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しんどいな~
しんどいな~、って感じることがよくある。なんて考えてしまうのは、今日の生活になんか疲れてしんどくなってしまったからか?
疲れが溜まっているけど、とにかく休む暇を取れない。
私は子どもの頃から、しんどくない時間の方が少なかったかもしれない。約50年間の私の人生、ほとんどがしんどい思いばかりだった。
何がしんどいって、身体がしんどい。身体がしんどいことが普通だった。
病人じゃないレベルでの身体の弱さ。子どもの頃の身体のしんどさは、先天性の心疾患が原因だったようだ。他の多くの人は私が感じていたようなしんどさは感じていなかったようだから、おそらく心臓が普通の子の1.3倍位で働かないと普通に動けないような心臓が原因だったのだと思う。
でも、お医者さんはマラソンも山登りも問題ないというので、何でも普通にやらされていた。マラソンはほんの数分ですぐに息が上がってしまい、胸荷苦しさを感じながら、それでも倒れるほどではなく、脳筋教師に罵倒されながらいつも走っていた。
小学校の横に10分ほどで登れる小山があり、理科の葉っぱ集めや、学活のレクリエーションでよく登ったが、登り始めるとすぐに息が上がって足が痛くなる。今考えると、当時の私の心臓では十分な酸素供給ができなかったはずで、筋肉が悲鳴を上げていたはずだが、それでも当時は単なる虚弱体質としか見られておらず、とにかく苦しさだけしか覚えていない。
だから、身体がしんどいのが私の普通で、それは手術で心疾患が治ってからも、しんどさが抜けることがなかった。
とにかくしんどい、でも周りに言ってもわかってもらえない、だから言っても仕方がない、しんどいのをしんどくない周りに合わせるのも大変だから、ほぼ引きこもりになってみたけど、引きこもってみても、結局生きるための諸々のタスクは変わらないから、結局しんどい。
しんどくて、疲れやすくても、病院で検査しても何もない。若い頃から本当に何も出なかった。それでも疲れやすい。
だから、自分のペースで生きるしかなく、それが周りとは決定的に合わないらしい。でも、それでもいい。とにかく大切なのは自分が生きること。
なぜだから知らないけれども、やっぱり自分はここまでなんとか健康に生きている。体の不調を感じながらも、特に大きな問題もなく、家族の生活を支えることができている。
今、生きていること、ここまでなんとか生きてこられたこと、それ以上の贈り物はないのだろうから。