街の革新を阻害してきたのが、かなり深刻な内的要因と見ています。イオンなどのショッピングモールの進出、モータリゼーションが外的要因と語られますが、実際それに競争対応できなかった、もしくは対応する必要すらなかった商店街の内部問題についてはもっと分析されて叱るべきと思うところです。

そもそも大店法時代も進出許可にからんで役員が新規スーパー内の専門店として進出させてもらったり、様々な献金を要求したりしてして利権を形成していた時代もあり、そのあたりの腐敗も含めて、内部問題は大きかったと思うところです。

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